小説置き場2

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錦、対、戦姫(終)

 刀が、手から落ちた。
 
 二本とも、である。
 
 ほぼ、同時に。呂布の動き。見切れなかった。
 
 痛み。両手首を、鈍い痛みが走る。
 
 打たれたのか?
 
 どうやって?
 
 何も、見えなかった。捉えられなかった。

 呂布が、赤兎馬が、自分の眼前にいる。

 どうして、こんなに近くに?

 そして……
 
 全身に痛みが走った。

「か……」
  
 馬超は、思い出した。

 あの、少女の顔を。

 自分を、錦だと言った少女の、ことを。

 董卓の孫娘。

 だが、少女に祖父に似たところは一つもなかった。

 董卓は粗野で、巨魁な男だった。

 少女は線が細く、大人しかった。

 董卓の大きな濁声に掻き消されそうになりながら、か細く、自分に囁いたのだ。

 どうして、忘れていたのだろう。

 大事な、思い出であったのに。

 馬超は、笑みを浮かべた。手を、伸ばそうとした。

 そして、とさっと、馬超は砂の上に落ちた。

『錦』

 そう謳われ讃えられた面影は、倒れ伏した者のどこにもなかった。

 華美な鎧は打ち砕かれ、獅子をかたどった兜は真っ二つに割られ。

 武器を手放し、愛馬から堕ちた。

 その血に染まった姿は、錦の姿ではなかった。

 華は、散った。

 無惨に、散った。

 涼州の狂い咲いた武の華は、黒き戦姫に刈り取られた。

 圧倒的な力の差を見せつけられて。

 ぶんと、方天画戟をふるう。砂の上に、血が、落ちた。

 呂布は、何も表情を現さずに、馬超を見やった。

 それから、馬超の麾下を見た。

 かつかつと、愛馬を歩ませる。

 馬超の麾下は、主が倒されたというのに、反応を何も見せなかった。

 出来なかったのだ。

 まだ、混乱していた。目の前の事実を、受け入れる事が出来なかった。

 現実に立ち戻ったのは、人よりも馬の方が早かった。

 馬が、下がり始めた。

 棒きれのような主人達を乗せたまま、一人と一頭に恐れをなして。

 呂布は、赤兎の馬首を返すと、馬超に近づいた。

 じっと、馬超の背を見てから、呟き始めた。

「……陳宮が言った……」

 独り言。

 人に、聞かすために言っているわけではない。

 それでも、その小さな声は、どちらの麾下の耳にも届いた。

「殺さない方がいいって言った
 馬超は、殺さない方が、いいって。味方にした方がいいって。
 そう、陳宮が言った。
 だから、
 陳宮が言ったから、殺さない、殺さない、うん」

 汗血馬から降りると、呂布が、ひょいと馬超の身体を片手で持ち上げた。

 自分の愛馬に乗せる。

 自らも、乗る。

 黒ずくめの麾下が、走り始める。

 先頭は、血の汗を流す巨大な馬。

 長矛。しばし、動かなかった。

 背中を、見送る。

 それから、逃げ始めた。

 それは、恐慌といってよい逃げ方だった。

 

 呂布は、西涼の武を、木っ端微塵に打ち砕いた。

 

 華は、黒い姫を、色濃く美しく彩るだけだった。