小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~雪のお宿(5)~

「彩花さん、黒之丞さんのこと、大丈夫になったんですね」
 白蝉が言い、姫様は朱桜から頬を離した。
 鬼の娘は、少し物足りなそうな顔をした。
「黒之丞さんは、はい」
 姫様が答えた。
「ど、どういうことですか?」
 沙羅が、言った。
「姫様、蜘蛛嫌いだからね」
「蜘蛛。く、黒之丞さんって、蜘蛛なんだ」
 知らなかった。そうなんだと頷く。そう言われると、それっぽく思えてくる。
 それから、
「彩花ちゃん、蜘蛛苦手だったんだ」
 と続けた。
「今も苦手さね。黒之丞が平気になったって聞いて、太郎のお馬鹿とクロちゃんのお馬鹿が、じゃあって喜び勇んで女郎蜘蛛を姫様に見せてさ。えっらくないて、部屋に逃げちゃったもの」
 かたかたと葉子が笑う。
 沙羅と朱桜は、姫様災難と思った。
 朱桜は、それに、クロさん何やってるですかと胸の中で付け加えた。クロさん、いつもは落ち着いた人なのに。か、格好いい……あう?
 沙羅は、ぽけーっと、楽しそうに蜘蛛を見せる妖狼を思い浮かべた。
 白蝉は、女郎蜘蛛ってどういう形なのだろうと思った。今度、黒之丞さんに聞いてみよう。
「肌が沫だって沫だって……どうしようもなかったな」
 話を聞くだけで、姫様はぞっとするものがある。
 二人は、蜘蛛喧嘩のために冬を越させたらしい。
 部屋に籠もって、しばらく震えていた。
「黒之丞さんは大丈夫……」
 白蝉が、念を押すように尋ねた。
「大丈夫ですよ」



 せっかく、お久し振りに会うのじゃから、どどーんとびっくりさせたいと思うのじゃ。
 そう決めて、今回はちょこーっと変えてみたのじゃ。
 ほほーい、今から驚く顔が楽しみじゃのう。
「何だかお宿が騒がしいような」
「ああ?」
 牛鬼が三匹、車が三台。
 虎柄模様の着物を着た女が、首を傾げた。
 熊の毛皮を身体に巻き付けた大柄の男が、肩を竦めた。
 桐壺に、大獄丸。
 髪飾りの鈴をしゃらりと鳴らすと、鬼姫鈴鹿御前が、姿を見せた。
「どういうこと」
 不機嫌な顔つき。うーんと大獄丸が首を捻った。
 見知った顔が、走り寄る。
 鬼姫一行、御到着――



「やまめが倒れた!?」
「やまめさんは軽い目眩だと言ってるんですが……」
 鬼姫と話しながら、土鬼は自分が偉くなったような不思議な気持ちに襲われた。
 幻想とはいえ、なかなかに心地良いものであった。
 大妖と呼ばれる雲の上の存在と、対等に話すなど、以前の自分には考えられないことで。
 話はしながらも、間近で見る鈴鹿御前は、ついつい惚れ惚れとしてしまい、真っ直ぐに見ることが出来なかった。
「ったく、あの子は、この大事なときに何やってるの」
 ぱーんと襖を開けやり、ご苦労と言うと、土鬼を帰す。
 若い鬼は、襖を閉じていった。
 寝具。
 白髪の女が一人、寝かしつけられていた。
 少女が一人、傍にいた。
「誰?」
 鈴鹿御前が一瞥すると少女は怯えを見せた。
 記憶を辿ると、一致する顔があった。
 不愉快な男の娘。
 古寺の妖狼の妹。
「咲夜か」
「す、鈴鹿御前様、ご機嫌麗しゅう」
「機嫌良いように見える?」
 見えなかった。
 返事を待たず、鬼姫は妖狼の傍らに腰を降ろすと、
「やまめ」
 と、声を掛けた。
「はい……」
 返事と共に、上体をゆっくりと起こす。
 鈴鹿御前の、不機嫌の色が、さあっと変わった。
「具合、悪いの?」
「いえ、ちょっと目眩が」
 すみません、お迎えにあがれなくて。
「なぁに、緊張してるの?」
「その……」
「がちがちだぞ」
 青みを帯びたやまめの頭を撫でやり、きゅっと身体を抱きしめてやる。
 気恥ずかしさを覚え、咲夜の尾が、所在なさげにひょこりと動いた。
 私もあに様にああされたいなと思った。
「そうだね、今日は大事な日だものね。でも、朱桜ちゃんなら、大丈夫だぞ。あの子は、この私が気に入ってるぐらいだから」
「……」
「気立ての良い子だぞ。将来が楽しみな、私が、後を継がせようかと思うぐらいの、ね」
 やまめが、ぐらりとなり、さらに顔を青ざめさせた。
「あ」
 これは言うべきではなかったと、鬼姫は内心舌打ちをした。
 本心だった。
 西は、後を継ぐ者がいない。
 だから、朱桜には期待していた。



「雪……」
 朱桜が、言った。
 雪を握るとひょいと太郎が黒之助にさっそく雪玉をぶつけた。
 黒之丞に飛び火し、羽矢風の命が囃し立てる。
 茨木童子に当たり、さりげなく三人は姫様と白蝉の後ろに移動した。
 鬼は、別段気にしてるようでなく。どこか憂いのある表情で、心ここにあらずといった趣だった。
「彩花さまのお寺よりも、小さいのです」
「大丈夫なのかね? ちと心配なんだけど」
 この人数で大丈夫なのだろうか。
 かなりの大所帯なのだが――行く前に考えたことが現実になるかもしれない。
 いざとなると、若干決心が鈍る。姫様の近くにいたいさね、あたいは。
「変だな。いつもならすぐにやま……迎えが来るのだが」
 茨木童子は、困惑気味な視線を宿に向けた。綺麗な髪に雪がついている。払おうとは、しなかった。
「何かあったのだろうか」
「何か……」
「あ、誰か来ますよ」
 姫様が言った。
 確かに、宿の方から、女に子供が近寄ってくる。
 しかし、それは、やまめではなかった。
「あ、光君!」
 大きな声を出し、朱桜は思わず黒之助を見やった。
 鴉天狗は妖狼と、お前が悪いと睨み合っていた。始めたのは太郎で、当てたのは黒之助だった。
 こっちを向いてほしかった――
 変ですと朱桜は思った。最近、よくなるです。やっぱり、変です。
 自分が、よくわからないことを考えてしまう。
 光の横に、見知らぬ女がいた。
 白髪白面、白い着物。
 青白い瞳が、喜色を帯びて。
 鬼の娘は、顔を俯かせた。やっぱりやっぱり、私は変ですと朱桜は思った。
 二人は、楽しげに言葉を交えている。
 そのことが少し気に入らなかったのだ。
「やぁ!」
 近づいてきた女がやったことは、まず、朱桜に抱き付くことだった。
「ふえぇ!?」 
 目を白黒させ、冷たい腕を無理矢理振りほどくと、朱桜は姫様の後ろに隠れた。
「な、何するですか……」
 隠れ、そう、ぼそぼそと言った。
 女が、あれと、想像していたのと違うよという顔をした。
 葉子の尾で胴をくるまれ、持ち上げられ、ご挨拶していた光が、いけないという顔をした。
「やめてください」
 気にくわないですよ。
 気に入らないですよ。
 何ですか、もう。
「あ、朱桜ちゃん……」
 女が、手を伸ばす。
 雪でかたどられたようなすべすべの肌。爪は氷のよう。
 朱桜は、姫様の足にしがみつつき、顔を上げようとはしなかった。
 生来の人見知りが、大きく顔を覗かせていた。
「わ、儂じゃ」
 声に、聞き覚えはなかった。
「朱桜ちゃん、」
 光の声の方を見やると、当の光は、顔をしかめながら白い女に目をやっていた。
 どうして私じゃないですかと朱桜は思った。
 葉子は、ああと女の正体に気がついた。
 姫様が微笑を貼り付け息を呑んだままなのが、少し気になった。気づいているはずなのに、どうして教えてあげないんだろうと。
「白月ちゃんなんだけど……」
「……白月ちゃん?」
「えーん、朱桜ちゃん!」
 ぽむと姿を縮ませると、白い女は泣き出した。
 それは、まごうことなき、雪妖の巫女、白月の姿であった。
「わ、儂、朱桜ちゃんに嫌われたのか!? ど、どうすればよい!?」
「ち、違うですよ! び、びっくりしただけです! き、気づかなかったですよ! そ、それで、」
 ぴたりと泣き止むと、白月は、
「びっくりしたのか? それでなのか? 嫌いになったわけじゃないのか?」
 そう、言った。
「そうなのです。いきなりで、びっくりして、」
「そうかそうなのか! じゃあ、成功じゃのお!」
 表情をころりと変えるとはしゃぎだし、両手をぶんぶん振った。
「ちょっとな、姿を変えてみたのじゃ! びっくりさせようと思っての。でも、やっぱりこの姿の方が落ち着くのじゃ」
 私も落ち着くですと朱桜は思った。
 そっか、白月ちゃんは私よりも百歳ぐらい年上だから、このぐらい当たり前に出来るですね。
 少し、残念です。
 私、出来ないですから。
「なるほど」
 姫様は、冷めた表情を浮かべていた。
 葉子、桐壺、火羅、沙羅、鈴鹿御前、白蝉、咲夜、彩花、朱桜、白月。
 連ねた名前を変化させる。
 葉子、桐壺、火羅、沙羅、鈴鹿御前、白月、白蝉、咲夜、彩花、朱桜。
 そういうことかと、心の奥底、深い部分で呟いた。
 前の三人は同じくらい。中程の二人は同じくらい。後の二人、いや三人は同じくらい。
 自分との間に、遠い遠い距離がある。
 がっくりときた。
 葉子の心配そうな視線に、慌てて笑んで答える。
 銀狐は、面みたいと、余計に心配になった。