小説置き場2

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あやかし姫~姫と火羅(14)~

 燃え盛る炎の中、黒いものが一つにまとまっていく。
 七本の黒いものが、一つになり、人の形を成した。
 炯々と光る瞳を向けると、その翁は、言った。
「羽矢風」
 と――
 名を呼ばれた土地神は、小さな身を竦みあがらせた。
「しばらく、儂は帰れぬ。そう、彩花に伝えてくれ」
 羽矢風は、何度も首を縦に振った。
 翁は、空を見上げると、大きな吼え声をあげた。
 天に、届けと。
 雲が、裂けた。
 羽矢風は、翁の消えゆく様をじっと見やった。
 周囲に広がる、累々たる同族達の破れし姿を見やると、守り手である狛犬を呼び出し、逃げるように出雲の国を後にした。
 


「なぁ、玉藻御前」
「……」
「ここいらで、手打ちであろうよ」
「……」
 大妖は、信じられないと言うように、虚ろな眼差しを宙に投げかけていた。
 女の声も、届かぬようであった。
 無理からぬこと。
 大妖が、負けたのだから。
「妾は、争い事が、好きで、好きで、大好きで、身を焦がすほどで、堪らぬのじゃが……これで、終わりにしたい」
「……終わ、り? 終わり?」
 まだ、玉藻御前の視線は彷徨っていた。
「この地に放った九尾を連れて、帰るがよい」
「……火羅は?」
 一息置いて、はっと思い出したかのように、玉藻御前は言った。
 当初の目的すらも、頭から消え去っていた。
「渡さぬ……渡すものかよ」
 ねちりと、絡み付くような言い方であった。
「それは、」
「火羅は、もう、以前のようなことはせぬ。そして、もし、妾の物を利用しようとするものあらば……妾が、殺してやる。これでどうであろうや? お前の手を煩わせることは、ない」
「……帰れと、この私に、帰れと」
「ああ」
「大妖であるこの私に、命令するというの?」
「命令ではない。願っておる。許しを請うておる」
 女の艶やかな笑みは、言葉通りの意を示してはいなかった。
 玉藻御前を捉えていた黒い者共が、女の身体に戻る。揺らめいていた女の半身が、元の人の形になった。神気は、放たれ続けていた。
 大妖は、地に足をつけると、しばらく足下を見ていた。
 突き刺さるような静寂だった。全てが、静まりかえっていた。
 ふらと、歩き始める。
 どこか浮世離れした表情で、女の横を通り過ぎると、大妖は森に消えていった。
 視界から消えるのを待って、姫様の姿をした者は、葉子に手を向けた。
 光――注がれる。
 葉子の右腕に浴びせ、舌打ちを一つした。
「……今宵はこれで、消えるとしよう」
 女が、古寺の方を見ながら、言った。初めて、女の表情に陰りが見えた。
「今宵は、な」
 女の言葉通りになる。
 そして、白い狼と、その背に蒼い顔で必死にしがみつく少女の姿が現れた。



「これは……」
 元々白い肌を、さらに蒼白く染めあげながら、少女は口元に手をやった。
 母と慕った妖狐と、友と想った妖狼が、並んで横たわっている。
 金銀妖瞳の妖狼と、鴉天狗、それに、妖蜘蛛もいた。
 妖達。皆、傷ついていた。
 葉子の命の灯火が弱かった
 火羅も、弱っている。破れた衣の下、胸の上に、大きな傷がある。
 だが、葉子ほどではない。火羅の傷は、生きたものではなかった。
 玉藻御前が来たのだ。争ったのだ。そうとしか思えない。
 すっと、頭の芯が冷えていく。
 こういうときのために、あの術を習ったのではないのか。
 封じた翁が、憎かった。そして、自分も憎かった。
「お母、さん」
 とにかく、古寺に早く運ぶべきだと思った。
 これだけの傷、ここでは治療出来ない。
 式神を呼んだ。
 大妖に殺されたはずの狼は、ごく当たり前のように、姫様の呼びかけに答えた。
 葉子の身体。重い。一人では、持ち上げることは叶わなかった。
 己の非力さを少女は呪った。
「どうすれば……」
 白刃は、獣だ。
 その四肢は、地を、空を、自在に駆けることは出来ても、怪我人を担ぐことは出来ない。
「お母さんが、死んじゃう……このままじゃ、死んじゃうよ」
 葉子の身体が持ち上げられた。
 式神の背にそっと乗せられる。落ちないようにと、黒い羽で作られた帯で結ばれた。
「姫様――」
「うん!」
 金銀妖瞳が輝いていた。
 太郎の手に、持ってきた小包みを押しつけた。
「これをクロさんに」
「ああ、早く。すぐに、火羅を連れて行く」
 言葉を交えなくても、考えは通じた。
「お願いします」
 白刃の背に跨る。葉子の身体を抱えると、白い毛にしがみついた。
 揺られている間、傷を見やった。
 顔が、別人のようになっていた。痣は、無数にある。足が、ありえない方向に捻れている。
 身体の内側は、一見しただけではわからなかった。
 右腕の傷が、深い。潰されていた。そして、じわじわと、何かが浸食していた。
 ひしゃげた指から、手首を抜け、肘に達し、肩に向かって、見たことのない色が動いていた。
 斬り落とすしかないと思った。
 よく斬れる刃物がいる。神刀の類、妖刀の類。太郎には、任せない。自分でやる。
 少女は、葉子の尾が一本しかないことに、始めて気が付いた。
 古寺はすぐそこにあるはずだった。
 遠く感じた。   
 あれほど濃くあった狐の気配が、綺麗になくなっている。  
 終わったのだと、思った。
 自分の知らぬところで、終わってしまったのだと。
 叫びたいという狂おしい衝動を、姫様は押し殺した。