小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

益州騒乱(5)~二人破れて、二人は一緒に~

「申し訳ありません、散らかっていて……」

「い、いやぁ」

 あははと、張飛は落ち着きなく視線を彷徨わせた。

 散らかっている、なんてもんじゃない。盗人が入ったとかそういうレベルじゃない。

「ま、まあ、あれだ。おお」

「これで、趙雲を叱れなくなった……」

「お、おおお?」

 液体がぶち撒かれた壁を見つめて。

 陳到の顔。まともに見れない。正面から向かえない。初めてだった。

 素顔を見るのは。

「あの子、いつも部屋散らかしてるから……」

「そ、そうだな。あいつ、いっつも部屋汚ねぇな」

 幾度となく陳到に注意されたが、なかなか直らなかった。

張飛殿のせいでもあります……貴方も、部屋が汚い……」

「あは、あはは……」

 そうだっけなぁ……そうかもなぁ。

「そうですよ……あの子は、真似をしているんです……」

「以後、気を付けます」

「今日……お師さんに言われましたよ……」

 張飛は――ゆっくりと、陳到の方に目をやった。

「どうして、逃げた?」

「……お師さんに、おかしなことを言われて……」

 青痣が動いた。ほのかな灯りの、影を帯びながら。

「あいつ……ぶっ殺す!」

 血が、昇った。

 本当に血が昇った。顔、真っ赤だろうと思った。

 我を忘れた自分を、冷静に見ている自分がいた。

「ちょ、張飛殿……」

「前から気に入らなかったんだ! 丁度良い! ここいらでぶった切ってやらぁ!!!」

 本気だった。今なら、楽にあいつに勝てる。

 腕は、認めていた。それでも、今なら、楽にこの蛇矛で真っ二つに出来る。

 ――今なら、出来る。

「……嬉しかったんですよ……」

 血が、引いた。

「嬉しかったんですよ、不思議なことに……」



「とまぁ、そういうわけだ」

 からからと笑うと、徐庶は、真っ赤な趙雲の肩に手を廻した。

「焦れったくてなぁ。そう思わないか?」

「えっと……それは、ですね……」

「思わないだろう?」

「……」

「好きだったんだろう、陳到のこと?」

「……僕は……」

 顔を真っ赤にしたまま、趙雲は、うんともすんとも答えなかった。

 手を離し、草むらに寝っ転がると、徐庶は雑草を引きちぎった。

「へ、」

 草をくわえる。夜空を、月が移動していく。

「僕は……お二人が一緒になったらいいなぁって、思います」

「……ませガキが」

 ころんと、趙雲も横になった。

 南の星は、北とはまた違って見えた。

 濡れているのだ。

徐庶さんはどうなんですか?」

「俺?」

 変なことを、訊くなぁ。

「そうだな……あいつは、俺の馬鹿弟子だ」

 腕を、組んだ。

 南でも、夜の風は冷たいと、徐庶は思った。



「おかしなことをと思いました……その言葉に、腹を立てました……でも、そこに確かに、嬉しがっている私がいたんです……」

「ち、陳到……」

「それで訳が……訳が分からなくなって……もう、どうにもならなくなって……気が付いたら、走り出していて……」

「……」

「言ってしまいますね……楽に、なりたいんです……こんなのは、もう、嫌なんです……」

 ごくりと、唾を飲み込んだ。

 荒れた、部屋。

 蛇矛を持つ手が、汗に濡れていた。

「私は……張飛殿のことを、好きなようです」

 陳到の声は、小さい。

 繊細な声であった。

 張飛の耳に、確かに届いた。

張飛殿は、お優しい方です。私のような者ではなく、ずっとふさわしい方が、いると思います……今も、いるのかもしれない……でも、言ってしまいますね。苦しいんですよ……言わないと、ずっと苦しいんですよ、多分……」

「お、俺は……」

「ごめんなさい。嫌ですよね、こんな醜い私などと……でも、いいんです。どうか、今日行ったことは忘れて下さい……願わくば、明日からもこの軍にいさせて下さい。一兵卒でいいんです。私には、そういう生き方しかできませんから……」

 胸の壁が、すっと消えたような気がした。

 これで、いいのだ。

 きっと、これでいいのだ。

 勝手な想いだ。それでも……いい。

「お、俺で……俺で、いいのかよ」

「……?」

「俺でいいのかなって」

「はい……?」

陳到は、優しいし、美人だし、俺と違って頭も良いし、腕も立つし……俺で、いいの?」

「……ご冗談」

「冗談なんて……今は、言わねえよ」

「を……」

「何だよ、糞、俺は徐庶に感謝しねえといけねえのか! あんな奴に! かっ!」

「……? ……??」

「ああ、俺も好きだよ! 陳到のこと好きだよ! ずっと好きだったよ!」

「……は?」

「お、俺でいいんだな! 俺は、がさつだぞ! 乱暴だぞ!」

「……はい……」

「あ、頭悪いぞ! 部屋、汚いぞ!」

「……はい」

「酒癖も悪いし、毛深いぞ!」

「はい!」

「でも……」

「はい?」

陳到のこと、一番好きなのは、俺だ。胸張って言ってやる。大兄貴にも、小兄貴にも、文句は言わせねぇ!」

「私も……張飛殿のことが……」




「流れ星だぁ」

 綺麗じゃねえか。

陳到お姉さんと張飛さんの門出をお祝いしてるんです、きっと」

 二人とも、お幸せに…… 

 南の星空は、趙雲にはやっぱり濡れて見えた。