あやかし姫~雪のお宿(3)~
「彩花ちゃん、変わったか?」
「茨木童子様」
黒之助が、傍らに姿を見せた、美しい鬼に、そう、言った。
黒之丞がほぉっと目を細める。
白蝉の頭に乗る土地神が、ぺこりとお辞儀をした。
「少々、お疲れのようで……火羅や……言いにくいですが、」
「うちの姪っ子か。強情なところがあるからな。黒之助には、世話になった」
「いえ拙者だけではなく……白蝉殿も、黒之丞も、色々と力を貸してくれました」
「私はー?」
「……羽矢風殿、何かしました?」
「馬鹿ー!」
「黒之助。世話になったお前にこういうのもなんだが……気をつけろよ」
「は?」
烏天狗が、怪訝そうな表情を。茨木童子は、真剣に、言葉を選ぶ。
じりっと、憤怒を滲ませながら。
「朱桜に、あまりくっつくな」
「……は?」
「わからん奴だな。朱桜はまだ子供だ。それをいいことに、」
「茨木童子」
黒之丞が、鬼の名を呼んだ。
黒之助は、口をぽかんと開けていた。
「何だ」
「黒之助は、ただ、朱桜を心配していただけだ。それに、膝の上に乗せたり、背に乗せて空を飛ぶぐらいどうということは、」
「……お前、そんなことしたのか?」
「はぁ。朱桜殿にせがまれましたので」
白蝉の琵琶を聞いて、空を飛んで雲に乗って。
そうやって、鬼の幼子は庵で過ごしていた。
言葉数は、少なかった。
「……兄上の言うとおり、お前は、」
殺気が、飛んだ。
ぐっと、黒之丞が、虫の顎を表した。
「く、黒之丞さん」
「え、あの……」
「化け蜘蛛風情が、邪魔をするつもりか?」
「鵺に敗れ、大妖の座から滑り落ちた男が、何を言うか」
「……死にたいようだな」
「傷を広げてやる」
ゆらゆらと、両者の影が、姿を変える。
白蝉を後ろに隠すと、黒之助も姿を変じた。
「辞めるのです!」
小さな女の子が、急いで三人の間に入る。
それから――茨木童子の、つま先を、思いっきり踏んづけた。
「おーじーうーえー!」
充血した目が、吊り上がる。
「いや、その……」
「なーにやってるですか! 反省しなさい!」
「……はい」
「黒之助さん、黒之丞さん、叔父上のこと、ごめんなさいです」
「いや……いい」
毒気を抜かれたように人の姿に戻ると、黒之丞は、そう、言った。
本当に大妖の座を失ったのだなと思った。
茨木童子。大きな、鬼。垣間見せたそれは、巨大な力を窺わせた。
それが今は、鬼の子よりも、小さく見えた。
「白蝉さんも、黒之丞さんも、羽矢風さんも一緒に行くですね?」
黒之助は、鬼の子が走ってきた方を見やった。
姫様が、淡く笑っていた。朱桜に任せるつもりらしい。葉子と太郎が、心配そうに姫様を見ていた。
「ええ。朱桜さんのせっかくのお誘いですから」
「俺は、白蝉についていくだけだ」
「私はねー、暇だし」
土地神、暇なのかと黒之助は思った。それで、庵に入り浸っているのか。
「黒之助さん。お世話になったですよ」
「や、いや……気になさらずに」
「また、おにぎり持っていくですよ」
びきっと、茨木童子が拳をつくったが、朱桜が見やると、ちょろっと視線を動かし、すぐに手を開いた。
「出発は……」
姫様が歩み寄り、そう問いかけた。
沙羅が、きょろきょろと視線を動かしている。
二人が乗ってきたのは、一頭の鬼馬。これでこの人数を運ぶのは、無理があった。
「鈴鹿御前が、牛鬼をよこしてくれるはずだ。そろそろ、だろうよ。さっきから姿が見えないが、八霊は行かないのか?」
「頭領は、留守を守ると」
姫様の表情が、透明さを増した。そんな印象を、見る者に与えた。
残念がっていると思う者、別の考えを浮かべる者。様々、であった。
牛鬼が引っ張る車に乗る。牛鬼も車も、大きなものであった。きれいに男女別になる。
頭領は、出発する頃になって姿を見せた。
姫様に、
「この面々なら、心配ないとは思うが……気をつけるのじゃぞ」
そう言った。
姫様は、こくんと頷いた。
金銀妖瞳。
見せるべきか、見せないべきか。
どうしようか、どうしたらよいのか。
今日、ここを訪れるのは、大切な大切なお客様であった。
「う、うう……」
鬼が、いつも、楽しそうに嬉しそうに話していた人物と、初めて顔を合わす。
嫌われたらと、不安になる。
やはり、瞳は赤く染め上げたほうが……
「そう、そうですよね」
やまめは、瞳を紅くした。
これだけの大人数を迎えることは、初めてであった。
元々、極めて少ないのだが。
緊張した。
大人数で、とてもとても重要で。
失敗したら……よ、よそう。
「やまめさん、遅いっすね」
土鬼。宿で働く鬼達のまとめ役になっていた。
「こ、」
「こ?」
「恐い……」
「顔、真っ青っすよ!」
「ああ、」
手が、震えていた。
「が、頑張ろう……」
「う、うっす」
やれるだけのことは、やろう。
やれるだけのことを……。
もし、駄目だったら。
その時は、死のう。思い出を胸に抱えて。
「茨木童子様」
黒之助が、傍らに姿を見せた、美しい鬼に、そう、言った。
黒之丞がほぉっと目を細める。
白蝉の頭に乗る土地神が、ぺこりとお辞儀をした。
「少々、お疲れのようで……火羅や……言いにくいですが、」
「うちの姪っ子か。強情なところがあるからな。黒之助には、世話になった」
「いえ拙者だけではなく……白蝉殿も、黒之丞も、色々と力を貸してくれました」
「私はー?」
「……羽矢風殿、何かしました?」
「馬鹿ー!」
「黒之助。世話になったお前にこういうのもなんだが……気をつけろよ」
「は?」
烏天狗が、怪訝そうな表情を。茨木童子は、真剣に、言葉を選ぶ。
じりっと、憤怒を滲ませながら。
「朱桜に、あまりくっつくな」
「……は?」
「わからん奴だな。朱桜はまだ子供だ。それをいいことに、」
「茨木童子」
黒之丞が、鬼の名を呼んだ。
黒之助は、口をぽかんと開けていた。
「何だ」
「黒之助は、ただ、朱桜を心配していただけだ。それに、膝の上に乗せたり、背に乗せて空を飛ぶぐらいどうということは、」
「……お前、そんなことしたのか?」
「はぁ。朱桜殿にせがまれましたので」
白蝉の琵琶を聞いて、空を飛んで雲に乗って。
そうやって、鬼の幼子は庵で過ごしていた。
言葉数は、少なかった。
「……兄上の言うとおり、お前は、」
殺気が、飛んだ。
ぐっと、黒之丞が、虫の顎を表した。
「く、黒之丞さん」
「え、あの……」
「化け蜘蛛風情が、邪魔をするつもりか?」
「鵺に敗れ、大妖の座から滑り落ちた男が、何を言うか」
「……死にたいようだな」
「傷を広げてやる」
ゆらゆらと、両者の影が、姿を変える。
白蝉を後ろに隠すと、黒之助も姿を変じた。
「辞めるのです!」
小さな女の子が、急いで三人の間に入る。
それから――茨木童子の、つま先を、思いっきり踏んづけた。
「おーじーうーえー!」
充血した目が、吊り上がる。
「いや、その……」
「なーにやってるですか! 反省しなさい!」
「……はい」
「黒之助さん、黒之丞さん、叔父上のこと、ごめんなさいです」
「いや……いい」
毒気を抜かれたように人の姿に戻ると、黒之丞は、そう、言った。
本当に大妖の座を失ったのだなと思った。
茨木童子。大きな、鬼。垣間見せたそれは、巨大な力を窺わせた。
それが今は、鬼の子よりも、小さく見えた。
「白蝉さんも、黒之丞さんも、羽矢風さんも一緒に行くですね?」
黒之助は、鬼の子が走ってきた方を見やった。
姫様が、淡く笑っていた。朱桜に任せるつもりらしい。葉子と太郎が、心配そうに姫様を見ていた。
「ええ。朱桜さんのせっかくのお誘いですから」
「俺は、白蝉についていくだけだ」
「私はねー、暇だし」
土地神、暇なのかと黒之助は思った。それで、庵に入り浸っているのか。
「黒之助さん。お世話になったですよ」
「や、いや……気になさらずに」
「また、おにぎり持っていくですよ」
びきっと、茨木童子が拳をつくったが、朱桜が見やると、ちょろっと視線を動かし、すぐに手を開いた。
「出発は……」
姫様が歩み寄り、そう問いかけた。
沙羅が、きょろきょろと視線を動かしている。
二人が乗ってきたのは、一頭の鬼馬。これでこの人数を運ぶのは、無理があった。
「鈴鹿御前が、牛鬼をよこしてくれるはずだ。そろそろ、だろうよ。さっきから姿が見えないが、八霊は行かないのか?」
「頭領は、留守を守ると」
姫様の表情が、透明さを増した。そんな印象を、見る者に与えた。
残念がっていると思う者、別の考えを浮かべる者。様々、であった。
牛鬼が引っ張る車に乗る。牛鬼も車も、大きなものであった。きれいに男女別になる。
頭領は、出発する頃になって姿を見せた。
姫様に、
「この面々なら、心配ないとは思うが……気をつけるのじゃぞ」
そう言った。
姫様は、こくんと頷いた。
金銀妖瞳。
見せるべきか、見せないべきか。
どうしようか、どうしたらよいのか。
今日、ここを訪れるのは、大切な大切なお客様であった。
「う、うう……」
鬼が、いつも、楽しそうに嬉しそうに話していた人物と、初めて顔を合わす。
嫌われたらと、不安になる。
やはり、瞳は赤く染め上げたほうが……
「そう、そうですよね」
やまめは、瞳を紅くした。
これだけの大人数を迎えることは、初めてであった。
元々、極めて少ないのだが。
緊張した。
大人数で、とてもとても重要で。
失敗したら……よ、よそう。
「やまめさん、遅いっすね」
土鬼。宿で働く鬼達のまとめ役になっていた。
「こ、」
「こ?」
「恐い……」
「顔、真っ青っすよ!」
「ああ、」
手が、震えていた。
「が、頑張ろう……」
「う、うっす」
やれるだけのことは、やろう。
やれるだけのことを……。
もし、駄目だったら。
その時は、死のう。思い出を胸に抱えて。