小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~主従(8)~

 玄関で姫様と葉子が待っていた。
 笠を頭にかぶり、薬箱を背負い。
 白い姫様の顔が、笠に垂れる白い紗の後ろにあった。
「お待たせ」
「いえいえ」
「んー、今日はこれね」
 草履。靴箱から取り出す。姫様の足下を見て眉をひそめた。
 青い鼻緒の、似た草履だった。
 色合いが、少し違う。火羅の方が、濃い。
「……似ていますね」
 赤麗が、言った。
「今日はそういう気分なのよ。ねえ、彩花さん」
「ええ」
 微笑。くすりと、葉子が声を零した。
 赤麗も、似た色の草履を火羅に渡され。
 あたいだけってのもねぇ。自分の足下に手をかざす。これで四人とも、同じ青。
「そうそう、先に言っておきますが」
「くれぐれも、人にばれないように、でしょう?」
 くるくるりと、自分の「黒い」髪を、指に巻き付けた。
「はい。頭領の知人の娘さんということにしておきますので、訊かれたらそのように答えて下さい」
「んー、いいわ」
「ばれたら、一目散に逃げて下さいね。妖が娘さんに化けていたということにしますから」
「ちょっとそれ」
「大丈夫、しばらく村に下りられなくなるだけです」
「しばらく?」
「少し時を置いて、それから本物が来たと言えばいいんです」
「……そんなへまは、しないわ。ねぇ、赤麗」
「ちょっとどきどきしますね」
 黒い一房を傾ける。
 妖狼主従は、髪を黒く変化させていた。
「なに言ってるのかしら」
「じゃあ、太郎さん、クロさん、お留守番よろしく」
「おう」
「御意」
 火羅と赤麗が、はっと後ろを向いた。
 壁に寄りかかり、二人の男が。
 火羅は、太郎に、行ってきますと言った。少々面食らった顔をしながら、「ああ」と妖狼は声を漏らした。
 姫様がくるりと翻る。
 銀狐が、歩み始めた。



「暑い……といっても、うちほどじゃないわね」
 汗。流れる。
 銀狐が一番ぜーはー息を吐いていた。
「まだ、盛りではないですから」
「にしても、蝉の声がいらっとくる……」
「火羅さん、耳」
「う」
 片手でぽふぽふ。黒い髪に、赤い突起物。
 柔らかいそれを、髪にしまった。
「……でも、やっぱり、あつーい!」
 万歳。両手を振り上げ、声を張り上げ。赤麗も、片手が万歳。
 手を繋いでいるから。ひしと、しっかりと。
 姫様も、銀狐と手を繋いでいた。
 火羅と赤麗の繋がりを横目に見ていると、そっとくるまれた。
 葉子の顔を見上げると、片目を瞑り、にししと笑って。
「……小さな、村ね」
 坂を下りるなり、第一声がこれ。
 緑の、田畑。
 一服している者が多かった。
「ん……結構、ありますね」
 坂と平らの丁度別れ目。そこに生えたる若い一本松。
 幹に、四角い木の箱が紐でくくりつけられていた。
 上面に隙間があった。
 箱の上蓋には錠がつけられていて。
 箱を振り、音を聞いてそう言うと、鍵でかちりと封を解して蓋を開け、中を覗き込む。
 紙を、取り出した。同じ字だった。
 全部で十八枚。一枚一枚、姫様は目を通した。
「なにそれ?」
「注文です」
 ほら。
「……ほしい薬に、ほしいお札。これ、全部同じ字ね」
「ええ。月心という人が書いています」
「ふーん。茶屋は……あそこね」
「甘い、匂い……」
 くんくんと、嗅ぐ。うっとりとする。
 とろんと、二人の目が和らいだ。
「まだですよ」
 ふらふらと足を向ける二人の背に、姫様の声が投げかけられた。
「なんですって?」
「配ってからです」
 ちょんちょん。銀狐が、姫様の背の荷を指差した。
「食べたいのは山々だけどさぁ。これが、先さね」
「……ふ、ふふ……」
 火羅が嗤いだした。薄気味悪い嗤い。
 抑揚がなかった。淡々と、嗤いが喉から出た。
「火羅さん?」
「早く行くわよ。別に、早く茶屋に行きたいわけじゃない。時間が無駄だからよ」
 目が据わっていた。赤麗が、苦笑いを浮かべた。



「そうかいそうかい、八霊さんの知人の」
「一応、これが頼まれていた物ですが、他になにかいる物はありますか?」
 一まとめの薬とは別に、ずらっと並べられた薬とお札。
 老婆はうーんと首を捻った。
「そうじゃなー」
 火羅。苛立っていた。
「早くき」
 緒が、切れた。葉子が、急いで口を塞いだ。
「?」 
 もごもごと蠢く火羅を、赤麗と葉子の二人が押さえる。
 老婆は、訝しげに火羅を見た。
「お気になさらずに」  
 都の遊びかのう。孫に、教えるか。
 そんなことを呑気に考えながら、老婆は虫除けの札を三枚頂戴した。



「やっと、お終いね」
「……あんたねぇ」
 二人とも、ぷりぷり。姫様と赤麗は、視線を交わした。
 苦笑い。お互いに、苦労するねと。
 村の人達は、四人が通ると、ぼーっと目で追った。
 老いも若きも、女も男も。
 清楚な姫様。艶のある色香を纏う葉子。
 燃えるような美貌を誇る火羅。儚さを感じさせる赤麗。
 四者四様、 四つの、華。
 どうしても目を引かずにはいられなかった。
「大したことなさそうじゃない」
 火羅が、茶屋を見て言った。
 声とは反対に、顔が綻んでいた。
 日を避けるように中に入り、縁台に腰を下ろした。
 四人、一緒に腰掛けて。
 姫様と火羅がお隣。
 やっぱり、妖狼の手は繋がったまま。
「いらっしゃい、彩花ちゃん」
 茶屋の奥さん。愛想よく笑う。
 顔馴染み。
 奥の方で主人が、少し頭を下げた。
「おばさん。みたらし団子を……七つ。あと、お茶も四つ下さい」
「あいよ」
「二本ずつでいいですね。私は、一本で」
 最近、気になる。姫様も、そういうお年頃。
「それで、十分だわ」
 砂糖醤油の香ばしい匂いが、煙とともに漂って。
 火羅と赤麗は、鼻をしきりに動かし、二人で笑い合っていた。
 それは、どこか陰りのある笑み。
 姫様の胸が、痛んだ。
「どうぞ……っと、こちらさんは?」
 お焦げのついたお団子。お皿に七本、並べられて。
 姫様が受け取り、妖狼の姫との間に置いた。
 どうやら、気になっていたようで。見かけない顔だと、奥さんが尋ねた。
「火羅さんと赤麗さん。八霊のお爺さまの、お知り合いの娘さんです」
「へえ。どうぞ、ゆっくり召し上がって下さいね」
「あむあむ」
 もう、食べていた。火羅の返事は、よくわからなかった。
 冷えた麦茶。それも姫様が受け取る。
 皆に、配った。
 それから、お茶を呑んだ。喉を、涼しさが駆け抜ける。
 もう一度、口をつけた。
 汗が、すっと引いていくような心地よさ。
 暑さを、少しの間忘れさせてくれる。
「なかなかいけるわね」
「美味しいです」
 二人が、言った。葉子もうまうまと食べていた。
 少し、姫様はほっとした。
「それじゃあ、私も……ってあれ?」
 お皿の上。一本もなかった。
「……火羅さん?」
「ああ、ごめんね」
 三本目を、口に入れていた。悪びれる様子は、全くなくて。
 冷たい妖気の微粒子を撒きながら、姫様は三本追加した。
「あ、私達の分も? 気が利くわね」
「なんのことですか?」
 これは全部、私のですよ。
 控えてたんじゃないの。そう、葉子は思った。
「……おばさん、一本追加」
「勝手に追加しないで下さい」
「……じゃあ、二本追加ー」
「火羅さん?」
「赤麗が、食べたいって」
 にやり。
 なにも言えず、もぐもぐと、姫様はお団子を口に入れた。



「お腹いっぱいだわ」
「はい、お腹いっぱいです」
「……う……さすがにこれは」
 姫様は胸をさすっていて。葉子が心配そうに覗き込む。
 食べ過ぎで、胸焼け。
「姫様、十本も食べるから」
 むきになって、対抗した。
 二人で、追加を繰り返した。
「あそこ、なかなか美味しいわね。それなりに美味しいから、暇があれば行ってもいいわ。ねえ、赤麗」
「……」
「赤麗?」
「あ、はい。美味しいですね」
「どうしたの?」
「ごめんなさい。ちょっと、虫の声に耳を傾けていて」
「虫の声……」
 火羅も、耳を傾けた。
「騒がしいわね」
 蝉が鳴く。きりぎりすが鳴く。
 空に、目をやる。大きな入道雲が姿を現していた。
 夏――もうすぐ盛りを、迎えるのだ。
 もっともっと、暑くなる。
「あれ?」
 こうやって、虫の声に耳を傾けたことなど、あっただろうか?
 いつも、忙しくしていた。
 ずっと、忙しくしていた。
 こうやって、ただ空を眺める、虫の声に耳を傾ける。そんな時間は……なかった。
「……雲の動きって、ゆっくりとしているわね」
「……そうですね」
 姫様が答えた。
「悪くないわ」
 そう呟くと、また、四人は歩き始めた。