小説置き場2

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あやかし姫~彼岸の月(8)~

「火羅さん、朝ご飯の用意ができましたよ」
 赤い尾が揺れている。
 全く反応しない。布団に身体を突き刺したまま。
 手を腰につけると、姫様はずんずんと火羅に近づいていった。
「朝ご飯」
「もう、いや」
「いや?」
「私が、本当にそ、そんなことしたの?」
「腕枕ー」
 火羅の口調を真似る。
 妖狼が布団から頭を出した。
 赤くない。
 今は、蒼白。
「したんです」
 ちょっぴり意地悪だったかなっと思った。
「……信じられない」 
「私もびっくりしました」
「きっと疲れてたのね」
「そうかもしれませんね」
「違うわ」
 さらりと、否定――
 きょとんとし、むっとする。
 自分で言っておいて、その言いぐさはと。
「じゃあ、一体」
「教えない」
 火羅の顔色が、徐々に落ち着いてきていた。
 これなら、朝ご飯の用意、無駄にしないですむかもしれない。
「誰にも言わないでね」
 他言無用よ。
「それは、はい」
 互いに秘密を握り合っている。
 姫様は、二つ。火羅は、一つ。
 背、衣、狼。
 そして、これで、姫様が握る秘め事は三つになった。
「後で行くから先に食べてて」
「……わかりました」
 

 去っていく。少し、ほっとした。一度も目を合わせられなかった。
 最悪だ――
 何をしているんだと自分に腹をたてた。
 添い寝をしてもらった!?
 腕枕ー!? 
 それを、あの娘に? 幼い子供じゃあるまいに!
 でも……わかる気がした。
 寂しいのだ。
 認めたくないが、自分は寂しいのだ。
 布団の中で、茹だつ頭で考えた。
 ずっと、一人で生きてきた。一人で強くあろうとしてきた。
 それが、西の妖狼の次の長としての責務だと思って。
 幼少の頃より、火羅は一人だった。
 思い起こし、深く深く記憶を辿っても、火羅は一人だった。
 当たり前だと思っていた。
 それが変わったのは、ある娘が従者となったときだった。
 二人になった。
 二人になり、別れ、また一人になった。
 そして、寂しさを覚えた。覚えてしまった。
 いないのだと、いなくなってしまったのだと気が付いてしまった。
 自分を「妖狼の姫君」ではなく、「火羅」として見てくれる者が。
 探した。探して、見つけた。
 この古寺に、一人、見つけた。
 「火羅」として見てくれる人の子が。
 だから、わかる気がした。寂しいから、彩花に甘えた。
 甘えてよい存在なのだ。
 だって自分は、彩花の前では「妖狼の姫君」じゃなくてもいいのだから。
 ただの「火羅」なのだから。
 目が醒めたとき、いい匂いがした。一瞬だけ、確かに嗅いだ。
 それは……かすかに記憶に残る、母親の匂い――
「……くだらない」
 ふわっと顔が浮かんだ。
 笑っている顔だった。
 かぁっと、身体が燃えるように熱くなる。
 いやいやいやと尻尾を振り、その笑顔を打ち消そうとした。
 離れてくれない。
 目を閉じる。瞼の裏に貼り付いている。
「そ、そんなことって」
 んにゃーっと火羅は頭を抱えた。 



「なんかこえーなぁ」
「うん、恐い」
「恐い恐い」
 火羅が、居間に入ってきた。姫様は箸を止め、湯を注ぎ椀に麦飯をよそった。
 無言で座り、無言で食べ始めた。
 妖が囁く。押し殺した声で囁きあう。
 昨日とはどこか雰囲気が違っていた。
 姫様は、気にしていないようであった。   
 いつも通り、ゆっくり食べている。
 素早く食事を平らげると、火羅は姫様の方をじっと見やった。
 ちょっと姫様が気にするそぶりを。
 そっぽを向く。
 姫様が食べ始めると、火羅はまた、姫様の方をじっと見やった。



「これからどうするの?」
「お昼、塩大福にしようかなって」
「あの甘味処?」
「ええ」
「それまでは?」
 考える。
 何も浮かばなかった。
 薬も札も、在庫が大量。
 読みかけの本もない。
「したいことあります?」
「別にないわ」
「……ぼーっとする」
「何それ」
「日向ぼっこですね」
 それでいいかと、火羅は思った。



「で、何してるの貴方」
「えーっと」
 姫様の目が泳ぐ。
 火羅が詰問する。
 小筆を持ったまま、誤魔化すように笑った。
「ぼーっとするんじゃないの?」
「……歌を、ちょっと」
「歌」
「ええ、ええ」
「作るんだ」
「見せませんよ」
 短冊を抱え込んだ。
「見せてとはいってないわ」
「言おうとしたでしょ?」
「さあ、どうだろう」
 とぼけていると姫様は思った。
 居間は暖かであった。
 夏のよう、とまではいかないが、今日は早秋らしい一日になりそうであった。
「ねえ、白刃をだして」
「白刃……」
「お願い」
 嫌だなぁっと姫様は思った。
 手の平を合わせ、お願いと火羅。
 文字を描き、渋々白刃を喚ぶ。
 未熟な術を披露したくなかったのに、断ろうと思えば断れたであろうに、姫様はそうしなかった。
「はぁ」
 溜息。
 案の定、己の未熟さが現れる。
 火羅が、満足そうな顔で子狼の名前を呼んだ。優しい声であった。
 主人の顔をくーんと見上げ、許しを請う。
 姫様が頷くと、とてとてと火羅に擦り寄った。
 微笑ましいと思った。
「……眠いですね」
 欠伸をする。
 ぽかぽか陽気に、起床時の騒動。術の疲れにちょうど満腹。
 歌作りに集中しようとするも、だんだん耐えられなくなってきた。
 うっつらうっつら。
 少し、少しだけ目を瞑ろうと姫様は思った。



 目を開ける。火羅と目があった。火羅の後ろには天井があった。
 眠ってしまったのかと姫様は思った。
 頭の後ろに、熱を感じた。
 火羅が、近い。すごく近い。
 それも、道理であった。
「膝……膝枕……」
 うつらうつらする姫様に手を差し伸べると、火羅は自分の膝に姫様を誘った。
 小白刃を抱えたまま、そのままの姿勢で姫様の寝顔をじっと見ていた。
 妖達は、お、おおと見ていることしかできなかった。
 何より、姫様が嫌がるそぶりを見せなかったのだ。
「勘違いしないでよ」
 照れてると姫様は思った。
 庭の陰りで時間を計る。もう、お昼。
「塩大福、食べに行きますか」
「いいわよ」