あやかし姫~梅雨の日のこと、いつものお話(4)~
「こっち、こっち」
妖が言う。
姫様達が、後を追う。
「えー! 鮎一匹なの!」
葉子が言った。
黒之助がその言葉に重々しく頷いた。
「一匹だ。黒之丞の奴、一匹しかくれなかった」
「なんだよぉ……あたいも食べたかったのに」
銀狐の耳が、へたりとなった。
「半分こしましょうか」
葉子の耳が、ぴんと立った。
「いいの、姫様?」
「ええ。耳掃除のお礼です」
「んふ、ありがと、姫様。期待してるからね、クロちゃん! きちんと料理しなさいよ!」
「……焼くだけだが」
目を、細める。
にしても……黒之丞の奴、あれだけ釣れていたんだ。もう少しくれてもよかったのに。
けちくさい奴だ。
あいつは、昔からそうだった。
どうせ、自分は食べないというのに。
蔵の影。
古寺の片隅。
そこに、妖が集っていた。
何かを囲んで小声でこしょこしょ。
若い男が、緑の傘を一差し。
歳は、二十ほどであろうか。葉子よりも黒之助よりも、姫様に歳が近いようにみえる。
子供のような笑みを浮かべ、子供のように黒い瞳をきらきらとさせていた。
白い獣の耳と、白い獣の尾。
葉子と同じ、半人半妖の姿であった。
金銀妖瞳の妖狼、太郎。
太郎は腰を屈め、白い粉を何かに振りかけていた。
「お、お、小さくなってる」
「本当本当」
「面白いねー」
妖達は、無我夢中。
わっと歓声をあげていて。
誰も、背後にそろりと近づく三つの影に気が付かなかった。
そして――がつん。
「いってぇえ!」
太郎が傘を放り投げ、叫んだ。
きっと振り向く。
そこに見えたのは、怒気を纏った黒烏。
黒之助が、妖狼の背中を蹴りつけたのだ。
腕を組んで、冷ややかに見下ろしていた。
「この野郎……」
妖狼も怒気を帯びる。
二人が睨み合った。
太郎も、黒之助も、引き締まった四肢に力が込められるのがみて取れた。
喉を震わし、羽を鳴らす。
気が、高まっていく。
その時――二人の肩に届かないぐらいの人影が、妖狼の頬に、手を伸ばした。
「いてててて?」
「太郎さん?」
姫様が妖狼の頬を引っ張って。
二人の間で荒ぶっていたものが、あっという間に引いていく。
「いて、姫様雨に濡れる!」
「ちょっとぐらい、なんともありません」
「そんなことないって!」
自分のことを心配してくれている。そう思うと、ちょっぴり嬉しいながらも、姫様は手を緩めなくて。
頬を引っ張りながら、塩壺があることを確認した。
赤茶色の壺。
蓋を、していた。
「やっぱり、太郎だったのね」
そう言いながら、葉子が姫様に紅い傘を被せた。
つぅっと、姫様の肌を雨水が伝った。
「姫様、痛い」
太郎が、呻く。
「……ていっ」
さらに、捻る。
「痛いって……」
やっと、手を離した。妖狼は、じんじんとする頬を撫でた。
姫様の痕が赤く残っている。
嘲り笑う、妖達。古寺の中で、腹や腹らしき部分を抱えていた。
待っててと、姫様に言われたのだ。
黒之助が壺を抱える。
黒い羽を広げ、壺に雨がかからないようにしてから、蓋を開けた。
白い結晶。
指につけ、ぺろりと舐める。
「しょっぱい」
そう、言った。
間違いなく、探していた物。
それから、妖達が囲んでいた物を不思議そうに見やり、
「何をやっていたんだ?」
そう、尋ねた。
「んー」
「太郎さん、何やってたんですか?」
髪に手をやりながら、姫様が言った。
急いで、濡れて。乱れを、直していた。
「なめくじ集めて、塩掛けてた」
「……はあ?」
「姫様、昨日、なめくじに紫陽花の花食べられると嫌だなって、言ったよな」
「……ええ、ええ。言いましたよ」
確かに、そう、言った。
頭領がなめくじが嫌いだという話になり、その際、姫様が口にした。
「だからさ、寺中のなめくじ集めて、やっつけちまおうって思ってさ。そしたら、姫様、喜ぶかなって」
古寺中の、なめくじ集めて。
そこに、塩を、振りかけて。
「太郎さん……」
姫様は、嬉しそうに妖狼の名を口にした。
「いや、にしても面白ぇな。なめくじ、塩掛けると本当に縮むんだ。うん、面白い」
からからと、笑う。
面白いと、笑う。
「……太郎さん」
姫様は、少し呆れたように、妖狼の名を口にした。
「見る? 見る? 縮むよ?」
「いいです、遠慮します。クロさん、鮎、楽しみにしてますね」
頭を一度下げると、黒之助が歩き出す。
大きな水たまりをぐっと踏み締めた。
泥水が跳ねるが、その身体には一つも汚れはつかなくて。
そもそも、黒之助は傘を差さず、雨に濡れず。
妖の為せる業であった。
「姫様、中に入ろう」
「はい。あ、太郎さん、皆さん。中に入るときはきちんと手を洗って下さいね」
そう言い残すと、水たまりを避けて、姫様は銀狐と歩き出した。
「はーい」
よい、返事。
姫様は、くすりと微笑んだ。
「怒られたー」
「怒られたー」
「怒られてやんのー」
「うっせえ!」
そう怒鳴りながら、妖狼は鼻をひくりと動かした。
雨の臭いに、姫様の残り香がかすかに漂っていた。
妖が言う。
姫様達が、後を追う。
「えー! 鮎一匹なの!」
葉子が言った。
黒之助がその言葉に重々しく頷いた。
「一匹だ。黒之丞の奴、一匹しかくれなかった」
「なんだよぉ……あたいも食べたかったのに」
銀狐の耳が、へたりとなった。
「半分こしましょうか」
葉子の耳が、ぴんと立った。
「いいの、姫様?」
「ええ。耳掃除のお礼です」
「んふ、ありがと、姫様。期待してるからね、クロちゃん! きちんと料理しなさいよ!」
「……焼くだけだが」
目を、細める。
にしても……黒之丞の奴、あれだけ釣れていたんだ。もう少しくれてもよかったのに。
けちくさい奴だ。
あいつは、昔からそうだった。
どうせ、自分は食べないというのに。
蔵の影。
古寺の片隅。
そこに、妖が集っていた。
何かを囲んで小声でこしょこしょ。
若い男が、緑の傘を一差し。
歳は、二十ほどであろうか。葉子よりも黒之助よりも、姫様に歳が近いようにみえる。
子供のような笑みを浮かべ、子供のように黒い瞳をきらきらとさせていた。
白い獣の耳と、白い獣の尾。
葉子と同じ、半人半妖の姿であった。
金銀妖瞳の妖狼、太郎。
太郎は腰を屈め、白い粉を何かに振りかけていた。
「お、お、小さくなってる」
「本当本当」
「面白いねー」
妖達は、無我夢中。
わっと歓声をあげていて。
誰も、背後にそろりと近づく三つの影に気が付かなかった。
そして――がつん。
「いってぇえ!」
太郎が傘を放り投げ、叫んだ。
きっと振り向く。
そこに見えたのは、怒気を纏った黒烏。
黒之助が、妖狼の背中を蹴りつけたのだ。
腕を組んで、冷ややかに見下ろしていた。
「この野郎……」
妖狼も怒気を帯びる。
二人が睨み合った。
太郎も、黒之助も、引き締まった四肢に力が込められるのがみて取れた。
喉を震わし、羽を鳴らす。
気が、高まっていく。
その時――二人の肩に届かないぐらいの人影が、妖狼の頬に、手を伸ばした。
「いてててて?」
「太郎さん?」
姫様が妖狼の頬を引っ張って。
二人の間で荒ぶっていたものが、あっという間に引いていく。
「いて、姫様雨に濡れる!」
「ちょっとぐらい、なんともありません」
「そんなことないって!」
自分のことを心配してくれている。そう思うと、ちょっぴり嬉しいながらも、姫様は手を緩めなくて。
頬を引っ張りながら、塩壺があることを確認した。
赤茶色の壺。
蓋を、していた。
「やっぱり、太郎だったのね」
そう言いながら、葉子が姫様に紅い傘を被せた。
つぅっと、姫様の肌を雨水が伝った。
「姫様、痛い」
太郎が、呻く。
「……ていっ」
さらに、捻る。
「痛いって……」
やっと、手を離した。妖狼は、じんじんとする頬を撫でた。
姫様の痕が赤く残っている。
嘲り笑う、妖達。古寺の中で、腹や腹らしき部分を抱えていた。
待っててと、姫様に言われたのだ。
黒之助が壺を抱える。
黒い羽を広げ、壺に雨がかからないようにしてから、蓋を開けた。
白い結晶。
指につけ、ぺろりと舐める。
「しょっぱい」
そう、言った。
間違いなく、探していた物。
それから、妖達が囲んでいた物を不思議そうに見やり、
「何をやっていたんだ?」
そう、尋ねた。
「んー」
「太郎さん、何やってたんですか?」
髪に手をやりながら、姫様が言った。
急いで、濡れて。乱れを、直していた。
「なめくじ集めて、塩掛けてた」
「……はあ?」
「姫様、昨日、なめくじに紫陽花の花食べられると嫌だなって、言ったよな」
「……ええ、ええ。言いましたよ」
確かに、そう、言った。
頭領がなめくじが嫌いだという話になり、その際、姫様が口にした。
「だからさ、寺中のなめくじ集めて、やっつけちまおうって思ってさ。そしたら、姫様、喜ぶかなって」
古寺中の、なめくじ集めて。
そこに、塩を、振りかけて。
「太郎さん……」
姫様は、嬉しそうに妖狼の名を口にした。
「いや、にしても面白ぇな。なめくじ、塩掛けると本当に縮むんだ。うん、面白い」
からからと、笑う。
面白いと、笑う。
「……太郎さん」
姫様は、少し呆れたように、妖狼の名を口にした。
「見る? 見る? 縮むよ?」
「いいです、遠慮します。クロさん、鮎、楽しみにしてますね」
頭を一度下げると、黒之助が歩き出す。
大きな水たまりをぐっと踏み締めた。
泥水が跳ねるが、その身体には一つも汚れはつかなくて。
そもそも、黒之助は傘を差さず、雨に濡れず。
妖の為せる業であった。
「姫様、中に入ろう」
「はい。あ、太郎さん、皆さん。中に入るときはきちんと手を洗って下さいね」
そう言い残すと、水たまりを避けて、姫様は銀狐と歩き出した。
「はーい」
よい、返事。
姫様は、くすりと微笑んだ。
「怒られたー」
「怒られたー」
「怒られてやんのー」
「うっせえ!」
そう怒鳴りながら、妖狼は鼻をひくりと動かした。
雨の臭いに、姫様の残り香がかすかに漂っていた。