あやかし姫~琵琶泥棒(3)~
「糸が」
黒之助が、小さく呟いた。
邪魔な枝を、ぐんと伸びたる虫の脚で刈り取り、
「近づいている」
そう、言った。
銀色に光る糸が、黒之助の目にも見え始めていた。
大気を揺れ踊る糸は、次第に太くなりつつある。
琵琶に近づいている証、であった。
「許せぬなぁ」
赤い森を泳ぐ銀糸を見やりながら、黒之助は姫様のことを考えた。
「大丈夫ですよ」
そう言って、気丈に振る舞っていた。
本当は、辛いだろうに。それが、分かる。手に取るように分かる。
だから……辛い。
火羅を、寺に入れるということ。
そこまで、考えていなかったのだ。
鬼の王の娘が、どのような想いを抱いているかまで、考えが至らなかったのだ。
至ったところで、姫様が病の妖狼を拒絶するとは思えないが。
「……どうしようも、なかったということか」
「ぬ?」
「いや……こちらのことだ」
疲れた笑顔を見るのは……もう、嫌だ。
いつもの笑顔が、見たかった。
「お主の言う通りかな」
「……さっきの、お前の姫君の話か」
「そうだ。やはり、直接会って話をするしかないのかな」
不思議と、自分にも懐いてくれていた。
秘密を……秘密を共用してからは。姫様も銀狐も河童の仔も知らない、秘密。
鬼の身に宿る、癒しの力。
優しい娘なのだ。
姫様に似た、優しい娘だ。人を癒す術を、学び始めていた。
自分の力に頼らない、技術を。それは、姫様と同じであった。
「そうか」
戸惑っているのかもしれないと、黒之助は思った。
火羅と赤麗のことを、わかっているのだ。
あの子は、母を病で亡くし、叔父が、傷を負っている。
たとえ、憎い妖狼といえども……病のものを、見過ごせるわけが、ない。
二つの気持ちがせめぎ合い、それでどうしようも出来なくて……ぷっつりと、文を送ることを、止めた。
「……のかな」
そうだろうと、確信に近い想いを、黒之助は抱いていた。
「森を抜ける……そこで、終わらせるぞ」
「おうよ」
少し、晴れやかな気持ちになった。
文を、したためようと思った。鬼ヶ城に送る、文を。
森が途切れる。
原。
風に、低い草がそよぐ。
二人が、身構える。
琵琶があった。女が、手にしていた。
髪の短い、切れ長の目をした女であった。
「さっきからしつこく追ってきてるのは……あんた達だね」
女が、言う。
瞳孔が、きゅっと細くなった。
「三下が……この泥棒小町、美鏡様を捕まえようなんざ、百年早いんだよ」
くわりと、口が裂けた。
着物の裾から、尾が、伸びる。
金色の尾であった。
女の顔が、狐の顔になる。
同時に、指の間に挟まれた右五本、左五本の竹管から、光の帯が伸びた。
光の帯は、獣の顔をとり、きしゃあと二人に吠えた。
金狐の牙の合間から、燐光が立ち上る。
それは、葉子が時折見せるそれとは、幾分毛色が違っていた。
もっと、弱い色。
「金狐に」
「管狐か」
管狐――管に住まう、狐の妖である。
「へへ……ほらよ。に、逃げるなら今のうちだよ」
狐の顔は、若干引きつっていた。
管狐達も、威嚇するだけであった。
「やはり、後者か」
「へ?」
黒之丞の姿が消える。
金狐も、管狐達も、気持ち悪そうにきょろきょろと辺りを見回した。
ふっと、日が、消えた。
空を見上げる。
大きな瞳と、目が、あった。
巨大な影を作りし、巨大な蟲。
狐の女はぺたんと尻餅つくと、小さく悲鳴をあげた。
「さて……琵琶を渡してから食われるのと、食われてから琵琶を渡すのと、どちらがいいだろう? なぁ、三下」
巨大な蜘蛛が、嬉しそうにきちちと鳴いた。
黒之助が、小さく呟いた。
邪魔な枝を、ぐんと伸びたる虫の脚で刈り取り、
「近づいている」
そう、言った。
銀色に光る糸が、黒之助の目にも見え始めていた。
大気を揺れ踊る糸は、次第に太くなりつつある。
琵琶に近づいている証、であった。
「許せぬなぁ」
赤い森を泳ぐ銀糸を見やりながら、黒之助は姫様のことを考えた。
「大丈夫ですよ」
そう言って、気丈に振る舞っていた。
本当は、辛いだろうに。それが、分かる。手に取るように分かる。
だから……辛い。
火羅を、寺に入れるということ。
そこまで、考えていなかったのだ。
鬼の王の娘が、どのような想いを抱いているかまで、考えが至らなかったのだ。
至ったところで、姫様が病の妖狼を拒絶するとは思えないが。
「……どうしようも、なかったということか」
「ぬ?」
「いや……こちらのことだ」
疲れた笑顔を見るのは……もう、嫌だ。
いつもの笑顔が、見たかった。
「お主の言う通りかな」
「……さっきの、お前の姫君の話か」
「そうだ。やはり、直接会って話をするしかないのかな」
不思議と、自分にも懐いてくれていた。
秘密を……秘密を共用してからは。姫様も銀狐も河童の仔も知らない、秘密。
鬼の身に宿る、癒しの力。
優しい娘なのだ。
姫様に似た、優しい娘だ。人を癒す術を、学び始めていた。
自分の力に頼らない、技術を。それは、姫様と同じであった。
「そうか」
戸惑っているのかもしれないと、黒之助は思った。
火羅と赤麗のことを、わかっているのだ。
あの子は、母を病で亡くし、叔父が、傷を負っている。
たとえ、憎い妖狼といえども……病のものを、見過ごせるわけが、ない。
二つの気持ちがせめぎ合い、それでどうしようも出来なくて……ぷっつりと、文を送ることを、止めた。
「……のかな」
そうだろうと、確信に近い想いを、黒之助は抱いていた。
「森を抜ける……そこで、終わらせるぞ」
「おうよ」
少し、晴れやかな気持ちになった。
文を、したためようと思った。鬼ヶ城に送る、文を。
森が途切れる。
原。
風に、低い草がそよぐ。
二人が、身構える。
琵琶があった。女が、手にしていた。
髪の短い、切れ長の目をした女であった。
「さっきからしつこく追ってきてるのは……あんた達だね」
女が、言う。
瞳孔が、きゅっと細くなった。
「三下が……この泥棒小町、美鏡様を捕まえようなんざ、百年早いんだよ」
くわりと、口が裂けた。
着物の裾から、尾が、伸びる。
金色の尾であった。
女の顔が、狐の顔になる。
同時に、指の間に挟まれた右五本、左五本の竹管から、光の帯が伸びた。
光の帯は、獣の顔をとり、きしゃあと二人に吠えた。
金狐の牙の合間から、燐光が立ち上る。
それは、葉子が時折見せるそれとは、幾分毛色が違っていた。
もっと、弱い色。
「金狐に」
「管狐か」
管狐――管に住まう、狐の妖である。
「へへ……ほらよ。に、逃げるなら今のうちだよ」
狐の顔は、若干引きつっていた。
管狐達も、威嚇するだけであった。
「やはり、後者か」
「へ?」
黒之丞の姿が消える。
金狐も、管狐達も、気持ち悪そうにきょろきょろと辺りを見回した。
ふっと、日が、消えた。
空を見上げる。
大きな瞳と、目が、あった。
巨大な影を作りし、巨大な蟲。
狐の女はぺたんと尻餅つくと、小さく悲鳴をあげた。
「さて……琵琶を渡してから食われるのと、食われてから琵琶を渡すのと、どちらがいいだろう? なぁ、三下」
巨大な蜘蛛が、嬉しそうにきちちと鳴いた。