小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~そのお出かけの日(5)~

 ふぅと、姫様は、切り株に座り一息ついた。
 真白い手の中には竹筒が。
 ひんやりとした水が喉を潤わせたばかりであった。
 筒の口を閉める姫様を、太郎は苦い顔をして見ていた。
「乗れば、って思ってますね」
「……」
 返事をしない。
 姫様が差し出した筒を黙って受け取ると、背の籠に投げ入れた。
「こら」
 むにと、鼻をつつきやる。そのまま、静止。
 太郎は指先を追うように両目を寄せると、
「思ってる」
 そう、口にした。
「まだ、ちょっとしか進んでないよ」
「そのちょっとで休みたいって言ったのは?」
「……疲れたんじゃないもの。喉が渇いただけだもの」
 ぷい。
「この調子だと、昼過ぎっぞ」
「問題ないですよ」
 姫様が事も無げに言うので、太郎は寄せた目をぱちくりさせた。
「街でやることってすぐ終わるのか?」
「一通り回って、値と質を比べるつもりだから、そう簡単にはいかないよね」
 駆け引きも必要になってくるだろう。
「じゃあ、なおのこと、だ。遅くなったら」
「遅くなればいいんです」
「は?」
「ゆっくりすればいいんです。問題ないです」
「……うん?」
 首を傾ける。
 姫様は指を離すと、立ち上がった。
「わからない?」
「……うん」
 太郎は、正直に答えた。
「行こうか」
 姫様の、背。落胆していた。そして、もう一つ。
「……姫様、どうして怒ってる?」
 尋ねた声は、弱々しかった。また向き合うと、姫様は、市女笠から垂れる紗を持ち上げた。
 上背のある太郎を、見上げる形。
 射るような視線。
「わかるの?」
「わかる」
「それは、わかるんだ」
「うん、わかる」
「そうだよね。太郎さんは、ずっと私を見てきてくれたんだもんね」
「まあ、な」
 姫様の機嫌が良くなった。太郎はそう感じた。
「じゃあ、教えてあげましょう。それはね、」
 今は、童のように無邪気な笑顔を浮かべていた。
 くるくると変わる姫様の表情を、古寺の妖は好いていた。
 怒っている顔も、喜んでいる顔も。
 あの女の顔は好きではないが、姫様の顔は好きだった。
「長く、太郎さんと、太郎さんだけと一緒にいたいから」
 ぽふんと、真っ赤になる姫様の顔。
 また、背を向ける。
 今度の背中は、恥ずかしげで、嬉しげだった。



「さてと、あたい達も、古寺のお掃除でもしますかね」
 そろそろ朝餉もすんだであろうと黒之助が出ていった。
 これで、古寺にある人の姿は、二つになった。
「掃除。ええ、どうぞ」
「……特に、あんたの部屋をね」
 白尾の先が、ちょこんと火羅を指した。
「私ですか?」
「そう、火羅の部屋。あーたの部屋汚いでしょ。持ってきた布団、ほこり臭かったもの」
「そうなのです。私の部屋、全然綺麗にならなくて。不思議です」
「掃除してる?」
「しています。でも、変わらないのよ……あ、」
 もしかして、あの娘が、い、嫌がらせを。
 きっときっと、そうだわ。どうしよう、私、また何か気に障ることをしたんだ。
 あ、謝らないと。謝って、許しを乞わないと。
 ど、どうしようどうしよう。そんなこと微塵も感じさせなかったのに。やっぱり朝餉のこと気にしてたのかな。
 も、もしかして、私の絵が気に入らなかった?
 だって、あの子をそのまま描いたら、しょうがないじゃない。
 全身を描けば、差が出るわよ。
「本当にしたさね?」
 葉子は、変なこと言ってると訝しげに火羅を見やった。
「しました。ちゃんと部屋の隅でじっとしていました」
「……なに言ってるの?」
「掃除ですよね? 掃除の時は、いつも赤麗が『火羅様は部屋の隅でじっとして下さい』って言ってた。だから、今も」
 赤麗の名を口にし、少しめそとなった。
『はいはい、火羅様、隅っこにいて下さいねー』
『わかったわかった。赤麗は、掃除が好きねぇ』
『はい! 綺麗なのは気持ちがいいものですよ』
『あら、指に埃がつくわね』
『ね、念入りに』
 葉子の白髪が、怒髪天を衝くな勢いで逆立った。
 火羅の赤髪も逆立った。これは、驚きによって、であった。
「……ちがーう!」
 火羅の首根っこを掴むと、葉子はどたどた足音立てて部屋に向かう。
 ぽいと大人しく身体を小さく丸めていた火羅を廊下に投げ捨てると、片腕で戸を開けやった。
「掃除ってのわね、赤麗がやってたこと! 部屋の隅でじっとするのは、掃除の邪魔にならないようにってことさよ! それは、掃除じゃなーい!」
「そ、そうなの?」
「そうなの!」
 驚きだった。
 つまり、自分は赤麗に邪魔と思われていたのか。
 私の従者なのに、そんなことを。
「せ、赤麗……」
「待つさよ。あんたは、料理下手だったよね」
「下手じゃないわよ! ふざけないで! あれから彩花さんが作らせてくれないだけよ!」
 今度は、火羅が怒髪天を衝く番だった。
「大抵姫様の言うとおりー」
「大体姫様の言うとおりー」
「毒作ったー」
「こ、この」
 毒ではない。食べれるものだ。
 味見した小妖が泡を噴いたらしいが、それはきっと、舌がおかしかったのだろう。
 自分は味見していないが。
「火羅、家事の経験ってどのぐらいあるの?」
「家事……そうね、ここで、食器を運んだわ……何度か、運んでいます」
「それだけ? 太郎と似た齢だったよね」
「だって、私、里では」
 真紅の妖狼の姫君。
 そうだったさねと、葉子は思った。
「わかった。じゃあねぇ」
 葉子が部屋に入る。
 火羅は部屋の隅でじっとしていようとした。
 膝を抱えて、小さくなっていればいいのだ。その姿勢が、少しずつ心地良くなっていた。
「あのね、火羅。あたいは片腕なんだ。あんたもやるんだよ」
「私?」
「当たり前でしょうが。あたいの部屋じゃないんだ。ここは、火羅の部屋なんだから」
「私の……部屋」
「さぁ、お前達もやるんだよ。姫様もクロちゃんもいないけど、だからこそしっかりやるんだ」
 小妖達がゆっくりと散っていく。
 姫様の発するものに当てられたくないためだろう、古寺の小妖達は、聞き分けがよくなっていた。
「火羅、掃除終わったら、あげたいものがあるんだ」
 まぁ、大丈夫でしょうと小妖達を見ながら、葉子は言った。
「私にですか」
「そうさ。だから、早くやっちまおう」
「……わかりました」
 何をもらえるんだろうか。
 まさか――この部屋の埃とか!?
『火羅ぁ……あたい達の部屋をこんなに汚して……思い知れ!』
『火羅さん、汚いですね』
『そうよのぉ、そなたはそうやって汚れているのがお似合いじゃ、ふふ。じゃが、妾は、汚い物は好かぬ。汚いそなたも勿論のこと、よ』
 あああ――
「喜んでもらえるといいさねぇ」
「ほ、埃は嫌!」
「……大丈夫さか?」
「し、しっかりやるから! しっかりやりますから! まず何をすればいいの!?」
 よくわからないが、やる気を出すのはいいことだと葉子は思った。
 


 掃除を終えると、葉子は、自分と姫様の部屋に火羅を誘った。
 火羅は、かちこちに緊張していた。
『実はねぇ、あたい、あんたのことが欲しくてさぁ……』
『だ、駄目です、私には……』
『今日は二人だけなんだ。固いことは言いっこなしだよ』
『あーれー』
「よく、頑張ったさよ」
 葉子の声で、火羅は妄想を止め、現実に意を戻らせた。
「当然のことをしたまでです」
 大して役には立たなかったが、どちらかというと邪魔をしていたが、とは、葉子は口にしなかった。
 一生懸命やっていたのは、認めるのだから。
「これは、そのご褒美ってわけじゃないけどね」
 葉子は、一抱えはある布包みを、火羅の前に差し出した。
「あたいには、もう、いらないものさよ。受け取ってほしい」
「で、では……」
 この中が全て埃だったりしたら……ごくり。
「姫様、やらないからねぇ。また使われることなく、眠ってしまうのかと思うと、勿体なくてね。だから、火羅に、使ってほしいんだ」  



「あれは……」
 妖気を感じた。
「黒之助、そこ、きちんと拭け」
「黒之丞さん、黒之助さん、頑張って下さーい」
 のんびりと、白蝉が声援を送った。
 軽く黒之丞が手を振った。
 三人は、羽矢風の命の本体――古木の根本にいた。
 白蝉は木陰に座っていた。
「ほら、社を磨き上げろ。これは、白蝉が前から言っていたことなのだ」
「わかったわかった。しかし今の妖気は……」
「妖気? 俺は感じなかったが」
「うっすらとだが、朱桜殿の妖気を感じたような気がした」
「朱桜の?」
 面識があった。
 朱桜は、白蝉の琵琶を好んでいた。
 嫌いな童ではなかった。
「あの小鬼の妖気なら、すぐわかるだろう」
「のはずなのだが……気のせいか」