小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~月の蝶(5)~

 ぽつり、ぽつりと足音が生まれる。
 妖の気配が鮮やかに、月明かりに浮かびあがる。
 古び汚れた衣をまとう男達。皆、肌に血管の様な黒い紋様が浮き上がっていた。
 火羅を刺した男の後ろに歩を進めると、姫様を見やり、火羅を見やり、それから男の方を見やった。
「あのものは?」
「知らぬ」
 眠る姫様を見ながらそう言うと、男は、爪を塗る妖狼の血を舐めとった。
「捨ておきますか?」
 何かを期待するような眼差しを男に向ける。
「人を殺めると、大妖が騒がしい……」
 そうですかと、髪を一つに束ねた男が、残念そうに首を振った。
「騒がしいゆえ、捨ておいてもよいのだが、この女の知り人とみえる……力の、ある」
 扇を投げ打つと、鼻をひくひくと動かし、火羅がくわりと狼の牙を見せた。
 もっとも若い男が、それに対し、嘲るように唇の両端を釣り上げた。 
「美味であろうよ」
「では、」
 もっとも老いた男が、答えを確かめる。
 我慢できないというふうに、大きな男が長い髪を振り乱した。
「喰ろうても、よかろうよ」
「御意」
 男達が、嬉しげに吠えた。
 獰猛な吠え声が、山々に木霊した。
 吠えながら、男達は変化を始める。
 獣の耳が這い出、獣の尾が這い出、両手を地面につけると、みしりと内側より膨れ上がる。男達の肌が黄色い毛で覆われていく。
 獣が四頭、姿を現す。火羅を傷つけた男だけは、獣の姿をとらなかった。
「かっ」
 そして、獣が姿を現した刹那には、火羅も変化を終えていた。
 男達よりも遅く始め、男達よりも速く終え。
 自分の着物を焼き尽くしながら巨大な妖狼の姿に転じると、一頭の獣の横っ面に太い腕を叩き込んだ。
「かっ、かかっ!」
 吠える。
 木々を蹴散らし、地面を削り、火の粉を盛大に撒き散らすと、老いた男が転じた獣は動かなくなった。
「妖虎……」
 真紅の妖狼が口を開く。
 変じなかった男に、その赤い瞳を据えると、苦しげに言った。
 男達は、黄色い毛に、黒い紋様を浮かばせ、金色の瞳を輝かせる妖虎――虎の妖、であった。
 あっと口を開く間もなく仲間を倒され、一歩下がって身を竦ませている。
 一人、特に動じることもなく、半人半妖の姿を留める男は、火羅と視線を合わした。
「久し振りね、白刹天」
 白刹天と呼ばれた男は、自分の右目を封する傷に手をやった。
「傷、治してないのね」
 呆れたような口ぶりであった。
「消えなんだ……」
 男の言霊に、感情がこもった。それまで、静かで、落ち着いた口振りであったというのに。
 はっきりと、憎しみが滲み出でたのだ。
「消えなんだよこの傷は」
 お前のつけたこの傷は――
「死んだと思っていたけれど……」
 火羅は、二本の指があらぬ方向に曲がっている、自分の左手に目を落とした。
 胸が、苦しかった。
 胸が、痛かった。
 貫かれ、深い傷となっていた。 
「死なぬよ。なかなかに、死なぬ。なかなかに、機会に巡りあわなんだ。仲間も、減ってしまった。今日を、この日を、この時を、どれほど待っていたことかよ」
「しつこい男」
 その言葉に、そうだな、その通りだと自嘲するように笑うと、白刹天が妖の姿をとる。
 西の妖虎の一族にあって、その強さを謳われた、白き獣の姿へと。
 白毛が、月の光に照らし出される――白虎。
 あの太郎よりも二回りは大きい火羅と、全く遜色ない躯。
 虎と狼が睨み合う。
 焔が、揺らめく。
 真紅の妖狼が一、
 黄に黒の縞を持つ妖虎が三、
 白色の妖虎が一。
 豪と吠え合い、
 そして、
 そして、
 闇を、震わせた。



 西の妖虎は、今、西の妖狼と盟を結んでいる。
 傘下にあるといってよい。
 現長は、穏和であった。
 八百万の神々が一柱、阿蘇の火龍が玉藻御前に討たれてから、妖狼族は急速に勢力を伸ばし始めた。
 妖虎は、九州では有力な妖であった。
 しかし、かって肩を並べていたときとは比べものにならぬ勢力を築いた妖狼族に、無用な争いはいらぬと大人しく頭を垂れたのだ。
 従わぬ者もいた。
 一際大きく強さが抜きん出ていた白虎と、その取り巻き。
 彼らは、妖狼の姫の命を狙った。
 暗闘――
 現在、九州を統べるのは、大妖玉藻御前率いる九尾の一族と、西の妖狼を核とした勢力である。
 白虎は……負けたのだ。
 もう、何年前のことだろうかと、火羅は考えた。
 赤麗は、そのときにはいた。
 群れに囲まれた私を、必死に守ろうとしていた。滑稽に思いながら、そのいじらしさに嬉しくもあった。
 あの子は、何も知らなかったのだ。
 私は笑いながら、彼女を押しのけ、
「これでお終いよ」
 そう言うと合図を送った。
 包囲されたのは私達二人ではなく、煩わしい妖虎達で。
 右目に傷を負い、遁走する白虎。
 追う余力は、なかった。激しいぶつかりであった。
 懐かしい。
 懐かしいわ―― 



 半人半妖の娘が、空を見ていた。妖の証は、耳と尾だけ。あとは人の身。
 冷たい地面に腰を落とし、黄色黒色の獣に背中を預けて。
 何も身にまとってはいない。豊かな肢体をだらりと投げ出し、夜の空気に触れさせている。
 否――
 衣は纏ってはいないが、黒々と、赤々としたものを、べたりと体中にまとわりつかせていた。
 血塗られた娘の姿は、とてもとても凄惨で、とてもとても美しかった。