小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~梅雨の日のこと、いつものお話(3)~

「姫さん!!!」
 大きな声だった。部屋に響き渡った。
 男が、黒い羽を翻しながら、部屋に入ってきた。
「痛い」
 姫様が、言った。眉間にしわがよった。
「っお馬鹿!!!」
 すぐに、耳かきを抜く。
 無音の帳。
 沈黙が破られ、妖達がやいのやいのと言い始める。
 低い声も高い声も、小さな声も大きな声も、一斉に戸惑う男に向けられた。
 喧騒の中、姫様が身体を起こす。
 「大丈夫?」と何度も念を押す葉子に、うんと応えた。
「ごめんね、ごめんね」
 何度も、言う。何度も、謝る。
 それから、銀狐は、
「お黙り」
 とぴしゃりと言い、妖達の口を閉じさせると、眉を釣り上げ侵入者に近づいた。
 とっとっとっ、苛立ち隠せぬ足音と共に、蒼白い炎がぽつ、ぽつ、と葉子の周りに姿を現し、一つだった尾が九つに分かれた。
 九つ筋の、銀の尾が流れる。
 開いた口から、蒼白い火がちろちろと顔を出した。
 息をするたび、火が、揺れる。
 葉子の鼻周りが、伸びる。
 銀毛。手足を隠し、顔を覆う。
 獣。
 着物を纏う、九尾の獣――九尾の、銀狐。
「葉子殿……」
「なにさクロちゃん! 今、姫様の耳掃除してたの! いきなり大声出して……手元、狂ったじゃないのさ!」
 クロちゃん――黒之助。
 しどろもどろ。
 葉子は今にも飛び掛からんばかりであった。
「面目ない……」
「お馬鹿! お馬鹿お馬鹿!」
 何度も、吠える。吠え繰り返す。
 炎が揺れ、ぐるぐると廻る。
 数がどんどん増えていく。
「その辺にして下さい、葉子さん」
 姫様が、言った。
 ぐっと銀狐は黒烏を睨み続けていたが、姫様が穏やかに、
「やめて下さい」
 そう言うと、葉子はぷいっと視線を外した。
 炎が消え、葉子の尾が一つになる。
 獣が、また、人の顔になった。
 ――古寺の妖達は、姫様に滅多なことでは逆らわない。
 姫様が好きだから、妖達は逆らえないのだ。
 九尾の銀狐は、姫様が好きだから怒り、姫様が好きだから、その言葉で怒りを収めた。
「その……本当に、面目ない」
「もう、いいですよ。そんなに気にしないで下さいね。それで、クロさん。私に何か用ですか?」
 葉子の横に並ぶ。
 姫様は、身体が細い。
 銀狐と並ぶと、姫様のほっそりとした躯付きが一層目立つ。
 最近になって、少し、気にするようになった。
 お出かけしないときも、化粧をし、微かなほんの微かな香をつけるようになったのも最近のこと、だった。
 少し――自分の容姿を、気にするようになった。
 黒之助と向かい合う形。
 じっと、黒之助の眼を見た。
「えっと……今日の昼のおかず、鮎の塩焼きにしようと思ったのです。黒之丞が、釣ったのですよ」
「鮎の塩焼き……うん、美味しそうです」
「ですが……塩が、ありません」
「塩が……は、塩が?」
 思いがけない言葉に、姫様は思わず聞き返した。
「ええ。どこにもないのです。拙者、何度も何度も台所を探したのですが、全く塩壺が見つからなくて」
 それで、途方に暮れて…… 
「塩壺が……ない」
 確かめるように、言う。
 塩は、大事。
 そして、貴重でもあった。
 壺に入れて、台所の棚に大事に置いていた。
「そんなわけないじゃない。クロちゃん、大丈夫? 今、起きてる? 寝ぼけてない? ちゃんと探した?」
「それはもう、何度も何度も。その場にいた奴らにも頼んで。でも、全く」
 首を、横に振った。
「……そんな筈は……」
「待ってよ」
 葉子が、腕を組んだ。
「……あっ……」
 姫様が、口を押さえた。
 思い当たる人物が一人。
 力ある三匹の妖の一匹、金銀妖瞳の妖狼――太郎。
 塩の行方を知っているかもしれない。
 姫様が名を、口にすると、
「やっぱり、そうかなぁ」
 と葉子が言い、
「絶対そうだ」
 と黒之助が言った。
「太郎がどこにいるか、わかる?」
 姫様に尋ねる。
 少しの間、目を瞑り、溜息一つと共に姫様は目を開けた。
 それから、
「ちょっと、わかりません」
 申し訳なさそうな姫様の言葉に、ぴくりと黒之助が眉を動かした。
「知ってる奴、いるかい?」
 葉子が言うと、妖が一匹、手を挙げた。
「どこにいますか?」
 姫様が、そう、その妖に尋ねた。