あやかし姫~琵琶泥棒(終)~
「……結局、何をしたかったんだ? あの金狐」
「戻りたかったんだよ、きっと……白蝉さんの琵琶が、その背中を押したんだよ」
「そういうもんか」
「そういうもんだよ……葉子さんって、凄いね」
縁側に座る妖狼と姫様。
秋の夜風が、藤袴や撫子をそよがせる。
満ちようとする、黄色の月。
二人の間には、唐菓子とお茶と冷酒が置かれていた。
「そりゃあな。九尾の銀狐が一筆したためりゃあ、大方の稲荷神はいうこと聞くさ。葉子は……玉藻御前の直系だしよ」
美鏡は、葉子がしたためた文を持って古寺を出て行った。
元の鞘に戻れるよう文を書いて、それに、自分の毛を一本付け加えた。
姐さんと呼んでいいですか?
真面目な顔でそう言って、葉子を唖然とさせていた。
「そういえば、そうですよね」
姫様が、茶に手を伸ばす。
涼しくなってきたこの時期は、冷たい茶よりも、温かい茶の方が好みであった。
「あいつは……上位の妖だぞ」
狐の妖で、葉子の上に位置するのは玉藻御前だけだ。
同格は何匹かいるが、上に位置するのは。
「太郎さんもそうだよね」
「俺?」
「火羅さんが言ってた。妖狼の中で、一番強いって」
「どうだろう……北の長よりは強いだろうが。南の狼にも、強い奴がいるって聞くし」
姫様は、少し言ったことを後悔した。
「クロさんは……ん、ん?」
「ありゃあ、天狗より強い烏天狗ってことで有名なんだそうだ」
烏天狗が大天狗に認められ、天狗となる。
黒之助は、それを延々と蹴り続けていた。
「身近だし、大妖の方々とも親しくさせてもらっているから、あんまりそう思わないけど……凄い人ばかりなんだ」
ふーっと一度冷ましてから、口をつける。
太郎も、冷えていることを確かめてから、酒を口に含んだ。
「私は……何なのでしょうか」
白蝉の、問い。
それは、姫様の問いでもあった。
妖に育てられし人の娘。
古寺の姫君。
ちょっと過保護な妖に囲まれた少女。
――それだけじゃ、ない。あるわけが、ない。
「姫様は姫様だし……」
「私は、私、」
難しいことですよ。
「黒之助……嬉々として文を送ってたけど、どうなのかな?」
「見せてくれなかったけど……返事がくる。そう思います」
「だから、こうやって待ってるのか」
姫様は答えず、
「明日は、秋雨」
とだけ呟き、手を伸ばした。
月光蝶が空を泳いでいた。
雲は、薄くたなびくだけ。それでも、姫様には雨だと思えた。
「やっぱり、白蝉さんと黒之丞さんは仲良いですね」
「ありゃあ、夫婦になったってことだよな。にしても黒之丞ってのは……無表情で」
「どこがですか? すっごく恥ずかしそうにしてましたよ」
「……あれぇ?」
「もう、太郎さん、どこ見てたんですか」
姫様も、恥ずかしそうにして。
思いだし、暖かくなり、ほころんで。
あの二人なら、長く、一緒に歩んでいける。
苦手だと言うと、白蝉さん、一生懸命良いところをあげてくれた、褒めていた。
黒之丞さんが、本当に好きなんだよ。
「姫様が、鳥肌たててなかった」
妖狼がまた、酒を喉に送った。
「そういえば……」
自分では、気付かなかった。
太郎に言われて、気が付いた。
「そんなもんかな」
空になった杯を置く。今日は、この一杯でいい。
「……琵琶の音が聞こえてきそうな夜です」
妖狼には、よく分からなかった。静かな夜。二人の夜。
適当な相槌を打ってごまかす。
そこまで、なくていいのだ。
月と少し元気になった姫様がいれば、今宵は満足であった。
「白蝉さんの奏でる音は、本当に良いものなのでしょうね」
「しらねぇ……あ、葉子よりは上手いはず」
くすくすと、姫様が微笑んだ。
「一度、聞いてみないといけませんね」
出来れば――朱桜ちゃんと。
「そうだな――」
姫様の表情を窺う。
柔らかい表情であった。
冷たさはない。暖かみだけがある。
あの女の、色はない。
「どうしました?」
別に……
姫様と目が合うと、太郎は恥ずかしげに俯いた。
「文……」
姫様が言うのと同じくして、庭に、ぽとりと巻物が落ちた。
草履を履いて、とてとてと歩き、
「朱桜ちゃんからです」
クロさんへ、だそうですよ。
――縁側に戻る。
姫様は、腰を下ろさなかった。
「また、仲良くしてくれるかな?」
「今も、姉妹みたいなもんだろ」
「どうだろう……」
だと、いいね。
残りを飲み干し、空の器を手に持った。
「お菓子、置いておくね」
「おう」
手紙。
じっと我慢し、居間に残して。
台所に置き、二人の部屋に向かう。
「……私は……」
廊下で立ち止まり、小声で言う。
「太郎さんの……妻です」
うんと桃色の頬を押さえながら、姫様は嬉しそうに歩いていった。
「戻りたかったんだよ、きっと……白蝉さんの琵琶が、その背中を押したんだよ」
「そういうもんか」
「そういうもんだよ……葉子さんって、凄いね」
縁側に座る妖狼と姫様。
秋の夜風が、藤袴や撫子をそよがせる。
満ちようとする、黄色の月。
二人の間には、唐菓子とお茶と冷酒が置かれていた。
「そりゃあな。九尾の銀狐が一筆したためりゃあ、大方の稲荷神はいうこと聞くさ。葉子は……玉藻御前の直系だしよ」
美鏡は、葉子がしたためた文を持って古寺を出て行った。
元の鞘に戻れるよう文を書いて、それに、自分の毛を一本付け加えた。
姐さんと呼んでいいですか?
真面目な顔でそう言って、葉子を唖然とさせていた。
「そういえば、そうですよね」
姫様が、茶に手を伸ばす。
涼しくなってきたこの時期は、冷たい茶よりも、温かい茶の方が好みであった。
「あいつは……上位の妖だぞ」
狐の妖で、葉子の上に位置するのは玉藻御前だけだ。
同格は何匹かいるが、上に位置するのは。
「太郎さんもそうだよね」
「俺?」
「火羅さんが言ってた。妖狼の中で、一番強いって」
「どうだろう……北の長よりは強いだろうが。南の狼にも、強い奴がいるって聞くし」
姫様は、少し言ったことを後悔した。
「クロさんは……ん、ん?」
「ありゃあ、天狗より強い烏天狗ってことで有名なんだそうだ」
烏天狗が大天狗に認められ、天狗となる。
黒之助は、それを延々と蹴り続けていた。
「身近だし、大妖の方々とも親しくさせてもらっているから、あんまりそう思わないけど……凄い人ばかりなんだ」
ふーっと一度冷ましてから、口をつける。
太郎も、冷えていることを確かめてから、酒を口に含んだ。
「私は……何なのでしょうか」
白蝉の、問い。
それは、姫様の問いでもあった。
妖に育てられし人の娘。
古寺の姫君。
ちょっと過保護な妖に囲まれた少女。
――それだけじゃ、ない。あるわけが、ない。
「姫様は姫様だし……」
「私は、私、」
難しいことですよ。
「黒之助……嬉々として文を送ってたけど、どうなのかな?」
「見せてくれなかったけど……返事がくる。そう思います」
「だから、こうやって待ってるのか」
姫様は答えず、
「明日は、秋雨」
とだけ呟き、手を伸ばした。
月光蝶が空を泳いでいた。
雲は、薄くたなびくだけ。それでも、姫様には雨だと思えた。
「やっぱり、白蝉さんと黒之丞さんは仲良いですね」
「ありゃあ、夫婦になったってことだよな。にしても黒之丞ってのは……無表情で」
「どこがですか? すっごく恥ずかしそうにしてましたよ」
「……あれぇ?」
「もう、太郎さん、どこ見てたんですか」
姫様も、恥ずかしそうにして。
思いだし、暖かくなり、ほころんで。
あの二人なら、長く、一緒に歩んでいける。
苦手だと言うと、白蝉さん、一生懸命良いところをあげてくれた、褒めていた。
黒之丞さんが、本当に好きなんだよ。
「姫様が、鳥肌たててなかった」
妖狼がまた、酒を喉に送った。
「そういえば……」
自分では、気付かなかった。
太郎に言われて、気が付いた。
「そんなもんかな」
空になった杯を置く。今日は、この一杯でいい。
「……琵琶の音が聞こえてきそうな夜です」
妖狼には、よく分からなかった。静かな夜。二人の夜。
適当な相槌を打ってごまかす。
そこまで、なくていいのだ。
月と少し元気になった姫様がいれば、今宵は満足であった。
「白蝉さんの奏でる音は、本当に良いものなのでしょうね」
「しらねぇ……あ、葉子よりは上手いはず」
くすくすと、姫様が微笑んだ。
「一度、聞いてみないといけませんね」
出来れば――朱桜ちゃんと。
「そうだな――」
姫様の表情を窺う。
柔らかい表情であった。
冷たさはない。暖かみだけがある。
あの女の、色はない。
「どうしました?」
別に……
姫様と目が合うと、太郎は恥ずかしげに俯いた。
「文……」
姫様が言うのと同じくして、庭に、ぽとりと巻物が落ちた。
草履を履いて、とてとてと歩き、
「朱桜ちゃんからです」
クロさんへ、だそうですよ。
――縁側に戻る。
姫様は、腰を下ろさなかった。
「また、仲良くしてくれるかな?」
「今も、姉妹みたいなもんだろ」
「どうだろう……」
だと、いいね。
残りを飲み干し、空の器を手に持った。
「お菓子、置いておくね」
「おう」
手紙。
じっと我慢し、居間に残して。
台所に置き、二人の部屋に向かう。
「……私は……」
廊下で立ち止まり、小声で言う。
「太郎さんの……妻です」
うんと桃色の頬を押さえながら、姫様は嬉しそうに歩いていった。