小説置き場2

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あやかし姫~雪のお宿(6)~

「やまめは?」
 茨木童子が、言った。苛立ちが見える。
「やまめは、どこだ?」
 問いを、重ねる。
 光は、思わず葉子の後ろに隠れた。
 恐かったのだ。
 さっきの彩花さんと同じくらい、茨木童子の静かな剣幕は恐ろしかった。
「やまめさんはのぉ、軽い目眩がすると言うて、寝込んどる」
 白月が答えた。朱桜に久し振りじゃのぉと声をかけながら。
「軽い……」
「やまめ……」
 朱桜が、その名を口にすると、茨木童子はむ、と口をつぐんだ。
「咲夜という人と、お袋様と鈴鹿御前様がやまめさんについとるぞー」
「咲夜ちゃん!?」
「咲夜!」
 二人が、声をあげる。
 朱桜と太郎だった。
「咲夜、無事に着いたんだな」
 よかったよ――
 そう、嬉しそうに言う妖狼の横顔を、姫様はにこにこ見やっていた。
「おお、咲夜さんもお久し振りなのですよ。会うの、楽しみなのですよ」
「朱桜ちゃんの知り合いなのか?」
「はいです。お友達なのです」
「じゃあ、儂の友達じゃのぉ。朱桜ちゃんの友達は儂の友達じゃ!」
「そういうものなのですか?」
 疑わしげな視線を交えながら朱桜は小さな声で言った。
「うむ。友達の友達は、友達じゃのからの!」
 胸を張り、胸を叩く。
「……」
 鬼の娘は、黙りこくった。
 誰が、その脳裏に浮かんでいるのか、光と白月を除いて皆、手に取るようにわかった。
 あの、真紅の妖狼の姫君だ。
 姫様の友人で、朱桜が毛嫌いする、妖狼だ。
 白月の意見に、肯定するでなく、否定するでなく、静かに頭を振る。
 それから、
「お宿に行くです」
 そう、言った。
 白月は、視線を感じ、その方を見やった。
 茨木童子の顔に、不機嫌の三文字が浮かんでいる。
 どうして、そんな顔をするのだろうかと考える。
 ああと頷く。
 自分だって、光が風邪をひいたら不機嫌になる。
 やまめさんが調子悪いから、茨木さんが不機嫌になるのだと一人で納得し、
「大変じゃのぉ」
 と、近づくと、したり顔で鬼の腿を叩いた。
 それには、茨木も苦笑いを返すしかなかった。
 この大事なときに、余計なことを言う雪妖の巫女を苦々しく思っていたのだが、それは、すっと消しやった。
 恐ろしく勘の鋭い人の娘が、この場にはいるのだ。
 姫様が、茨木童子に視線をやり、首を横に振った。
 見透かされたかと、また、苦笑いを浮かべた。
 また、歩み始める。
「だーかーら! 慌てて走らないの!」
 さく、さくと、雪原に、足跡が幾つもかたどられた。
 



「お待ちしておりました」
 若い鬼達が、門のところで整列し、一斉に頭を下げた。
 その向こうには、やっほぉと手をひょこひょこ動かす鬼姫御一行の姿もある。
 咲夜が太郎に目で挨拶し、妖狼は白尾を忙しく振りあった。
 これで、此度のお泊まりに参加する、全員が揃った。
 揃い、華やかに、賑わう――というわけでは、なく。
 視線が、ある妖に、集まっていた。
「あれがやまめさんですか?」
 鬼の姫君の一言に、皆が静まりかえる。
 頭を深々と下げた、震えを帯びる、白髪の女。
 土鬼達が頭を上げた後も、一人、顔を伏せていた。
「叔父上」
「そうだ」
「……」
 よくよく、見やる。透明な、悪意も好意もない、見定めるようとするような眼差し。
 やまめが、ゆっくりと、頭を上げる。
 山姥の金銀妖瞳に、『それを』見慣れぬ妖達は、息を呑んだ。
 葉子と黒之助は、これが、太郎と同じ、金銀妖瞳を持つ山姥かと思った。
 太郎は、俺と同じだと思った。
 姫様は、太郎さんと同じ綺麗な瞳だと思った。
 沙羅は、甲羅に冷たい汗が噴き出るのを感じた。慣れないものだった。
 黒之丞は、無機質に見やった。
 白蝉は、何かあったんでしょうかと思った。
「独枯山のやまめと申します、朱桜様。お会いすることを、心待ちにしておりました」
「……」
 口の先を少し尖らせると――朱桜は、姫様の袂を握り締めた。
 それを、拒絶の意と受け取って、やまめは、目の前が真っ暗になるような感覚に襲われた。
 震えが、強まる。
 暗がり。
 手探りで進むしか、ない。
 例え、その先に、道がなくても。
 茨木童子に、姪に会わせたいと言われたときから、覚悟はしていた。
「私は……その、このような下賤な身でありながら……い、茨木童子様を慕ってしまって……も、申し訳ありません」
「どうして、謝るですか?」
茨木童子様に助けてもらって、慕う心を抑えることが出来なくて……駄目ですよね。もっとふさわしい方がいますよね」
 ずっとずーっと、秘めていたこと。
 自分のような妖では、大妖であった鬼に、釣り合わぬと。
 嫌だ……嫌だ……
 金銀妖瞳を持つ山姥では、駄目なのだ。
 もっと、力があって、地位があれば……
 恨めしい。
 そんな気持ちが、胸の中を漂った。
 その矛先は、知らず知らずに、幼い鬼に向かう。
 認めてもらえなかった。所詮、住む世界が違ったのだ。
 生きる希望を、やまめは、無くしていた。
「叔父上と、仲良くして下さいです」
「はい……え?」
「叔父上と、これからも仲良くして下さいです」
 道が開くのを、確かに、感じた。
 絶望の淵を、脱す。
 鬼姫の言葉を、かみなりさまの言葉を、妖狼の言葉を思い出す。
 茨木童子の言葉を、思い出す。
 認められた。
 身体の力が、ふっと抜ける。
 支えてくれたのは、鬼、であった。
 小さな鬼が、とことこと歩み寄り、膝を曲げ、じーっと山姥の顔を眺めやった。
 それから、
「お疲れなのですよ。少し、休んだ方がいいですよ」
 と言った。
 やまめは、己を恥じ、ただただ、目を見開くことしか出来なかった。