小説置き場2

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あやかし姫~姫と火羅(13)~

 女が、すくっと背筋を正し、笑みを浮かべていた。
 顔を覆っていた腐敗が綺麗になくなっていた。
 右目が人ではなく、蛇の眼になり、赤く光っていた。左目は、閉じられていた。
 玉藻御前は、葉子から右半身が溶けた女に目を向けると、耳まで裂けた口を閉じた。
 何度も瞬かせると、太郎に、黒之助に、黒之丞に目を向ける。
 三人の心は、折れていない。大妖を睨み付けていた。
 だが、身体は心と離れていた。
 動けないのを確認し、冷ややかに一瞥すると、怒りに任せ苛んだ葉子に目を戻す。
 片手で髪を掴み、持ち上げ、女の方に向けた。
「ねぇ、葉子……教えてよ。貴方達は、一体何を育てていたの?」
 銀狐の耳に、甘い声を吹き込む。
 葉子は、応えなかった。
「答えなさい」
 仰向けの姿勢から俯せにし、顔を地面に擦り付けると、もう一度女の方に向けた。
「姫……様……」
 葉子が、言った。
 腫れた瞼の下で、怯えた目が、玉藻御前と女を彷徨った。
 もう一度、顔を地面に付けると、最後の尾を、握った。
「もう、やめ……て……」
 ぼろぼろになった歯から、息が漏れていく。
 葉子の心は、折れた。
 執拗な攻めに耐えられなくなったのだ。
 姫様のために、玉藻御前に抗おうと決めた強い気持ちは、打ち砕かれていた。
「やめない。でも、答えたら、やめてもいいかも。あれは、何? お前は、何を娘としていたの?」
 甘く、そして微妙な感情がないまぜになっていた。
 葉子の身体が、震え始める。
 ひとしきり震えると、堰を切ったように口を開いた。
「あたいは……姫、姫様を、育てて……あれは、姫様で、姫様じゃなくて……姫様じゃない。何か、別の……」
 答えになっていなかった。早口で、甲高い声だった。
「あの嫌な神気は、何なの?」
「姫様は、元々、人の身で、妖気と神気を……でも、わからない。あたいは、あたい達は、頭領に、聞かされてない」
 毀された顔が痛むのだろう。声を発するたびに、葉子の身体は震えた。
「そう……わからないのね。じゃあ、しょうがないわ」
 興味を失ったように、葉子の髪を離すと、
「ああ、もう、口を開かないで」
 そう、言い捨てた。
「はい……はい……」
 女と向き合う。尾が、揺れる。    
 足下から、
「ごめんさよ――」
 という、細い声が聞こえた。
 泣いていた。
 はぁと、呆れたように肩を竦めると、
「喋るなと言ったろうが」
 怒気を発し、葉子の腹を蹴り付けた。
 無表情に、道の真ん中に転がっていた小さな石を蹴飛ばすように。
 女の方に、傷ついた身体が飛んでいく。
 女の右半身が変じた闇よりも濃い闇が、柔らかく葉子を包み込んだ。
 そっと地面に下ろすと、
「ふむ……」 
 と、左目を開いた。
 もう、女の発するものに、妖気はなかった。濃い、神気があるだけだ。
 神気だが、清いものではない。怖気と、吐き気を催すような、濁ったものだった。
「そろそろ、しまいにしようぞ」
 女が、言った。
 黒い闇が、生き物の形をとる。
 細長く、四肢のない、生き物。這う、生き物。
 ――蛇。
 女から伸びた闇は、蛇になった。
 黒い蛇だった。
 目も、鼻も、鱗もない、蛇だった。
 数匹。絶えず、形を、数を変える。
「そう、そろそろな」
 立っているのは、二人だけだった。
 戦えるのは、二人だけだった
「……油断したわね」
「ほぉ?」
「緩んだわよ」
 玉藻御前の身体が、薄まっていく。
 きらと、粒子が光る。
 金色の霧と、銀色の霧が、闇夜に浮かび上がった。
 毒――
 火羅に触れ、鵺となった白刃を溶かした、女が、封じたと嗤ったはずの。大妖玉藻御前の変わりし姿。
「油断ではない」
 女が呟いた。
 目の前で、金色と、銀色が溶け合う。
 互いに絡まり、螺旋状になり、唸りを上げ女に向かった。
 鋭い切っ先は、腐敗を撒き散らしながら女を砕かんとした。
「これは、余裕というものだ」  
 蛇が、毒の霧に向かっていく。
 螺旋を物ともせず、大口を開けて、霧を喰らった。喰らうたびに、女の神気が、強くなった。
 半分ほど喰われただろうか。
 霧が逃げようとした。向きを変えたのだ。
 蛇が執拗に追っていく。
 堪らず変化を解いた白面九尾の大妖の四肢を、蛇が捉え、宙に釣り上げた。
「そう……妾の、勝ちぞ」
 半人半妖の玉藻御前を釣り上げたまま、腰を下ろすと、火羅の傷に舌を這わす。
 真紅の妖狼は、穏やかな笑みを浮かべていた。
「くふ」
 腫れ上がった葉子の顔に、手を添える。
 それから、一つ、涙をすくった。
 一瞬、女の顔に、少女の色が浮かんだ。