小説置き場2

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あやかし姫~琵琶泥棒(2)~

「先ほど、黒之丞さんが帰ってきて、その、」
「俺が、帰ってきたんだな?」
「はい、はい」
 門番にと残しておいた狛犬に目をやる。
 赤犬は、そうだと首を縦に振った。
「……それで、俺はどうしたのだ?」
「帰るなり黒之丞さんは、琵琶を貸してほしいと、そう、私に言ったのです」
「琵琶を?」
 黒之助と羽矢風の命は、顔を見合わせた。
 不思議な会話であった。
 妖は、自分のことを尋ねているのだ。
 白蝉の顔が、少しずつ蒼くなっていく。
 空が、茜色に染まる。白い肌が、蒼く染まる。
 何が起こったのか、何をしたのか、理解し始めていた。
「弾いてみたいと、言ったのですよ。そんなことを黒之丞さんが言ってくれるなんて、思っていなくて……私、嬉しかった。私、教えますと言ったんです」
 その黒之丞は、淡く笑い声をあげながら、
「それには、及ばぬと」
 そう、言った。
「何、少し爪弾くだけなのだ。森の中で、白蝉の真似事をしたいだけだ」
「それで、貸したのか?」
「……はい」
 貸した。渡した。
 喜んで、渡した。
 黒之丞でない、黒之丞に。
「どれぐらい前だ?」
 白蝉の頬に人の手をやりながら、黒之丞は尋ねた。
 炯々と輝く大きな瞳が、静かな怒りを映し出していた。
「それほどは……」
「まだ、時は経っていない」
 赤犬が、ばつの悪そうな表情で口添えした。
「……黒之助」
 視線を移す。
「うむ」
「俺が、取り戻す。心配するな」
 そう言うと、黒之丞は白蝉の身体を抱き締めた。
 短い、抱擁であった。
 それで、十分であった。
 すっと離れると、心配するなと繰り返した。
「羽矢風」
「うん……」
 責任を、感じていた。責められることを、覚悟していた。
 狛犬がついていながら、こんなことになってしまった。
 自分の守り妖。
 自分の責任。
「念のため、白蝉を黒之助の住む寺へ連れて行ってくれ」
「え?」
 責める言葉では、なかった。
「俺と黒之助は、琵琶を探す。お前にしか、頼めない」
「わかった!」
 小さな身体を、白蝉の頭の上に移す。
 青犬が庵に入ると、杖をくわえて出てきた。
「白蝉さん」
 行こうと、羽矢風が声をかけた。
「あの……無理は」
 白蝉の口を、己の口で塞ぐ。
 それから、
「すぐに、取り戻してやる」
 そう、言った。



「どうやって、探す?」
「糸を追う」 
「糸?」
「ああ……白蝉には話していないが、あの琵琶に糸をつけてある」
 しっ――と、口に指を当てる。
 きょろきょろと、忙しなく目が、動く。
 主なき庵は、どこか寂しげであった。
「見つけたぁ」
 にたりと、三日月の如く、唇を釣り上げる。
 その視界に、細い糸が目に入った。
 自分以外にわからぬ、細い糸。
 きちちと鳴くと、黒之丞は走り出した。
 すぐに、黒之助も後を追った。
「どう見る?」
 黒之丞が、走りながら尋ねた。
「恐ろしく強き妖か、とてつもなく弱き妖か。その、どちらかであろうよ。赤犬は……それなりに、番として信がおける。土地神の守なのだから。お前が、白蝉殿を任せられるのだしな」
 ふっと、黒之丞が笑った。
「……俺も、そう思う。恐らく、後者だろうともな」
「何?」
「前者なれば、お前の主が気付かぬはずはない」
「……確かに」
 頷けることであった。
 それに……姫様が、いる。
 そういうことには頭領以上の力をみせる、姫様が。
「名もない妖が、面白半分にやったことか」
「……後悔させてくれる」
 ふと、思い出した。
 思い出して、ふと口にした。
「……二人で動くことなど、久し振りだな」
「ああ……久しいな」
「白蝉殿は……お前の?」
 餌だと、黒之丞は言った。
 そんなわけが、ない。黒之丞も自分も、昔から人は食わなかった。
「……多分、多分、恋人なのだろう」
「曖昧だな、その言い方」
「言ったわけではないんだ。俺が、そう思っているだけかもしれない」
「ふーん」
「そうだな。前に、人の短い一生を、俺と共に過ごしたいとか言っていた」
「……お前は、その時なんと答えたんだ?」
「そうじゃないのか、と」
「……」
 琵琶に集中しようと、黒之助は思った。