小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~雪のお宿(4)~

 狼が一頭、尾を揺らし軽やかに雪の上を走っていた。
 全身を覆う、雪と同じ真っ白な毛。身体に布包みをくくりつけていた
「こっちだっけ」
 煙をたて、獣が変じ、少女の姿をとる。
 ふさりとした尾は、残したまま。
 北の妖狼――太郎の妹、咲夜であった。
「合ってると思うけど……」
 大きな木の根元で包みをほどくと、一枚の地図を見やり、一捻り。
 小柄な妖狼の一人旅。先程から、似たような景色が続く。
「うん、合ってる」
 雪が、落ちた。
 その方を見やり、ぐると唸り、牙を剥く。
 重みに枝が耐えきれなくなった――そう気がつくと、咲夜は警戒を解いた。
「ふぅ」
 油断は禁物であった。鬼姫から人をやろうかという話が来たが、咲夜は断った。
 古い、消えようとしている掟もあるが、何より一人旅が好きなのだ。
 あに様も、こうして立派な妖になったのだ。
 お宿。温泉。あに様。彩花さん。朱桜ちゃん。
 ほふっと笑みが漏れた。
「さぁ、もう一頑張り」
 目的地――咲夜、一番乗り。



咲夜さん、ですね」
 穏やかな物腰の女であった。
 白髪。
 女は、やまめと名乗った。
「はい。えっと、」
「外では寒うあります。とりあえず、中に」
 やまめが言い、案内するように歩き出すと、咲夜はとつとつ従った。
 宿――あまり、大きな建物ではなかった。大人数らしいけど、大丈夫なのだろうかと少し心配になる。
 まぁ、外で寝そべっても全然大丈夫なのだけれど。
 彩花さんや朱桜ちゃんは、駄目だな。凍えてしまう。人の身体は、脆いものだから。
 二人の歩みに、廊下がぎしぎしと鳴る。
 やまめさんは、何の妖だろう。さっきから、鬼の臭いが鼻をくすぐるけど、この人からじゃない。
「さ、咲夜さん、」
「はい?」
 やまめが立ち止まった。咲夜も立ち止まった。
 部屋についたのだろうか。
「あの……つかぬ事をお聞きしますが、」
 肩が震えていた。
 こちらを、見ない。
「今日お見えになる、西の鬼の姫君であられる、朱桜という方はご存じですか?」
「朱桜ちゃん? え、ええ」
「ど、どのような方ですか?」
 腕を掴まれ、勢いよく前後に振られる。
 白髪が、ゆらと立ち上がっていた。
 ああ――わかったと咲夜は思った。
 この人、山姥だ。
 そう思ったとき、ぞわりと、心之臓を鷲掴みにされたような感覚に襲われた。
 赤い瞳が、染め直されていた。
 金に、銀に。
 金銀妖瞳。
 咲夜の目に映る己が瞳の色に気づき、やまめは、離れ、顔を背けた。
 それから、赤い目で、片手で口を押さえながら、妖狼を見やった。
「朱桜ちゃんは……私の命の恩人です」
 今度は両手で口を押さえ。
 それから、おずおずと、尋ねた。
「私、その……」
「ああ、綺麗な瞳ですね」
 そう言うと、二度三度と首を振り、また、咲夜を見やった。
 怯え気味な視線に、咲夜の胸が少し痛んだ。
「あに様がそうなんで」
「妖狼の……た、太郎という方ですね」
 名前は、頭に入ってる。
 どのような人物かも、どのような繋がりを持つかも。
「ええ」
 咲夜は、平静を装いながら、内心驚き、揺れていた。あに様の時は、こんなことなかったのにと。
 すぐに、落ち着かせる。きっと、あに様だからだ。
「……朱桜様のお話、お聞かせ下さいませんでしょうか」
「いいですよ。朱桜ちゃんはですね、とっても可愛らしくてですね、勇気もあって、西の鬼の次代を担う素晴らしい方ですよ」
「……」
「私、火羅さんと――西の妖狼の長の娘さんなんですが、喧嘩になったことがありまして。火羅さん、私と違って、すっごくお強い方なんですが……あはは、命を落としかけまして」
「……」
「そこに現れたのが朱桜ちゃん。身を呈して救ってくれたんです。自分の見も顧みずに。いやぁ、格好良かったなぁ。まだ、小さいのに、いえ、小さいからこそ、かな。惚れ惚れしてしまいましたねぇ」
「……」
「火羅さんを一喝して、大きな力に怯まないで。はぁ、やっぱり違うなぁと思ったものでって……や、やまめさん?」
 若い山姥は、膝をつき、放心したように天井を見上げていた。
「無理……」
 私には、無理だ。西の鬼の姫君。
 あの酒呑童子の後を継ぐ者。
 ど、どうやったら、金銀妖瞳を持つ、私が、認められるというの。
 きっと、嫌だと言われる。茨木童子様には、もっとふさわしい方がいると。
 もしかしたら、殺されるかも……それで、いいかもしれない。身に合わぬ想いを抱いたのだ。
 捨てられる。
 殺される。
 出来れば、後者の方が良いと思った。
「や、やまめさん!」
「……はい」
「だ、大丈夫ですか?」
「すみません、私なんて。本当にごめんなさいね」
「……」
 何に謝っているのだろうと咲夜は思った。
「朱桜ちゃんは恐くないですよ。黒之助さんに脅されて、二人で震える、なんて事もありましたし」
 朱桜ちゃんに、怯えてる?
「そうそう、一緒にお菓子を食べて……地面に落として、しょんぼりしてる私に、はいって分けてくれたり。優しい心もお持ちなのです」
「そ、そうなんですか!?」
「ええ」
 なら、少しは……いや、駄目だ。所詮私とは、住む世界が違うのだ。
 だって、この人も……
 北の妖狼の、姫君だから。



「くしゅん」
「朱桜ちゃん、風邪?」
「うー、そんなことないです。そんなことないはずです」
 姫様、朱桜、葉子に白蝉に沙羅。
 総勢五人。白蝉の頭に乗っていた羽矢風の命は、黒之丞に掴まれて。
 牛車は大きかった。鈴鹿御前の持っている中で、一番大きい物を回してくれたらしい。
 ゆったりと座れた。座れたが、朱桜は姫様の膝の上に乗っていた。
「独枯山ねぇ。光がいいところって言ってたけど、どんなもんかね」
「んにゅ? 葉子さん、光君と最近会ったですか?」
「うん」
 むかっとした。
 ぶるぶると首を振り、悪い考えを追い払った。
 光君が葉子さんのことを大好き――私が彩花さまを大好きなように――慕っているのは、今に始まったことじゃないです。私が彩花さまと会うよりも前に、もう知り合っていたですし。
 会えないなぁ。
 今回、会えるです。楽しみなのです。
 白月ちゃんも、会えるなのです。
「お揚げ、食事に出るかなぁ?」
「きゅ、胡瓜あるかな?」
「どうなんでしょうねー」
「どうなのかな」
「温泉、楽しみですね」
 ふと、姫様は、妖狼の姫君と一緒に風呂に入ったことを思い浮かべた。
 負けた。
 葉子、
 沙羅、
 白蝉。
 三人を見やり、はぁとゆるゆる溜息を吐いた。
 朱桜の頭の上に、右の頬を置く。
「ふえ?」
「はぁ」