益州騒乱(5)~二人破れて、二人は一緒に~
「申し訳ありません、散らかっていて……」
「い、いやぁ」
あははと、張飛は落ち着きなく視線を彷徨わせた。
散らかっている、なんてもんじゃない。盗人が入ったとかそういうレベルじゃない。
「ま、まあ、あれだ。おお」
「これで、趙雲を叱れなくなった……」
「お、おおお?」
液体がぶち撒かれた壁を見つめて。
陳到の顔。まともに見れない。正面から向かえない。初めてだった。
素顔を見るのは。
「あの子、いつも部屋散らかしてるから……」
「そ、そうだな。あいつ、いっつも部屋汚ねぇな」
幾度となく陳到に注意されたが、なかなか直らなかった。
「張飛殿のせいでもあります……貴方も、部屋が汚い……」
「あは、あはは……」
そうだっけなぁ……そうかもなぁ。
「そうですよ……あの子は、真似をしているんです……」
「以後、気を付けます」
「今日……お師さんに言われましたよ……」
張飛は――ゆっくりと、陳到の方に目をやった。
「どうして、逃げた?」
「……お師さんに、おかしなことを言われて……」
青痣が動いた。ほのかな灯りの、影を帯びながら。
「あいつ……ぶっ殺す!」
血が、昇った。
本当に血が昇った。顔、真っ赤だろうと思った。
我を忘れた自分を、冷静に見ている自分がいた。
「ちょ、張飛殿……」
「前から気に入らなかったんだ! 丁度良い! ここいらでぶった切ってやらぁ!!!」
本気だった。今なら、楽にあいつに勝てる。
腕は、認めていた。それでも、今なら、楽にこの蛇矛で真っ二つに出来る。
――今なら、出来る。
「……嬉しかったんですよ……」
血が、引いた。
「嬉しかったんですよ、不思議なことに……」
「とまぁ、そういうわけだ」
からからと笑うと、徐庶は、真っ赤な趙雲の肩に手を廻した。
「焦れったくてなぁ。そう思わないか?」
「えっと……それは、ですね……」
「思わないだろう?」
「……」
「好きだったんだろう、陳到のこと?」
「……僕は……」
顔を真っ赤にしたまま、趙雲は、うんともすんとも答えなかった。
手を離し、草むらに寝っ転がると、徐庶は雑草を引きちぎった。
「へ、」
草をくわえる。夜空を、月が移動していく。
「僕は……お二人が一緒になったらいいなぁって、思います」
「……ませガキが」
ころんと、趙雲も横になった。
南の星は、北とはまた違って見えた。
濡れているのだ。
「徐庶さんはどうなんですか?」
「俺?」
変なことを、訊くなぁ。
「そうだな……あいつは、俺の馬鹿弟子だ」
腕を、組んだ。
南でも、夜の風は冷たいと、徐庶は思った。
「おかしなことをと思いました……その言葉に、腹を立てました……でも、そこに確かに、嬉しがっている私がいたんです……」
「ち、陳到……」
「それで訳が……訳が分からなくなって……もう、どうにもならなくなって……気が付いたら、走り出していて……」
「……」
「言ってしまいますね……楽に、なりたいんです……こんなのは、もう、嫌なんです……」
ごくりと、唾を飲み込んだ。
荒れた、部屋。
蛇矛を持つ手が、汗に濡れていた。
「私は……張飛殿のことを、好きなようです」
陳到の声は、小さい。
繊細な声であった。
張飛の耳に、確かに届いた。
「張飛殿は、お優しい方です。私のような者ではなく、ずっとふさわしい方が、いると思います……今も、いるのかもしれない……でも、言ってしまいますね。苦しいんですよ……言わないと、ずっと苦しいんですよ、多分……」
「お、俺は……」
「ごめんなさい。嫌ですよね、こんな醜い私などと……でも、いいんです。どうか、今日行ったことは忘れて下さい……願わくば、明日からもこの軍にいさせて下さい。一兵卒でいいんです。私には、そういう生き方しかできませんから……」
胸の壁が、すっと消えたような気がした。
これで、いいのだ。
きっと、これでいいのだ。
勝手な想いだ。それでも……いい。
「お、俺で……俺で、いいのかよ」
「……?」
「俺でいいのかなって」
「はい……?」
「陳到は、優しいし、美人だし、俺と違って頭も良いし、腕も立つし……俺で、いいの?」
「……ご冗談」
「冗談なんて……今は、言わねえよ」
「を……」
「何だよ、糞、俺は徐庶に感謝しねえといけねえのか! あんな奴に! かっ!」
「……? ……??」
「ああ、俺も好きだよ! 陳到のこと好きだよ! ずっと好きだったよ!」
「……は?」
「お、俺でいいんだな! 俺は、がさつだぞ! 乱暴だぞ!」
「……はい……」
「あ、頭悪いぞ! 部屋、汚いぞ!」
「……はい」
「酒癖も悪いし、毛深いぞ!」
「はい!」
「でも……」
「はい?」
「陳到のこと、一番好きなのは、俺だ。胸張って言ってやる。大兄貴にも、小兄貴にも、文句は言わせねぇ!」
「私も……張飛殿のことが……」
「流れ星だぁ」
綺麗じゃねえか。
「陳到お姉さんと張飛さんの門出をお祝いしてるんです、きっと」
二人とも、お幸せに……
南の星空は、趙雲にはやっぱり濡れて見えた。
「い、いやぁ」
あははと、張飛は落ち着きなく視線を彷徨わせた。
散らかっている、なんてもんじゃない。盗人が入ったとかそういうレベルじゃない。
「ま、まあ、あれだ。おお」
「これで、趙雲を叱れなくなった……」
「お、おおお?」
液体がぶち撒かれた壁を見つめて。
陳到の顔。まともに見れない。正面から向かえない。初めてだった。
素顔を見るのは。
「あの子、いつも部屋散らかしてるから……」
「そ、そうだな。あいつ、いっつも部屋汚ねぇな」
幾度となく陳到に注意されたが、なかなか直らなかった。
「張飛殿のせいでもあります……貴方も、部屋が汚い……」
「あは、あはは……」
そうだっけなぁ……そうかもなぁ。
「そうですよ……あの子は、真似をしているんです……」
「以後、気を付けます」
「今日……お師さんに言われましたよ……」
張飛は――ゆっくりと、陳到の方に目をやった。
「どうして、逃げた?」
「……お師さんに、おかしなことを言われて……」
青痣が動いた。ほのかな灯りの、影を帯びながら。
「あいつ……ぶっ殺す!」
血が、昇った。
本当に血が昇った。顔、真っ赤だろうと思った。
我を忘れた自分を、冷静に見ている自分がいた。
「ちょ、張飛殿……」
「前から気に入らなかったんだ! 丁度良い! ここいらでぶった切ってやらぁ!!!」
本気だった。今なら、楽にあいつに勝てる。
腕は、認めていた。それでも、今なら、楽にこの蛇矛で真っ二つに出来る。
――今なら、出来る。
「……嬉しかったんですよ……」
血が、引いた。
「嬉しかったんですよ、不思議なことに……」
「とまぁ、そういうわけだ」
からからと笑うと、徐庶は、真っ赤な趙雲の肩に手を廻した。
「焦れったくてなぁ。そう思わないか?」
「えっと……それは、ですね……」
「思わないだろう?」
「……」
「好きだったんだろう、陳到のこと?」
「……僕は……」
顔を真っ赤にしたまま、趙雲は、うんともすんとも答えなかった。
手を離し、草むらに寝っ転がると、徐庶は雑草を引きちぎった。
「へ、」
草をくわえる。夜空を、月が移動していく。
「僕は……お二人が一緒になったらいいなぁって、思います」
「……ませガキが」
ころんと、趙雲も横になった。
南の星は、北とはまた違って見えた。
濡れているのだ。
「徐庶さんはどうなんですか?」
「俺?」
変なことを、訊くなぁ。
「そうだな……あいつは、俺の馬鹿弟子だ」
腕を、組んだ。
南でも、夜の風は冷たいと、徐庶は思った。
「おかしなことをと思いました……その言葉に、腹を立てました……でも、そこに確かに、嬉しがっている私がいたんです……」
「ち、陳到……」
「それで訳が……訳が分からなくなって……もう、どうにもならなくなって……気が付いたら、走り出していて……」
「……」
「言ってしまいますね……楽に、なりたいんです……こんなのは、もう、嫌なんです……」
ごくりと、唾を飲み込んだ。
荒れた、部屋。
蛇矛を持つ手が、汗に濡れていた。
「私は……張飛殿のことを、好きなようです」
陳到の声は、小さい。
繊細な声であった。
張飛の耳に、確かに届いた。
「張飛殿は、お優しい方です。私のような者ではなく、ずっとふさわしい方が、いると思います……今も、いるのかもしれない……でも、言ってしまいますね。苦しいんですよ……言わないと、ずっと苦しいんですよ、多分……」
「お、俺は……」
「ごめんなさい。嫌ですよね、こんな醜い私などと……でも、いいんです。どうか、今日行ったことは忘れて下さい……願わくば、明日からもこの軍にいさせて下さい。一兵卒でいいんです。私には、そういう生き方しかできませんから……」
胸の壁が、すっと消えたような気がした。
これで、いいのだ。
きっと、これでいいのだ。
勝手な想いだ。それでも……いい。
「お、俺で……俺で、いいのかよ」
「……?」
「俺でいいのかなって」
「はい……?」
「陳到は、優しいし、美人だし、俺と違って頭も良いし、腕も立つし……俺で、いいの?」
「……ご冗談」
「冗談なんて……今は、言わねえよ」
「を……」
「何だよ、糞、俺は徐庶に感謝しねえといけねえのか! あんな奴に! かっ!」
「……? ……??」
「ああ、俺も好きだよ! 陳到のこと好きだよ! ずっと好きだったよ!」
「……は?」
「お、俺でいいんだな! 俺は、がさつだぞ! 乱暴だぞ!」
「……はい……」
「あ、頭悪いぞ! 部屋、汚いぞ!」
「……はい」
「酒癖も悪いし、毛深いぞ!」
「はい!」
「でも……」
「はい?」
「陳到のこと、一番好きなのは、俺だ。胸張って言ってやる。大兄貴にも、小兄貴にも、文句は言わせねぇ!」
「私も……張飛殿のことが……」
「流れ星だぁ」
綺麗じゃねえか。
「陳到お姉さんと張飛さんの門出をお祝いしてるんです、きっと」
二人とも、お幸せに……
南の星空は、趙雲にはやっぱり濡れて見えた。