小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~姫と火羅(15)~

「もう、いいさよ。ありがとさね」
 ぽくぽくと、姫様が葉子の肩を叩いていた。
 古寺の、庭に面した一室。
 妖達が、そこかしこでたむろしている。溶けかけの雪と戯れている者、冬雲の合間から漏れる光を浴びる者と、様々であった。
 姫様が、そっと手を膝の上に置いた。葉子はこほんと痰が絡んだ咳をすると、
「姫様には、迷惑かけるさよ」
 そう、言った。
「迷惑だなんて、そんな……」
「太郎にも、クロちゃんにも、火羅にも、迷惑かけるさね」
 太郎が、耳をぴんと立てた。
 黒之助が、顎髭に手をやった。
 火羅が、驚きを顔に貼り付けながら小さく身動ぎした。
 九日。
 玉藻御前が、葉美とその配下の者達と共にこの地を去って、九日が経った。
 妖達の傷が消えていく。 
 黒之助の火傷は、額の包帯の下に、少し残るだけになった。
 黒之丞の脚々は、もう生え揃ったという。
 太郎が一番怪我が軽く、火羅の胸から腹にかけてつけられた傷も、触れると少し痛むというぐらいには癒えた。
 葉子だけが、違った。
 白尾、白耳。
 白髪、白眉。
 銀毛が、白毛に変じた。
 妖の姿の時だけではない。人の姿になっても、黒く染まらない。
 そして、尾が一つになり、右腕を失った。
 それが、九尾の銀狐が、人の娘のために支払った代償だった――
「冷えませんか?」
 葉子の隣に座り直す。傍らには火羅がいた。
「いや、暖かいよ。春が近づいているのもあるんだろうね」
 そう言ったとき、右袖が風に靡いた。
 姫様が、乱れた髪を押さえた。
「……まだ、冬だね」
 前言をひるがえす。
「ですね」
 前髪を整えながら、姫様が言った。
 外にいた小妖達が、暖を求め、建物の中に逃げてくる。
 縁側に腹這いになっていた太郎が、汚さないようになーと、のんびりとした口調で声を掛けた。
 そうやって小妖達に注意するのは、葉子が多かった。
 太郎も、注意される方だった。
「あの、葉子さん」
「何さよ?」
「私も、なのですか?」
 火羅が、言った。
 葉子は不思議そうに、
「何の話?」
 そう、強張った顔の火羅に尋ね返した。
「迷惑を掛けるって……私は、私は、まだ」
 太郎は、合点のいかぬ目をしていた。
 姫様と黒之助は、目を合わせた。
「しばらくは、ここにいるんだろう?」
「それは」
「なら、迷惑を掛けるだろうさ」
「でも、私のせいで皆さんを……私は、ここにいては」
「よくあることだよ」
 事も無げに言うと、葉子は、幼いときから姫様にしてきたように、火羅の頭に左手を置いた。
「あたいは、別にあんたを恨んじゃいないから。恨む理由もないからね」
「ですが」
「しばらく……好きなだけ、ここにいればいいさ。ね、クロちゃん、太郎」
「……ふむ」
 黒之助が頷いた。
「……うん」
 微妙な表情を浮かべながら、太郎も頷いた。 
「そうでしょ、姫様」
「ええ」
 姫様が、穏やかな笑みを浮かべながら頷いた。
 火羅は、何度も、自分の頭を撫でる葉子の手と姫様を見比べると、消え入りそうな声で、
「考えておくわ」
 そう、言った。



 同じ色になったと思いながら、葉子は一人で夜の帳が覆う庭を眺めていた。
 背後に立つ気配に気が付いたが、目を動かそうとはしなかった。
「二、三、訊きたい」
「あの女のことは、あたいにもわからない」
 葉子は、隣で胡座をかいた黒之助に言った。
「それは、な」
 頭領を、待つ。姫様には教えない。そう、あの女のことは四人で結論づけた。
 意識を取り戻すといそいそと庵に帰った黒之丞にも、黒之助が伝えてある。
「訊きたいのは、別のことだ。葉子殿、呑むか」
「いや……身体が酒を受け付けないんさよ」
「そうか」
 携えてきた瓶子と盃を置くと、黒之助は額に手をやった。
「どうして、九尾の一団は、拙者達を襲わなかったのだ?」
「そりゃあ、クロちゃんと太郎、強いから」
「どうも合点がいかぬ。やってみなければわからないはずだ」
「……指揮していたのは、葉美だったよ」
 名前は、知っていた。
「葉子殿の妹だな」
「葉美は、迷ってた。そして、結局、何もしなかった。葉美は強いさよ。クロちゃんとも太郎とも、きっといい勝負するさよ」
「なら、数は勝っていたのだ。一方を押さえ、火羅を奪うことは」
「いつもの葉美ならの話さ。あの時も、そしてきっと今も、葉美は戦えない」
「ほぉ、そこまで葉子殿が言い切る理由は?」
「あの子の身体は、一人のものじゃない。二人のものだ。そりゃあ、戦えないさ」
「それは、どういう、」
「わかった、一目でわかった。あの子は、隠したがったけれど」
「……そうか、ややか」
「あたいの、姪っこか甥っこか……この手に抱くことも、この目で見ることも叶わぬだろうけど」
「おめでとう」
「ありがとう」
「もう一つ。そのような姿になった理由は?」
「……知らないよ」
「……」
「そう、姫様には言ったけどね。わかるさ。あたいが負けたからだ」
「玉藻御前は、大妖だ。それに、負けたのは拙者達も同じではないか」
「負けてない。クロちゃんも太郎も黒之丞も、負けてない。でも、あたいだけが負けた。負けてしまったんだ。姫様の母親だって言ったのに、悲しむ顔を見たくないって決めたのに、そんな想いを、あの時、失っていたんだ。怒った玉藻様が恐くて、恐くて、どうしようもなくって。
 きっとそれで、あたいはこうなったんだ。右腕が生えてこないのも、そう。玉藻御前様の毒のせいだけじゃないと思うんだ。
 でも、いいんだ。
 九尾と縁を切った証、そして、もう、二度と、姫様への想いを忘れないための証だと思えば」
「……立派な母君であられるよ」 
「そうかな?」
「間違いなく、立派な母君だ」
「照れるさね」
「立派な母君は、太郎殿のことを、どう思う?」
「太郎?」
「太郎殿、姫さんにな、惚れているんではないのかと思ってな」
「まさかー」
「拙者もまさかと思うが、いや、しかしだな」
「ないない、ないない。姫様はもっと賢い人が好みだし。太郎、悪い奴じゃないけど、子供っぽいし」 
 火羅――
 いやと、頭を振った。
 葉子は、姫様の花嫁姿を、嬉々として語っている。
 これからややこしいことになるかもしれないと、黒之助は思った。