あやかし姫~そのお出かけの日(6)~
「これ……」
包みを開く。
触れ、眺める。
白狐はほこほこと微笑んでいた。
火羅は、ほろんと、それを鳴らした。
「琵琶……」
琵琶、であった。
煌びやかさはないが、彫り物といい拵えといい、なかなかの物のように火羅には思えた。
「これをくださると?」
「たまに、白蝉に教わりに行ってたんだけどね……もう、あたいは弾かないさよ。姫様もこういうことあんまし得手じゃないし。前に、弾けるって言ってたでしょ? だから火羅にと思って」
またつまみ弾き、ほろろんと鳴らした。
「私に……」
突如、火羅は総毛だった。この贈り物に込められた意図を推しはかって。
葉子は隻腕だ。
隻腕になった。
それは、自分のせいだ。
間違いなく、自分のせいだった。
「どう、気に入ってくれた?」
この贈り物は、遠回しな嫌がらせ?
恨んでいるよと、憎んでいるよと、伝えているの?
彩花さんと太郎様がいなくなって、本性を現したの?
ぐるぐると頭を巡らせていると、葉子が眉をしかめるのが見えた。
「気に入ってもらえなかった?」
「いえ、そういうわけでは……」
目の前の白狐からは、悪意は感じられない。
純粋に好意だけを向けてくれているとしか思えなかった。
「……ところで、本当に弾けるさよ?」
「弾けるわよ!」
はっと口を閉じる。相手は、あの娘ではないのだ。
失礼な口振りは禁物だった。
彩花とは、ずっと同じ話し方で通してきた。それが、元来の話し方だった。
素の話し方をあまりよく思われていないことは知っている。
それでも、やめられなかった。
「じゃあさ、じゃあさ、弾いてみておくれな」
気にしていないようで、ころころと尾を振りながら、白狐は言った。
「……でも、随分とやってないから」
「弾けないの?」
みゅっと、細目。
少しかちんときた。気取られないように気をつける。
絵は必要ないと言われた。音楽は必要だと言われた。
どちらも、嫌いではなかった。
宴などでは、よく、自らの手で弾いた。
大勢の妖の前で弾くよりも、二人きりで、赤麗の歌に合わせて弾く方が好きだった。
「そこまで言うなら……」
がやがやどやどやと妖達が集まってくる。
興味があるらしい。
静かに、っと白狐が注意した。
姿勢を正す。琵琶を膝の上で支え、撥を持つ。
火羅は、何を弾くか決めずに指を奔らせた。
やはりよい物だった。音がいい。
嬉しくなった。
音を繋げていく。
しぃっと注意されても喋り続けていた妖達が、静まりかえる。
耳を澄ましていた。
火羅は夢中だった。
ただ、奏でた。
はっと我に返る。
白狐。
見据えていた。
奏でたのは、母を知らぬ娘の想い。
母恋しさに泣く娘の曲。
しまったと思った。
葉子は、火羅が撥を離し、小妖達が感想を交わし始めても、何も言わなかった。
唇を噛む。
彩花は、目の前の妖狐を、母親だと慕っていた。
しかし、実の母娘以上に母娘らしくとも、真ではない。
そんな葉子を前にして、弾いてよい曲ではなかった。
違うのだと言いたかった。
彩花ではない。葉子でもない。
多分……多分、自分のことなのだと。
自分は母を、知らないのだと。
「そうか」
葉子の隻腕が伸びる。琵琶を取り返すのだと身を固くした。
手は、予想に反して、そのまま火羅の頭の上に置かれた。
「そうさか」
「あの……」
「琵琶、気に入ってくれたさか?」
こくこくと頷いた。
照れ混じりの笑みを浮かべながら、
「ならよかった」
そう、葉子は言った。
どうすればいいかわからず、おずおずと笑みを返した。
赤髪を撫でられる。
優しい動きだった。
時折、小さく、口を動かす。
それ以外は、何もしない。身動ぎせず、座っている。
鬼の王の娘。
聡明で、優しい心の持ち主だと言われていた。
西の鬼達には、危ぶまれてもいる。
力が弱いと。
半妖童女の姿しかないと、鬼の形をとらないと。
人の血が濃すぎて、王の後継者たりえぬのではと。
四天王である星熊童子は、王と王弟が溺愛する朱桜を気に入っていた。朱桜は人見知りするが、四天王には慣れていた。
内に狂気を持つ鈴鹿御前よりもずっといいと思っている。それが、仕える主としてふさわしいかどうかは別として、だ。医術を学ぶ彼女は、鬼らしくなかった。
だから……このような姿を目にし、内心困惑していた。
広い牛車の中で、ちょこんと座っている朱桜は、生気がなかった。
それでいて、深い、暗い、妖気を滲ませているのだ。
ここまで、言葉をかけることが出来なかった。
もう、あの場所まですぐだろう。
星熊は、意を決した。
「朱桜様、もうすぐ会えますね」
「……ええ、会えます。会って、お救いできるですよ」
『お救い』が符に落ちず、虎熊に視線をやった。
虎熊も、わからないようであった。
「玉藻御前は、もう、手を引いたと」
「そうです、手を引いたですよ。なのに……あの女」
ぎりと、角が音を立てた。
確実に大きくなっている。
虎熊はにやりとした。四つ子の末子は気性が荒く、乱を好む所がある男だった。
星熊は心配げである。四つ子の長子は穏やかで、争い事を嫌う男だった。
震動。
牛車が、地に車輪を着ける。
何事もなければよいがと、星熊童子は思った。
何事かあれば面白いと、虎熊童子は思った。
包みを開く。
触れ、眺める。
白狐はほこほこと微笑んでいた。
火羅は、ほろんと、それを鳴らした。
「琵琶……」
琵琶、であった。
煌びやかさはないが、彫り物といい拵えといい、なかなかの物のように火羅には思えた。
「これをくださると?」
「たまに、白蝉に教わりに行ってたんだけどね……もう、あたいは弾かないさよ。姫様もこういうことあんまし得手じゃないし。前に、弾けるって言ってたでしょ? だから火羅にと思って」
またつまみ弾き、ほろろんと鳴らした。
「私に……」
突如、火羅は総毛だった。この贈り物に込められた意図を推しはかって。
葉子は隻腕だ。
隻腕になった。
それは、自分のせいだ。
間違いなく、自分のせいだった。
「どう、気に入ってくれた?」
この贈り物は、遠回しな嫌がらせ?
恨んでいるよと、憎んでいるよと、伝えているの?
彩花さんと太郎様がいなくなって、本性を現したの?
ぐるぐると頭を巡らせていると、葉子が眉をしかめるのが見えた。
「気に入ってもらえなかった?」
「いえ、そういうわけでは……」
目の前の白狐からは、悪意は感じられない。
純粋に好意だけを向けてくれているとしか思えなかった。
「……ところで、本当に弾けるさよ?」
「弾けるわよ!」
はっと口を閉じる。相手は、あの娘ではないのだ。
失礼な口振りは禁物だった。
彩花とは、ずっと同じ話し方で通してきた。それが、元来の話し方だった。
素の話し方をあまりよく思われていないことは知っている。
それでも、やめられなかった。
「じゃあさ、じゃあさ、弾いてみておくれな」
気にしていないようで、ころころと尾を振りながら、白狐は言った。
「……でも、随分とやってないから」
「弾けないの?」
みゅっと、細目。
少しかちんときた。気取られないように気をつける。
絵は必要ないと言われた。音楽は必要だと言われた。
どちらも、嫌いではなかった。
宴などでは、よく、自らの手で弾いた。
大勢の妖の前で弾くよりも、二人きりで、赤麗の歌に合わせて弾く方が好きだった。
「そこまで言うなら……」
がやがやどやどやと妖達が集まってくる。
興味があるらしい。
静かに、っと白狐が注意した。
姿勢を正す。琵琶を膝の上で支え、撥を持つ。
火羅は、何を弾くか決めずに指を奔らせた。
やはりよい物だった。音がいい。
嬉しくなった。
音を繋げていく。
しぃっと注意されても喋り続けていた妖達が、静まりかえる。
耳を澄ましていた。
火羅は夢中だった。
ただ、奏でた。
はっと我に返る。
白狐。
見据えていた。
奏でたのは、母を知らぬ娘の想い。
母恋しさに泣く娘の曲。
しまったと思った。
葉子は、火羅が撥を離し、小妖達が感想を交わし始めても、何も言わなかった。
唇を噛む。
彩花は、目の前の妖狐を、母親だと慕っていた。
しかし、実の母娘以上に母娘らしくとも、真ではない。
そんな葉子を前にして、弾いてよい曲ではなかった。
違うのだと言いたかった。
彩花ではない。葉子でもない。
多分……多分、自分のことなのだと。
自分は母を、知らないのだと。
「そうか」
葉子の隻腕が伸びる。琵琶を取り返すのだと身を固くした。
手は、予想に反して、そのまま火羅の頭の上に置かれた。
「そうさか」
「あの……」
「琵琶、気に入ってくれたさか?」
こくこくと頷いた。
照れ混じりの笑みを浮かべながら、
「ならよかった」
そう、葉子は言った。
どうすればいいかわからず、おずおずと笑みを返した。
赤髪を撫でられる。
優しい動きだった。
時折、小さく、口を動かす。
それ以外は、何もしない。身動ぎせず、座っている。
鬼の王の娘。
聡明で、優しい心の持ち主だと言われていた。
西の鬼達には、危ぶまれてもいる。
力が弱いと。
半妖童女の姿しかないと、鬼の形をとらないと。
人の血が濃すぎて、王の後継者たりえぬのではと。
四天王である星熊童子は、王と王弟が溺愛する朱桜を気に入っていた。朱桜は人見知りするが、四天王には慣れていた。
内に狂気を持つ鈴鹿御前よりもずっといいと思っている。それが、仕える主としてふさわしいかどうかは別として、だ。医術を学ぶ彼女は、鬼らしくなかった。
だから……このような姿を目にし、内心困惑していた。
広い牛車の中で、ちょこんと座っている朱桜は、生気がなかった。
それでいて、深い、暗い、妖気を滲ませているのだ。
ここまで、言葉をかけることが出来なかった。
もう、あの場所まですぐだろう。
星熊は、意を決した。
「朱桜様、もうすぐ会えますね」
「……ええ、会えます。会って、お救いできるですよ」
『お救い』が符に落ちず、虎熊に視線をやった。
虎熊も、わからないようであった。
「玉藻御前は、もう、手を引いたと」
「そうです、手を引いたですよ。なのに……あの女」
ぎりと、角が音を立てた。
確実に大きくなっている。
虎熊はにやりとした。四つ子の末子は気性が荒く、乱を好む所がある男だった。
星熊は心配げである。四つ子の長子は穏やかで、争い事を嫌う男だった。
震動。
牛車が、地に車輪を着ける。
何事もなければよいがと、星熊童子は思った。
何事かあれば面白いと、虎熊童子は思った。