あやかし姫~彼岸の月(5)~
「いただきます」
「いただきます」
二人、正座し向かい合って、夕ご飯。
今日の献立は、
銀狐が炊いてくれた白米、
河童の子が届けてくれた胡瓜のお漬け物、
お手伝いのお礼にと月心にわけてもらったしめじのお吸い物、
そして――火羅に焼いてもらった、秋刀魚の塩焼き、柚子付き。
小妖達の分は……なし。
姫様は、骨から身を外し始めた。
お吸い物を飲みながら。
がりぼりと音がした。
妖狼の姫君――秋刀魚を、丸かじり。身も、骨も。
にょきりと伸びた、犬歯が見えた。
鋭く尖り、光沢を帯びて。
太郎さんと同じ、妖狼なんだもんね。そう、姫様は思った。
ごふっ、ごふっ、っと、火羅が咳いた。
喉に骨が引っ掛かったらしい。
頭のついた半分を皿の上に戻すと、ご飯を掻き込み白湯を流し込んだ。
ほっとした表情を浮かべると、秋刀魚とにらめっこを。
それから、火羅もお吸い物をすすった。
「骨が引っ掛かったんですか?」
姫様が尋ねた。
「ち、違うわよ!」
火羅が答えた。
きちんと骨は取ろうと姫様は思った。
鴉が鳴き始めた。
そろそろ、月心の小屋から子供達が帰る時間。
姫様は、庭の方を見やった。黒い鳥が二羽、首を傾げている。
それから、ばさりと飛び去った。
クロさん、いないもんね――
今、烏天狗は、ここにはいない。
銀狐も、ここにはいない。
太郎も、頭領も。
妖達も、たくさんたくさん姿が欠けている。
いるのは、この妖狼の姫君――そう思うと、少し不思議な感じがした。
自分が、彼岸の間、ここにいてもいいと言ったのだけど……やっぱり少し、不思議な感じがした。
「ご飯、おかわりしていい?」
火羅が訊いた。
姫様が頷くと、嬉々として火羅は、自分の椀によそいはじめた。
早いなぁ、食べるの。
違うか。私がゆっくりなんだよね。
白月ちゃんにも、言われたなぁ。
柚子を絞る。
口に含む。
秋の、海の幸。柚子の匂いも、広がる。
ほどよい焼き加減であった。
「秋刀魚、美味しい?」
「ええ」
「私の火がよかったのね」
「そうですね」
姫様の言葉に機嫌を良くしたのだろう。火羅は、ごろごろと嬉しげに喉を転がすと、あーむと秋刀魚の残りを一呑みにした。
今度はよく噛んでいる。
「その頭ちょーだい」
「いいですよ」
返事が終わるか終わらないかのうちに、ぱしゅんと風が起こった。
姫様の秋刀魚の頭は、火羅の獣の手の上に。
ぽいと放り投げると、ごくんと呑みやった。
続けて白湯を飲み干すと、膝を崩し、くつろいだ姿勢になる。
これで、ごちそうさまというわけで。
まだまだ姫様はお食事中。半分も終わっていない。
火羅が、ふっと視線を自分の隣に落とした。
どこか、寂しげな眼差しであった。
赤麗を見ていると、姫様は思った。いつも、二人は並んで食事をしていた。
丁度今、火羅が視線を落としている場所に赤髪の少女は座っていた。
秋刀魚、美味しいと思った。
「満腹ー」
そう、火羅は独りごちていた。
気怠げに、真紅の髪を摘む。
姫様が、ふぅっと満足げに息を吐いた。
火羅は、姫様が食べ終わるまで居間にいた。何をするでなく、ただ、じっとしていた。
「お片づけー」
「片付けー」
「運ぶー」
妖達が言う。
姫様がお膳を持ち上げた。小妖達が色々と持ち上げた。
火羅も、自分のお膳を持ち上げた。
「あ……」
いいのにと姫様が。
「自分で運ぶわ」
すたすたと歩き始める。
火羅が、先頭。
お膳を置くと、火羅はどこかへ行ってしまった。
洗い物まではしないらしい。
らしいなと姫様は思った。気配を探ろうとはしなかった。
どこに行ったのかは想像がついていた。
「弱気……」
ぽつりと、姫様が呟いた。
広いお風呂場。
七・八人ぐらいなら楽に入れそうな。
檜作りに、大きな浴槽。
湯煙。
少女は、一糸纏わぬ姿であった。黄色い泡が身体を覆っていた。
お湯で泡を流す。漆黒の髪が、白い肌に貼り付いた。
「ごめんって……」
夕ご飯を作っているときのことを思い出す。
火羅が謝ることは珍しかった。
それも、本当に謝っているのは。
手早く髪をまとめると、風呂に身体を浸した。
じんわりと、血の巡りがよくなるのを感じる。ほかほくと身体が暖まっていくのを感じる。
湯加減どう? と、外から声が。いいよと、姫様はお風呂当番の妖に答えた。
「入ってもいい?」
「いいよ……って、え?」
今の声は……この感じは……。
からりと音がして、誰かが入ってくる気配が。
顔を向ける。
呆然と姫様は、火羅の『立派』な躯を見やった。
「……」
「なに?」
「……」
くっ、こ、この歴然たる差は……。
ああ、でも、これは変化だし……。
う、ううう――
というか、私がぁ。私だけが。
葉子さんもそうだし、鈴鹿御前様もそうだし、沙羅ちゃんも、実は……。
みんな、みんな! もう!
い、いっぱい食べればいいの? そ、そうなの?
でも、ゆっくりだけど、いっぱい食べてるよ!?
さっぱり成長しないんですけど!?
ぺたぺたと、自分の身体を触る。
こ、これは……色々と、わ、分けて欲しい……。
いや、でも、太郎さんは気にしてない?
ど、どうなんだろう……気にしてないのかな?
で、でも磨夜さんが……。
先程は気にしていないと強く言い張ってみたが、姫様きちんと気にしていて。
あっちやこっちに思考が飛ぶ。
そして、しばし、姫様は見惚れてしまった。
「なに、なんなの……」
薄気味悪そうに肩を竦めると、火羅は姫様に背を向けた。
「あ……」
これで、二度目、であった。
その傷を見るのは。
火傷の痕。
阿蘇の火龍の爪痕。
火羅の、焼け爛れた背。
「貴方には、もう、見せてるからね」
ぱしゃりと湯をかぶると、火羅はぶるぶると頭を振った。
少し考える仕草をすると、姫様は壁に手をつけ、呪を唱えた。
「結界ね」
壁に触れる。光の筋が、幾つも奔った。
これで二人きり、であった。
「気をつかってもらって悪いわね」
「あ、ええ」
「なに、さっきから……そんなに背中の傷が気になるの?」
「……」
「……ふふーん……」
感づかれたと姫様は思った。
「なるほどね」
近づいてくる。
嫌でも目に入る。そして、目を離せない。
どうして谷間があるんだろうという素朴な疑問が湧いた。
豊かな胸も、豊かな腰つきも、自分にはないものだった。
圧倒される。貧相な身体が恨めしいと、思わずそう考えてしまった。
「頑張れ」
べちゃんと、火羅の顔に湯が飛ぶ。
気にするふうでなく、おほほほと高笑いする。
涙目でふーふー息を吐くと、鼻までお風呂に浸した。
白い肌が紅潮する。
あったまったせい、ではなかった。
ぶくぶくと、泡。
また背を向けると、鼻歌交じりに火羅は躯を洗い始めた。
「いただきます」
二人、正座し向かい合って、夕ご飯。
今日の献立は、
銀狐が炊いてくれた白米、
河童の子が届けてくれた胡瓜のお漬け物、
お手伝いのお礼にと月心にわけてもらったしめじのお吸い物、
そして――火羅に焼いてもらった、秋刀魚の塩焼き、柚子付き。
小妖達の分は……なし。
姫様は、骨から身を外し始めた。
お吸い物を飲みながら。
がりぼりと音がした。
妖狼の姫君――秋刀魚を、丸かじり。身も、骨も。
にょきりと伸びた、犬歯が見えた。
鋭く尖り、光沢を帯びて。
太郎さんと同じ、妖狼なんだもんね。そう、姫様は思った。
ごふっ、ごふっ、っと、火羅が咳いた。
喉に骨が引っ掛かったらしい。
頭のついた半分を皿の上に戻すと、ご飯を掻き込み白湯を流し込んだ。
ほっとした表情を浮かべると、秋刀魚とにらめっこを。
それから、火羅もお吸い物をすすった。
「骨が引っ掛かったんですか?」
姫様が尋ねた。
「ち、違うわよ!」
火羅が答えた。
きちんと骨は取ろうと姫様は思った。
鴉が鳴き始めた。
そろそろ、月心の小屋から子供達が帰る時間。
姫様は、庭の方を見やった。黒い鳥が二羽、首を傾げている。
それから、ばさりと飛び去った。
クロさん、いないもんね――
今、烏天狗は、ここにはいない。
銀狐も、ここにはいない。
太郎も、頭領も。
妖達も、たくさんたくさん姿が欠けている。
いるのは、この妖狼の姫君――そう思うと、少し不思議な感じがした。
自分が、彼岸の間、ここにいてもいいと言ったのだけど……やっぱり少し、不思議な感じがした。
「ご飯、おかわりしていい?」
火羅が訊いた。
姫様が頷くと、嬉々として火羅は、自分の椀によそいはじめた。
早いなぁ、食べるの。
違うか。私がゆっくりなんだよね。
白月ちゃんにも、言われたなぁ。
柚子を絞る。
口に含む。
秋の、海の幸。柚子の匂いも、広がる。
ほどよい焼き加減であった。
「秋刀魚、美味しい?」
「ええ」
「私の火がよかったのね」
「そうですね」
姫様の言葉に機嫌を良くしたのだろう。火羅は、ごろごろと嬉しげに喉を転がすと、あーむと秋刀魚の残りを一呑みにした。
今度はよく噛んでいる。
「その頭ちょーだい」
「いいですよ」
返事が終わるか終わらないかのうちに、ぱしゅんと風が起こった。
姫様の秋刀魚の頭は、火羅の獣の手の上に。
ぽいと放り投げると、ごくんと呑みやった。
続けて白湯を飲み干すと、膝を崩し、くつろいだ姿勢になる。
これで、ごちそうさまというわけで。
まだまだ姫様はお食事中。半分も終わっていない。
火羅が、ふっと視線を自分の隣に落とした。
どこか、寂しげな眼差しであった。
赤麗を見ていると、姫様は思った。いつも、二人は並んで食事をしていた。
丁度今、火羅が視線を落としている場所に赤髪の少女は座っていた。
秋刀魚、美味しいと思った。
「満腹ー」
そう、火羅は独りごちていた。
気怠げに、真紅の髪を摘む。
姫様が、ふぅっと満足げに息を吐いた。
火羅は、姫様が食べ終わるまで居間にいた。何をするでなく、ただ、じっとしていた。
「お片づけー」
「片付けー」
「運ぶー」
妖達が言う。
姫様がお膳を持ち上げた。小妖達が色々と持ち上げた。
火羅も、自分のお膳を持ち上げた。
「あ……」
いいのにと姫様が。
「自分で運ぶわ」
すたすたと歩き始める。
火羅が、先頭。
お膳を置くと、火羅はどこかへ行ってしまった。
洗い物まではしないらしい。
らしいなと姫様は思った。気配を探ろうとはしなかった。
どこに行ったのかは想像がついていた。
「弱気……」
ぽつりと、姫様が呟いた。
広いお風呂場。
七・八人ぐらいなら楽に入れそうな。
檜作りに、大きな浴槽。
湯煙。
少女は、一糸纏わぬ姿であった。黄色い泡が身体を覆っていた。
お湯で泡を流す。漆黒の髪が、白い肌に貼り付いた。
「ごめんって……」
夕ご飯を作っているときのことを思い出す。
火羅が謝ることは珍しかった。
それも、本当に謝っているのは。
手早く髪をまとめると、風呂に身体を浸した。
じんわりと、血の巡りがよくなるのを感じる。ほかほくと身体が暖まっていくのを感じる。
湯加減どう? と、外から声が。いいよと、姫様はお風呂当番の妖に答えた。
「入ってもいい?」
「いいよ……って、え?」
今の声は……この感じは……。
からりと音がして、誰かが入ってくる気配が。
顔を向ける。
呆然と姫様は、火羅の『立派』な躯を見やった。
「……」
「なに?」
「……」
くっ、こ、この歴然たる差は……。
ああ、でも、これは変化だし……。
う、ううう――
というか、私がぁ。私だけが。
葉子さんもそうだし、鈴鹿御前様もそうだし、沙羅ちゃんも、実は……。
みんな、みんな! もう!
い、いっぱい食べればいいの? そ、そうなの?
でも、ゆっくりだけど、いっぱい食べてるよ!?
さっぱり成長しないんですけど!?
ぺたぺたと、自分の身体を触る。
こ、これは……色々と、わ、分けて欲しい……。
いや、でも、太郎さんは気にしてない?
ど、どうなんだろう……気にしてないのかな?
で、でも磨夜さんが……。
先程は気にしていないと強く言い張ってみたが、姫様きちんと気にしていて。
あっちやこっちに思考が飛ぶ。
そして、しばし、姫様は見惚れてしまった。
「なに、なんなの……」
薄気味悪そうに肩を竦めると、火羅は姫様に背を向けた。
「あ……」
これで、二度目、であった。
その傷を見るのは。
火傷の痕。
阿蘇の火龍の爪痕。
火羅の、焼け爛れた背。
「貴方には、もう、見せてるからね」
ぱしゃりと湯をかぶると、火羅はぶるぶると頭を振った。
少し考える仕草をすると、姫様は壁に手をつけ、呪を唱えた。
「結界ね」
壁に触れる。光の筋が、幾つも奔った。
これで二人きり、であった。
「気をつかってもらって悪いわね」
「あ、ええ」
「なに、さっきから……そんなに背中の傷が気になるの?」
「……」
「……ふふーん……」
感づかれたと姫様は思った。
「なるほどね」
近づいてくる。
嫌でも目に入る。そして、目を離せない。
どうして谷間があるんだろうという素朴な疑問が湧いた。
豊かな胸も、豊かな腰つきも、自分にはないものだった。
圧倒される。貧相な身体が恨めしいと、思わずそう考えてしまった。
「頑張れ」
べちゃんと、火羅の顔に湯が飛ぶ。
気にするふうでなく、おほほほと高笑いする。
涙目でふーふー息を吐くと、鼻までお風呂に浸した。
白い肌が紅潮する。
あったまったせい、ではなかった。
ぶくぶくと、泡。
また背を向けると、鼻歌交じりに火羅は躯を洗い始めた。