小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~蟲火灯りて~

 喧騒。賑わい。
 三人――
 姫様と、妖狼と……男の子。
 夜空を、見ていた。
 落ちてきそうな、星々。
 梅雨の終わりと、夏の始まりの気怠い暑さ。
 涼をとろうと姫様が扇で風を起こす。夕顔の柄が揺れた。
「どうしたの?」
「する」
 太郎の膝の上に乗っていた男の子が、扇に手をやった。
 姫様が、手を離す。
 風が、姫様に吹いた。



 気付いたのは、姫様であった。
 食べかけの夕飯を置いて、何も言わずに居間を出た。
 三匹の妖が、すぐに後を追う。
 静かな、ざわめき。
 頭領が不思議そうに、首を傾けた。



「美味しい?」
「美味しい」
「うん」
「うん」
 いか焼き。たれを口の周りに垂らしながら、顎を動かしていた。
「これは? これも、美味しそうですよ」
「姫様も、食べる」
「ええ。あ、あれはお勧めです」
「ひ……彩花さん。先に、いか食べてからのほうが」
 太郎が、言った。
「そ、そうですね」
「……時間は、まだ、ある」
「……はい」
 夕雲。茜色。
 屋台が、所狭しと、並んでいた。
 小さな村の、お祭り。
 明日は、七夕―― 
 夕方に始まり、早朝に終わる。
 まだ、祭りは始まったばかり。


 玄関を出て、門に来て。
 走った。
 裸足のまま。息が、切れた。
 淡い、燐光。
 蛍火の、群れ。
 その光景に目を細めると、姫様は、胸を押さえた。
「これは……」
 立ち上る、光の群れ。姫様の足に目をやりながら、葉子は息を呑んだ。
 黒之助も、そう。
 二人は、二つのことを見ていた。
 妖狼は……一つのことを、見ていた。
 光は、決して門をくぐろうとはしなかった。
 古寺の外で、舞っていた。
「ほお。凄いな、これは」
「頭領……いいですよね」
 うむと、翁が頷いた。
「入って、いいですよ」
 姫様が、言う。
 光が、集まりだした。
 かたどる。
 人の、形を。
 一歩――
 一歩、足を、踏み入れる。
「姫様、太郎さん」
 男の子が、言う。
「ばっか野郎……」
 太郎が、男の子を抱き締めた。
「お帰り、小太郎君」
 にっと、男の子が、笑みを零した。



「お菓子、食べる?」
「お菓子……」
「お水のほうが、いいかな?」
「……食べる」
 男の子が、お菓子を頬張った。
 美味しい。
 また、お菓子に、手を伸ばした。



 包丁の音。
 野菜を刻む音。
 姫様が、台所に立っていた。
「しばらく、私が料理しますね」
 黒之助が、はいと、言った。
「前は、水しか飲まなかったのに」
「今度は、食べてくれます。喜んでくれます」
 水も、美味しいと、言っていました。
 嬉しいです。
「……にしても……作りすぎでは?」
「はう?」



「太郎さん」
「ああ」
「太郎さん太郎さん」
「ああ」
「あたいは?」
「……」
「むきぃ!」
 銀狐がほぞをかむ。小太郎は、不思議そうに大きな犬の背中で、瞳をまあるくした。
「小太郎、葉子っていうんだ」
「……」
「んがぁ!」 



「七夕の、お祭り?」
「ええ。明日は、織り姫様と彦星様が……一年に、一度……」
「泣かないで」
 妖達が、しゅんとなった。
 今日は、七日目――
「彩花」
「……はい」
「三人で行っておいで」
 頭領が、言った。
 小太郎を背からおろし、妖狼が人の姿をとる。
 葉子と黒之助が、獣と鳥の姿をとった。



 人気のない場所。
 薄い光と、薄い闇。
 白い大きな狼が、男の子に額を寄せた。
 姫様が、男の子をぎゅっと抱き締めた。
「ばいばい」
 男の子が、目を、閉じた。
 光が、湧き立つ。光が、舞う。
 姫様と妖狼の顔が、薄緑色に照らされる。
 ばいばい。
 もう一度、聞こえたような気がした。
 すっと、闇が、戻った。
 姫様が、妖狼によりかかり、静かに静かに、泣き、始めた。