あやかし姫~彼岸の月(3)~
台所から見える空は、もう、茜色になっていた。
この頃は、日が落ちるのが随分と早くなってきて。
赤蜻蛉がふわりと入り、目の前を掠め、また、ふわりと出ていった。
「あったあった」
食材は三日分用意してある。
足りなくなることは、多分ないはず。
もしも足りなくなったら、買いに下りればいい。
姫様は、秋刀魚を二尾、棚から取り出した。
取れたて、生もの。
今が旬、であった。
「んー、柚子取って下さい」
「あいよー」
お箸の付喪神がちょこんと跳ね、柚子の実を一つつまんで持ってきた。
黄色い実には、葉が一枚付いていた。
受け取り、匂いを嗅ぐと、
「いい子いい子」
そう言って、こんもり盛られた飴玉の山から、青色の飴を一つその妖に渡した。
嬉しそうに妖が跳ねる。
姫様は笑みを零すと、煙を漏らすお釜の蓋を開けた。
ご飯は、帰る前に、葉子が炊いてくれていた。
「あ、真っ白」
今日は珍しく白米であった。中を確認すると、熱が逃げないようにと蓋を閉めた。
「あとは、お魚を焼くだけですね……」
七輪、よーし。
網、よーし。
炭、よーし。
団扇もよーし。
ふと周りを見やり、姫様は眉をひそめた。
火羅の気配を探る。部屋で、白刃といた。居間で、庭を見ている。
その周りには、妖の気配は何もなかった。
「皆、ここにいるんだね」
姫様が、言った。
「んだよー」
「うん」
「うんうん」
「姫様、マモルー」
「守るー」
「……そうなんだ」
白い子狼。膝の上ですやすやと眠っていた。
「紛らわしい子」
ちょっと取り乱してしまった。
いや、あの子がいけないのだ。
そう、そうに決まってる!
夕ご飯の準備をすると言って、あの娘は出ていってしまった。
小妖達は、誰も自分に寄ってこなかった。
きっと、あの娘と一緒にいるのだろう。
随分と嫌われたことだと、火羅は思った。
「……何よ」
今頃、彼岸の宴を一族は催しているだろうか。
西は派手好きであった。
三日三晩、宴は続く。
それに参加する気にはなれなかった。喧騒に耐えられなかった。
「白刃?」
目を開けると膝から降り、とことこと足音を立てて火羅から離れていった。
「貴方も、離れていくの」
その姿を追おうともせず、火羅は呟き、じっと庭を見やった。
ひぐらしが、遠くの方で鳴いていた。
一匹――。
夏が過ぎ、仲間はいなくなったのだろう。
秋の虫に混じって聞こえてくる蝉の音色は、もの悲しく聞こえた。
赤麗は、この庭が好きだった。
火羅も、嫌いではなかった。
飽きもせずに、二人で眺めたものだった。
野の息吹をそのまま移したような、それでいて、どこか意思が感じられるような、そんな庭だった。
「寂しいわね」
あの娘に送った言葉を、火羅は、繰り返した。
「火羅さん」
「……何?」
後ろを向いた。
子犬を抱えた少女が、そこに立っていた。
両の手の平を合わす。白刃の姿が、すうっと消えた。
消さないでほしかったな。そう、火羅は思った。
口には出さなかった。
式神を長い時間使えば、それだけ疲労も溜まる。
あんなに小さくてもこの娘の力を食うだろう。
それに――私とこの娘は、敵同士なのだ。多分。
それから、姫様は、
「夕ご飯の準備、手伝ってもらえませんか?」
そう、火羅に言った。
「……私が?」
「はい。火をお借りしたいんですよ」
「火? 別にいいけど……」
「じゃあ、よろしくお願いします」
ちょこんと、お辞儀をした。
ああ、うん――
曖昧に返事すると、火羅は立ち上がった。
「火ね……何するの?」
「秋刀魚を焼くんです」
「そう」
「火羅さんの分もありますからね」
「あるの?」
「もちろんありますよ」
「ふうん」
あるんだ……てっきり、ないものだと思ってた。
「どうしてですか?」
「だって……私は、妖だもの。食べなくても別に困らないから」
「お客様にはお出しする。それがここの決まりなのです」
「そうなの」
そうなんだ。
そういえば、いつも三人で食べていたっけ。
手を、引っ張られた。
行きますよ――
そう、言われた。
うん――
不思議そうな顔をした火羅は、その手を、台所に着くまで離そうとはしなかった。
この頃は、日が落ちるのが随分と早くなってきて。
赤蜻蛉がふわりと入り、目の前を掠め、また、ふわりと出ていった。
「あったあった」
食材は三日分用意してある。
足りなくなることは、多分ないはず。
もしも足りなくなったら、買いに下りればいい。
姫様は、秋刀魚を二尾、棚から取り出した。
取れたて、生もの。
今が旬、であった。
「んー、柚子取って下さい」
「あいよー」
お箸の付喪神がちょこんと跳ね、柚子の実を一つつまんで持ってきた。
黄色い実には、葉が一枚付いていた。
受け取り、匂いを嗅ぐと、
「いい子いい子」
そう言って、こんもり盛られた飴玉の山から、青色の飴を一つその妖に渡した。
嬉しそうに妖が跳ねる。
姫様は笑みを零すと、煙を漏らすお釜の蓋を開けた。
ご飯は、帰る前に、葉子が炊いてくれていた。
「あ、真っ白」
今日は珍しく白米であった。中を確認すると、熱が逃げないようにと蓋を閉めた。
「あとは、お魚を焼くだけですね……」
七輪、よーし。
網、よーし。
炭、よーし。
団扇もよーし。
ふと周りを見やり、姫様は眉をひそめた。
火羅の気配を探る。部屋で、白刃といた。居間で、庭を見ている。
その周りには、妖の気配は何もなかった。
「皆、ここにいるんだね」
姫様が、言った。
「んだよー」
「うん」
「うんうん」
「姫様、マモルー」
「守るー」
「……そうなんだ」
白い子狼。膝の上ですやすやと眠っていた。
「紛らわしい子」
ちょっと取り乱してしまった。
いや、あの子がいけないのだ。
そう、そうに決まってる!
夕ご飯の準備をすると言って、あの娘は出ていってしまった。
小妖達は、誰も自分に寄ってこなかった。
きっと、あの娘と一緒にいるのだろう。
随分と嫌われたことだと、火羅は思った。
「……何よ」
今頃、彼岸の宴を一族は催しているだろうか。
西は派手好きであった。
三日三晩、宴は続く。
それに参加する気にはなれなかった。喧騒に耐えられなかった。
「白刃?」
目を開けると膝から降り、とことこと足音を立てて火羅から離れていった。
「貴方も、離れていくの」
その姿を追おうともせず、火羅は呟き、じっと庭を見やった。
ひぐらしが、遠くの方で鳴いていた。
一匹――。
夏が過ぎ、仲間はいなくなったのだろう。
秋の虫に混じって聞こえてくる蝉の音色は、もの悲しく聞こえた。
赤麗は、この庭が好きだった。
火羅も、嫌いではなかった。
飽きもせずに、二人で眺めたものだった。
野の息吹をそのまま移したような、それでいて、どこか意思が感じられるような、そんな庭だった。
「寂しいわね」
あの娘に送った言葉を、火羅は、繰り返した。
「火羅さん」
「……何?」
後ろを向いた。
子犬を抱えた少女が、そこに立っていた。
両の手の平を合わす。白刃の姿が、すうっと消えた。
消さないでほしかったな。そう、火羅は思った。
口には出さなかった。
式神を長い時間使えば、それだけ疲労も溜まる。
あんなに小さくてもこの娘の力を食うだろう。
それに――私とこの娘は、敵同士なのだ。多分。
それから、姫様は、
「夕ご飯の準備、手伝ってもらえませんか?」
そう、火羅に言った。
「……私が?」
「はい。火をお借りしたいんですよ」
「火? 別にいいけど……」
「じゃあ、よろしくお願いします」
ちょこんと、お辞儀をした。
ああ、うん――
曖昧に返事すると、火羅は立ち上がった。
「火ね……何するの?」
「秋刀魚を焼くんです」
「そう」
「火羅さんの分もありますからね」
「あるの?」
「もちろんありますよ」
「ふうん」
あるんだ……てっきり、ないものだと思ってた。
「どうしてですか?」
「だって……私は、妖だもの。食べなくても別に困らないから」
「お客様にはお出しする。それがここの決まりなのです」
「そうなの」
そうなんだ。
そういえば、いつも三人で食べていたっけ。
手を、引っ張られた。
行きますよ――
そう、言われた。
うん――
不思議そうな顔をした火羅は、その手を、台所に着くまで離そうとはしなかった。