小説置き場2

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あやかし姫~琵琶泥棒(3)~

「糸が」
 黒之助が、小さく呟いた。
 邪魔な枝を、ぐんと伸びたる虫の脚で刈り取り、
「近づいている」
 そう、言った。
 銀色に光る糸が、黒之助の目にも見え始めていた。
 大気を揺れ踊る糸は、次第に太くなりつつある。
 琵琶に近づいている証、であった。
「許せぬなぁ」
 赤い森を泳ぐ銀糸を見やりながら、黒之助は姫様のことを考えた。
「大丈夫ですよ」
 そう言って、気丈に振る舞っていた。
 本当は、辛いだろうに。それが、分かる。手に取るように分かる。
 だから……辛い。
 火羅を、寺に入れるということ。
 そこまで、考えていなかったのだ。
 鬼の王の娘が、どのような想いを抱いているかまで、考えが至らなかったのだ。
 至ったところで、姫様が病の妖狼を拒絶するとは思えないが。
「……どうしようも、なかったということか」
「ぬ?」
「いや……こちらのことだ」
 疲れた笑顔を見るのは……もう、嫌だ。
 いつもの笑顔が、見たかった。
「お主の言う通りかな」
「……さっきの、お前の姫君の話か」
「そうだ。やはり、直接会って話をするしかないのかな」
 不思議と、自分にも懐いてくれていた。
 秘密を……秘密を共用してからは。姫様も銀狐も河童の仔も知らない、秘密。
 鬼の身に宿る、癒しの力。
 優しい娘なのだ。
 姫様に似た、優しい娘だ。人を癒す術を、学び始めていた。
 自分の力に頼らない、技術を。それは、姫様と同じであった。
「そうか」
 戸惑っているのかもしれないと、黒之助は思った。
 火羅と赤麗のことを、わかっているのだ。
 あの子は、母を病で亡くし、叔父が、傷を負っている。
 たとえ、憎い妖狼といえども……病のものを、見過ごせるわけが、ない。
 二つの気持ちがせめぎ合い、それでどうしようも出来なくて……ぷっつりと、文を送ることを、止めた。
「……のかな」
 そうだろうと、確信に近い想いを、黒之助は抱いていた。
「森を抜ける……そこで、終わらせるぞ」
「おうよ」
 少し、晴れやかな気持ちになった。
 文を、したためようと思った。鬼ヶ城に送る、文を。



 森が途切れる。
 原。
 風に、低い草がそよぐ。
 二人が、身構える。
 琵琶があった。女が、手にしていた。
 髪の短い、切れ長の目をした女であった。
「さっきからしつこく追ってきてるのは……あんた達だね」
 女が、言う。
 瞳孔が、きゅっと細くなった。
「三下が……この泥棒小町、美鏡様を捕まえようなんざ、百年早いんだよ」
 くわりと、口が裂けた。
 着物の裾から、尾が、伸びる。
 金色の尾であった。
 女の顔が、狐の顔になる。
 同時に、指の間に挟まれた右五本、左五本の竹管から、光の帯が伸びた。
 光の帯は、獣の顔をとり、きしゃあと二人に吠えた。
 金狐の牙の合間から、燐光が立ち上る。
 それは、葉子が時折見せるそれとは、幾分毛色が違っていた。
 もっと、弱い色。
「金狐に」
「管狐か」
 管狐――管に住まう、狐の妖である。
「へへ……ほらよ。に、逃げるなら今のうちだよ」
 狐の顔は、若干引きつっていた。
 管狐達も、威嚇するだけであった。
「やはり、後者か」
「へ?」
 黒之丞の姿が消える。
 金狐も、管狐達も、気持ち悪そうにきょろきょろと辺りを見回した。
 ふっと、日が、消えた。
 空を見上げる。
 大きな瞳と、目が、あった。
 巨大な影を作りし、巨大な蟲。
 狐の女はぺたんと尻餅つくと、小さく悲鳴をあげた。
「さて……琵琶を渡してから食われるのと、食われてから琵琶を渡すのと、どちらがいいだろう? なぁ、三下」
 巨大な蜘蛛が、嬉しそうにきちちと鳴いた。