小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~雪のお宿(終)~

「なんてことがあったわけさね、いやはや」
 銀狐が、椀に盛られた卵に手をつける。
 殻つきの卵が、銀狐の喉を落ちる。
 黒之助が、ほぉほぉと赤ら顔で頷き、太郎の杯が、ぴたりと止まった。
「姫様も、乙女さねぇ」
 また、卵を喰らう。
 黒之助も、卵に手をやった。
 葉子のように丸飲みでなく、殻を噛み砕いた。
「む……雛が入っておった」
「当たり……なのさね?」
「わからん」
「姫様……そんなこと気にしなくていいのに」
 太郎が、言った。言って、杯を置いた。
「姫様、綺麗だもんね。見なよ、あの肌。羨ましいさねー。あたいは、天下の美女と名高い鬼姫様にだって、負けてないと思うんだ。並び立っても、遜色ないよ」
 全く、贅沢ってもんさよ。
「今、姫様は?」
「んあ? お風呂」
「お風呂……って、姫様、長いこと入ってたろうが!」
 夕餉は終わり、個々に過ごし。
 豊かな琵琶の音は、白蝉が蜘蛛と土地神に聞かせているのだろう。
 葉子と黒之助と太郎は、生卵をつまみに酒盛りをしていた。
 場所は、梅の間。
 梅に縁のある物は、部屋にはなかった。
 通りかかった鬼に聞くと、
「……名前を決めるとき、鈴鹿御前様が、梅干しを食べていたので」
 という、どうでもよさそうな答えが返ってきた。
「全部制覇するってさ。お風呂大好きだもんね。でも、泳げない。よーわからん」
「泳ぎは、かーんけい、ありますまいや」
「いやいや、同じ水ですぜ」
「む、そう言われれば」
 二人とも、酔ってるなぁと太郎は思った。
 妖狼は、最近、深酒をしなくなった。
 ほんの少し、嗜む程度で済ませている。
 姫様と、会うためだった。
「ぷはぁ……寂しいよぉ、姫様。そのうち、いい男を見つけて……やだやだ!」
「拙者を倒せるほどの豪の者でなければ、姫様は渡さぬ!」
「そうだそうだ! クロちゃんやったげて!」
「任せられい!」
 今ならすぐ出来そうだと妖狼は思った。 


「あれ、朱桜ちゃん、どこ行くの?」
「ちょーっと、やまめさんの所へ行くですよ」
 廊下をとことこ歩いていると、光と出会った。
「あ、わかった。お袋や白月ちゃんにも、そう言っておくね」
「よろしくなのです」
 もう少し話していたかったけど、その想いを振り払い、また、とことこ歩き出す。
 朱桜は今まで咲夜と沙羅と話をしていた。
 咲夜は、同じ妖狼の姫君でありながら、火羅とは全然違った。親しみやすいし、同じ目線に立って話をしてくれる。
 姫様は好きだ。大好きだ。でも、火羅と仲良くするのは……どうかと、未だに思っている。
 黒之丞さんだって、咲夜ちゃんだって、羽矢風の命さんだって、いいようには、決して言わない。
 不満だった。
「あれ、朱桜ちゃん、どうして?」
 ばったりと、会う。
 夏の間。
 葉子さんに会いに来たですねと思った。
「やまめさんって、こっちだっけ?」
「……」
 夏の間は、先程出たばかりだ。
「もしかして、迷った」
「う、うー」
「じゃあ、おいらが案内してあげるよ。やまめさんは、いつもの離れだよね」
「そういえば、別の建物だったような……光君、いいんですか? 葉子さんに会いに来たんじゃないんですか?」
「黒之助さんと太郎さんの所へお酒持って行っちゃったんだって」
「……お、お願いするです」
 微妙な間は、やっぱり葉子さんに会いに行っていたのだと思ったから。
 残念そうに、言ったから。
 光は、こっちだよーと朗らかに朱桜の手を引いた。
 ぽっと、顔が熱くなる。隠すように、顔を伏せる。
 姫様に洗ってもらったばかりの、肩のところで切り揃えられた髪が、流れるように揺れやった。



「というわけで……あたいは、帰る!」
「お、おう」
「拙者も、行く!」
「ん? 行くってどこへ?」
 黒之助まで立ち上がったので、訝しげに見やる。
 布団も敷いて、すぐに寝られる態勢だ。
 ああ、厠なのかと思ったが、次に発されたのは、思いがけない言葉であった。
「拙者は、貴殿と同じ部屋で寝るのは、ご免被る!」
「いよ、クロちゃん、男の子だねぇ!」
「何だお前ら……」
 怒るべきなのだろうが、どうも気が引けた。
「咲夜ちゃんと、ずっと離れてたんだ。兄らしいこと、してやんな」
「そういうわけだ」
「お前ら、酔って、」
「よーっし、姫様が戻ってくるまで、白蝉先生の琵琶聞くぞー!」
「おー!」
「……酔ってるのか。言ってることがしっちゃかめっちゃかじゃねえか。ったく、入れよ、咲夜」
「し、失礼します」
 寝巻姿の咲夜が、静かに入りやる。太郎は、頭をくしゃりと掻きやると、
「何時からだ?」
 と、尋ねた。
 二人に言われるまで、気がつかなかった。
 姫様ならすぐに気がつくのにと思った。
 昔は、そんなことなかった。
 姫様が、姫様だけが、わかるようになったのは……妖猿の群れと争い、生死を彷徨ってからだ。
「先程……朱桜ちゃんが帰りましたし」
「ということは、夏の間は、今は沙羅だけか」
「沙羅さんは、もう、寝てます」
「……早いな、あいつ。それで、どうした?」
「えっとですね……その、一緒に寝られたらなー、何て思いまして」
 ここ?
 と指差す。
 ここです、と頷き返す。
「迷惑でしょうか。なら、帰りますが」
「また、どうしてだ」
「あに様と、長いこと離れてましたから……何と言いましょうか、埋めたいんです。こう、道を」
「道を埋めちゃ駄目だろ」
「え、えっと……何でしたっけ?」
「む? む、む……肉だ。後で掘り起こす楽しみがあるぞ」
「なるほど! さすがあに様、賢い!」
「賢い!? お、俺が!?」
「はい!」
 姫様、勉強の成果が出てますと、妖狼感謝感激。
 ――間違ってるけど。
 咲夜は、太郎に似ていた。
 


「はぁ」
 本当に良いところです――
 姫様は、露天風呂にいた。目の前には、ぷかとお椀が浮かんでいる。
 温泉卵が、三つ。
 静かな場所だった。
 まだ、雪が残っている。
 湯の暖かみと、大気の冷たさ、その差が、また、心地良い。
「これで、最後」
 一応、全て浸った。
 明日の朝はどれにしようかと考える。
「よりどりみどりです」
 朱桜と入った白湯の他に、赤い湯、黒い湯があった。
 そして、この、露天。
「……いつか、火羅さんとも来たいですね」
 そろそろ、切り上げようか。温泉卵もちょうどいい具合だし。
 お肌、すべすべだ。
 一緒に、食べよう。



「やまめ……朱桜は、言ったとおりであったろう?」
「本当に……茨木童子様が、自慢なさるはずです」
 朱桜は、やまめの布団の中で横になっていた。 
 かみなり様に連れられてやってきた鬼の娘。
 やまめの様子を窺い、それから、眠気に襲われ始め。
 うつらうつらと、そして、こてんと。
「私が、愚かでありました。堂々としていればよかったのですね」
「これからちょくちょく、ここに来ることになるだろう。仲良くしてやってくれ」
「ええ、それはもう」
「俺は、お前がいいんだ。それだけは、忘れないでくれ」
「勿体ないお言葉です……」



 廊下を歩く。
 静けさ。
 湯上がりの身体を、ひんやりした大気が冷ます。
 まだ、身体の芯が熱を帯びている。零れ落ちないように、黄身が割れないように、そうっと。
 姫様は、梅の間の戸口に立った。
 音無く、開く。
 姫様が、冷たい床に腰を落とすと、太郎が、向かい側の壁にもたれ掛かった。
咲夜さんがいるんですか?」
「同じ部屋で寝たいってよ……そういうこと、したことなかったもんな」
 太郎を看病したときも、二人だった。
「今更だけど、不思議なんだ。妹がいるってのが。付き合い、短いし」
「私の方が、太郎さんと一緒にいますしね」
 少し、誇らしかった。
 鈴鹿御前の気持ちが、わかる気がした。
 あの人の、宗俊様に対する想いが。誰であろうと、敵意を向ける。
 鈴ちゃんや、白月ちゃんにすら。
 以前は理解できなかったけど、今は、わかる。
「そうだな。って、それなら、葉子なんてどんだけになるやら」
「ですね」
 お椀を、はいと差し出す。
 卵……と、眉をひそめた。
 三つの温泉卵。
 れんげが、二つ。
「えっと……姫様、いくつ食べる?」
「私は一つかな」
「……わかった」
 一つすくって、何度も息を吹きかけ、きちっと冷ましてから口に入れて。
 卵、これで何個目かなと考える。多分美味しいんだろうなと思った。
 舌が、卵に関しては麻痺していた。
「ほい」
「はい」
 姫様も、ふーふーと。白身を、ちょことすくって。
「姫様」
「はい?」
「葉子から聞いたんだけど……その、な。えっと……」
 何を聞いたんだろうか。
 言いにくそうにしていた。まさか、二人の関係を気づかれたのだろうか。
「姫様、その、身体のこと気にしてるみたいだけど……いいと思うよ」
 そっちか!
 顔だけでなく、身体全体が嫌な暑さを帯びた。
 浴衣を思わず脱ぎ捨てたくなるぐらいに、熱くなった。
「それは、その、な……」
「それは? 太郎さん、火羅さんみたいなのがいいんですか? ああいうのが好みなんですか? ええ、私は白月ちゃんにも負けて」
 声に刺々しさが混じる。
 押さえている分、逆に恐い。
 玉のような肌は、ころころ表情を変えている。
「……俺は姫様がいいんだ」
「……」
「だから……あんまし気にすんなってことが言いたいわけで……」
「気にします」
「う……」
「でも……少し、楽になりました」
「別に、なくても、」
「……一応、あるんですよ?」
 姫様、妖狼の顔を鷲掴み。
 おほほと嗤うと、ごりと、顔の骨が、嫌な音を立てた。



 独枯山の、温泉お宿。金銀妖瞳の山姥が切り盛りする。
 以前は寂しい場所であったけれど、今は、もう、寂しくない。
 やまめは、いつものように、愛する鬼と、愛らしい鬼の娘を迎えるのだった。