あやかし姫~姫と狼(5)~
太郎は、起きていた奴がいたのかと思い、声の方を見やった。
声は、庭の方から聞こえてきた。
「……」
目の前の光景を、太郎は信じられなかった。
庭に、姫様が、いた。
妖艶な――艶めかしい笑みを浮かべる姫様が。
居間で、穏やかに少女は眠っているのに。
「二人……」
そう、声を漏らした。
口の中が、乾いていた。
「え、あ、」
見比べる。
同じ顔をしていた。
同じ顔をしているだけで、別人だと、思った。
姫様が、嗤う。幽然と嗤う姫様は、ぼんやりと白い光を帯びていた。
「お前は……」
あの時の。
「太郎か」
聞き覚えが、あった。
あの時の声。
太郎は、誘われるように、庭の姫様に近づいた。
「また、会うたな」
もう、嗤っていない。
憮然とした表情の姫様が、庭の木の葉を摘んだ。
素足だと、妖狼は思った。
「嘘」
「あ?」
「嘘偽りを重ね重ねて、真と成せり。なかなかに、難しい」
にぃっと、姫様が唇の両端を釣り上げた。
「真を伏せ、嘘を顕す。それが、この場所じゃ」
姫様がくるりと背を見せた。
一転、景色が、くるりと廻った。
違う。廻ったのは、自分。
その証に、空が、目に映った。
土。
庭に、妖狼は横たわっていた。
「好きなのだろう、わらわが」
星が遮られ、女の顔がぬっと現れた。
髪が、生き物のように垂れているのが見えた。
覗き込まれていた。
「好いているのだろう、わらわの事を。妖狼の姫を拒むほどに」
女――姫様は、口を手で押さえた。
その時は、太郎の目にはいつもの姫様に見えた。
「人でも」
女が、嗤う。
身体が、動かなかった。
「妖でも」
女の顔が、近づいてくる。
その瞳には、自分の顔が映し出されている。
金銀妖瞳の、男の顔が。
「神でもない――あやかし姫の、ことを」
姫様が、顔を遠ざけた。
長い髪を掻き分ける。仕草は同じでも、それは、別のものに見えた。
「なぁ、あれと同じ忌まわしき眼を持つ、妖狼よ」
その瞬間。
妖狼は女を組み伏せ、喉に鋭い爪を突きつけていた。
女は、ほんの少し、驚きを見せた。
「ほぉ」
「誰だてめぇ……姫様の名を、騙りやがって!」
「騙る?」
「姫様は、俺の眼の事を、好きだと言ってくれた。忌まわしき眼なんて、言わねえ。言うはずがねぇ。てめえは、偽物だ」
牙が、伸びる。
喉が、ごろごろと音を立てる。
「……なるほど。それで、どうする?」
姫様が、言った。
「……頭領に、突き出す」
「眠っているぞ」
姫様が、建物の方に視線をやった。
つられて、太郎も建物に目をやった。
誰も、起きてこない。眠ったままだ。
「あの時も、言ったろう。そう、獣の魂を喰らい、戻った時に」
「獣……赤牙のことか」
血の、臭い。一瞬の、死臭。
――いたちの、臭い。
くつくつと、姫様が嗤った。
「名前など、知らぬ。あのいたち、わらわが欲しいと言うたでな。わらわも、お前が欲しいと思ったまでよ。愚かな獣じゃ。怯え、震えていると、勘違いしておった。最後までなぁ。わらわは、歓喜に身を震わせていたというのに」
可笑しそうに、くつくつと。
無邪気に、残酷なほど、無邪気に。
少し、赤牙に嫉妬を覚えている自分に、太郎は気が付いた。
苦しそうに妖狼は首を振った。
「今宵も、そう。わらわは、皆を眠らせた。お前が頼みにする、あの男も」
姫様の甘い息が、鼻にかかった。
「そう、眠らせたはずだったのに」
「なんだってんだ、お前は――」
「死んだ妖には、きかぬのかな」
妖狼は、女と見つめ合った。
冷たい、表情。
凍えるような、声。
この姫様は、知っている。
声は、庭の方から聞こえてきた。
「……」
目の前の光景を、太郎は信じられなかった。
庭に、姫様が、いた。
妖艶な――艶めかしい笑みを浮かべる姫様が。
居間で、穏やかに少女は眠っているのに。
「二人……」
そう、声を漏らした。
口の中が、乾いていた。
「え、あ、」
見比べる。
同じ顔をしていた。
同じ顔をしているだけで、別人だと、思った。
姫様が、嗤う。幽然と嗤う姫様は、ぼんやりと白い光を帯びていた。
「お前は……」
あの時の。
「太郎か」
聞き覚えが、あった。
あの時の声。
太郎は、誘われるように、庭の姫様に近づいた。
「また、会うたな」
もう、嗤っていない。
憮然とした表情の姫様が、庭の木の葉を摘んだ。
素足だと、妖狼は思った。
「嘘」
「あ?」
「嘘偽りを重ね重ねて、真と成せり。なかなかに、難しい」
にぃっと、姫様が唇の両端を釣り上げた。
「真を伏せ、嘘を顕す。それが、この場所じゃ」
姫様がくるりと背を見せた。
一転、景色が、くるりと廻った。
違う。廻ったのは、自分。
その証に、空が、目に映った。
土。
庭に、妖狼は横たわっていた。
「好きなのだろう、わらわが」
星が遮られ、女の顔がぬっと現れた。
髪が、生き物のように垂れているのが見えた。
覗き込まれていた。
「好いているのだろう、わらわの事を。妖狼の姫を拒むほどに」
女――姫様は、口を手で押さえた。
その時は、太郎の目にはいつもの姫様に見えた。
「人でも」
女が、嗤う。
身体が、動かなかった。
「妖でも」
女の顔が、近づいてくる。
その瞳には、自分の顔が映し出されている。
金銀妖瞳の、男の顔が。
「神でもない――あやかし姫の、ことを」
姫様が、顔を遠ざけた。
長い髪を掻き分ける。仕草は同じでも、それは、別のものに見えた。
「なぁ、あれと同じ忌まわしき眼を持つ、妖狼よ」
その瞬間。
妖狼は女を組み伏せ、喉に鋭い爪を突きつけていた。
女は、ほんの少し、驚きを見せた。
「ほぉ」
「誰だてめぇ……姫様の名を、騙りやがって!」
「騙る?」
「姫様は、俺の眼の事を、好きだと言ってくれた。忌まわしき眼なんて、言わねえ。言うはずがねぇ。てめえは、偽物だ」
牙が、伸びる。
喉が、ごろごろと音を立てる。
「……なるほど。それで、どうする?」
姫様が、言った。
「……頭領に、突き出す」
「眠っているぞ」
姫様が、建物の方に視線をやった。
つられて、太郎も建物に目をやった。
誰も、起きてこない。眠ったままだ。
「あの時も、言ったろう。そう、獣の魂を喰らい、戻った時に」
「獣……赤牙のことか」
血の、臭い。一瞬の、死臭。
――いたちの、臭い。
くつくつと、姫様が嗤った。
「名前など、知らぬ。あのいたち、わらわが欲しいと言うたでな。わらわも、お前が欲しいと思ったまでよ。愚かな獣じゃ。怯え、震えていると、勘違いしておった。最後までなぁ。わらわは、歓喜に身を震わせていたというのに」
可笑しそうに、くつくつと。
無邪気に、残酷なほど、無邪気に。
少し、赤牙に嫉妬を覚えている自分に、太郎は気が付いた。
苦しそうに妖狼は首を振った。
「今宵も、そう。わらわは、皆を眠らせた。お前が頼みにする、あの男も」
姫様の甘い息が、鼻にかかった。
「そう、眠らせたはずだったのに」
「なんだってんだ、お前は――」
「死んだ妖には、きかぬのかな」
妖狼は、女と見つめ合った。
冷たい、表情。
凍えるような、声。
この姫様は、知っている。