あやかし姫~そのお出かけの日(12)~
最初の店は、何かご用でとにこにこしながら店主が出てきた。
姫様を見て、ほぉと感嘆の声をあげ、これはお美しいと言った。
どのような薬が入り用ですかと問うた。
姫様が、薬の元が欲しいのですと言い、太郎には、長ったらしくさっぱりわからない名前を連ねる。
面食らうのがわかった。
二度、姫様は繰り返した。
目の前に用意された十数種類の薬草や薬虫、薬木に素早く目を走らせ、値を確認すると、ありがとうございますと礼を言った。
一つも、買わなかった。
店主は、唖然とした。
「また、来ます。出来れば、取って置いてもらいたいのですが」
「はぁ……」
店を出る。
店主は、何だったんだろうと疲れた顔をして、首を捻っていた。
太郎も、首を捻っている。
次ですと手を引っ張られる。
黙って付いていくしかなかった。
次の店は、ぶっきらぼうな店主だった。太郎が歯を剥くぐらいに。
姫様を見て、どこの姫君かは知らないが、ここは女子供の遊び場ではないと言った。
薬の元が欲しいのですと言うと、紅や白粉でも作るつもりですか、やめた方がよいですよとせせら笑った。
太郎を制しながら、長い名前を連ねる。
名前だけではなく、量も言っているのだと、太郎は気が付いた。
店主の顔色が変わる。血相を変えると言った方がいいだろう。
目の前に並べられた品々を見やり、これは違います、それも似ていますが別物でしょうと姫様は言った。
赤黒くなったり、白くなったりと、肌の色が目まぐるしく変わった。
値を確認し、また来ますと言うと、店を出た。
「大したことないね」
姫様は、ぐるると唸っている太郎に、そう声をかけた。
三番目の店。
開口一番、何が欲しいのかと問うてきた。
姫様がすらすらと答える。
まだ、太郎にはさっぱりわからない。音としては認識できるが、言葉としては認識できなかった。
店主は、薬師なのかと姫様に問うた。
「見習い、でしょうか」
視線を向けられる。う、うんと頷いておいた。
「ふぅむ。薬師見習いの……もしや、みずち村の」
少しは、名が知られているらしい。
姫様が、みずち村に住んでいますと言うと、ほぉほぉやはりと梟のような声を発した。
ずらりと並べられた様々な品。
そういやこの草見覚えがあると、太郎は思った。
姫様が刻んでいるのを、目にしたことがあった。
「これからも、よい付き合いをしたいものです」
何も買いはしなかったが、別れ際、店主はそう声をかけてきた。
三つの店を回ったところで、姫様は、
「そろそろお腹空いてきたよね」
と言った。
店は、それぞれに離れていた。
大気の匂いからして、甘味処に寄ってから、三刻(一時間半)は経ったろう。
まだ、姫様は何も買っていなかった。どこか釈然としないものがある。
昼食の店。きょろきょろとしながら探した。自然と手を重ねていた。
「なぁ? いいのか、買わなくて?」
「まだ、お店は残ってますからね」
あと、二つと、繋いでいない手で示した。
「……もしかして、全部の値を、覚えてたりする?」
「はい」
当たり前でしょうと、不思議そうな瞳を向けてきた。
いやいやいやと頭を振った。
「あの量をか」
「どうして?」
「どうしてって……すげぇなぁ。よく書き留めたりしないで」
「あ!」
「わ、忘れたのか?」
「あの子が持ってるあれ、美味しそう!」
童女が、二人。一生懸命、皮を剥いていた。
姫様の脳裏を、朱桜が掠めた。
文を送っても、返事が来ない。
心配していた。
優しい子だから、虫も殺せぬような穏やかな子だから、苦しんでいるのではなかろうかと。
「……蜜柑か。後でな」
「えー!」
「昼飯が先だろう? 結構過ぎてるし」
「軽いものがいいかな」
「きな粉餅、利いてるのか?」
「う……」
「軽いもの、なぁ……って、何だよ」
足下。
まとわりつくものがあった。
姫様が、あらと言った。
甘味処にいた、鼠の妖――火鼠だった。
「ったくよぉ。皮剥いで衣にしちまうぞ」
火鼠の衣は、火羅が好んで着ていた。
人々が怪訝そうな顔をする。
見えていないのだ。
「何だよ、何見てんだよ」
苛立つ太郎の耳を、姫様が引っ張った。
引っ張ったまま通りから外れ、ぐりっとこめかみを抑えると、
「こらこらこらー」
と、苦虫を噛み潰したような顔をした。
「ご、ごめんな、ごめんな」
「ああ、もう。短気は駄目って、いつも言ってるよね」
「うん。よく言われてる」
これで、少しはましになったのだ。
姫様が古寺に住むようになる前は、もっと酷かった。
黒之助は元より、葉子も、気が長い方ではなかった。
「まぁ、いいですけど」
ちーと、鳴き声がした。付いてきていた。
どうしたのかと姫様が問うても、火鼠はちーとしか言わなかった。
「あ」
ちょん、ちょんと、飛び跳ねた。
長い後ろ脚と比べると、前脚は小さく短い。申し訳程度だった。ちょこちょこと動かしている。
ちらと、こちらを見た。
また、飛び跳ねた。
「付いてこいってことか?」
「美味しい場所、知ってるのかな?」
「あの火鼠が? そんなこと、あるかよ」
「うめぇな、おい」
小さな店だった。
太郎は躊躇した。人気がなかったのだ。
ここなのと姫様が問うと、火鼠はちーちーと鳴き、店の中に入っていった。
「だって」
躊躇せず入る。
太郎は、仕方なく入った。
雑炊が売りらしい。
姫様は、卵とじを、太郎は鮭を頼んだ。
すぐに運ばれてきた。待たずにすむのはいいことだと太郎は思った。あつあつとろとろの麦米を口に運んですぐ、うまいと唸った。
鮭だけでなく、一枚敷かれた海苔の上に、鮮やかないくらが乗っていた。
「ほら、ほらほら。あの子に感謝しないとね」
何も言えなかった。
それだけ、美味かったのだ。
「太郎さん、ちょっと頂戴」
「あいよ」
あーむと、姫様が口を開ける。
親鳥が雛に食べさせるように、いくらと鮭を載せて、口に運んでやった。
もぐり、もぐり――ごくん。
何度も、噛み締めていた。
「うんうん、美味しいね」
「おお、おお」
「ほら」
「はい」
黒之助が、朱桜を抱えて、羽矢風の命の社に降り立ったのは、掃除を終えた黒之丞が、白蝉に弁当を食べさせていたところだった。
「おう、黒之助……久々だな、鬼の子よ」
「まぁ、まぁまぁ、朱桜さん」
「……お久し振りなのですよ、白蝉さんに、黒之丞さん」
黒之助が胡座をかくと、当然のように、朱桜はその膝の上に腰を落ち着けた。
頬の腫れが、引いていた。
「本当に、来ていたのだな」
「みゅ?」
「黒之助は気になると言っていたが、俺はわからなかった」
「たまたま、だな」
「彩花は、いないのだったな。せっかく来たのに、残念だったな」
「いいのですよ」
白蝉が、眉をひそめた。
「会いに来たのだろう?」
「だって……会わせる顔がないのですよ」
声に、哀しみがあった。
何かあったのかと、黒之丞が黒之助を見やった。
後でなと、黒之助は首を横に振った。
「もやもやして、とってももやもやして……」
「今もですか?」
「今は、違うです。今は……何だか、ふわふわしてます」
「ふわふわ……空を、飛んだからでござろうかな」
「……さぁなのです」
黒之助が近くにいるとそうなるとは、言えなかった。
そうなるのに近くにいたいのだとも、言えなかった。
「くぅ」
「くぅ?」
「くぅ?」
「くぅ?」
三人が、一つになった。
「あわわわわ」
朱桜は、真っ赤になった。
「ち、違うですよ! こ、これは、これはですね! お、お腹の虫が、最近調子悪くてですね!」
「食べるか?」
黒之丞が、ぶっきらぼうに、包みを掲げた。
「あ、あの……でも」
「構わない。どうせ、作りすぎたのだから」
「虫じゃないよな」
黒之助が言った。
「美味い虫はこの季節になるとな」
一緒に食べましょうと、白蝉が言う。
はいですと、頬を赤らめたまま、朱桜が答える。
「ああ、でも……」
琵琶。
弾く態勢になった。
「楽と共にというのも、なかなかよいものですよ」
ほろん、と、琵琶が鳴らされた。
姫様を見て、ほぉと感嘆の声をあげ、これはお美しいと言った。
どのような薬が入り用ですかと問うた。
姫様が、薬の元が欲しいのですと言い、太郎には、長ったらしくさっぱりわからない名前を連ねる。
面食らうのがわかった。
二度、姫様は繰り返した。
目の前に用意された十数種類の薬草や薬虫、薬木に素早く目を走らせ、値を確認すると、ありがとうございますと礼を言った。
一つも、買わなかった。
店主は、唖然とした。
「また、来ます。出来れば、取って置いてもらいたいのですが」
「はぁ……」
店を出る。
店主は、何だったんだろうと疲れた顔をして、首を捻っていた。
太郎も、首を捻っている。
次ですと手を引っ張られる。
黙って付いていくしかなかった。
次の店は、ぶっきらぼうな店主だった。太郎が歯を剥くぐらいに。
姫様を見て、どこの姫君かは知らないが、ここは女子供の遊び場ではないと言った。
薬の元が欲しいのですと言うと、紅や白粉でも作るつもりですか、やめた方がよいですよとせせら笑った。
太郎を制しながら、長い名前を連ねる。
名前だけではなく、量も言っているのだと、太郎は気が付いた。
店主の顔色が変わる。血相を変えると言った方がいいだろう。
目の前に並べられた品々を見やり、これは違います、それも似ていますが別物でしょうと姫様は言った。
赤黒くなったり、白くなったりと、肌の色が目まぐるしく変わった。
値を確認し、また来ますと言うと、店を出た。
「大したことないね」
姫様は、ぐるると唸っている太郎に、そう声をかけた。
三番目の店。
開口一番、何が欲しいのかと問うてきた。
姫様がすらすらと答える。
まだ、太郎にはさっぱりわからない。音としては認識できるが、言葉としては認識できなかった。
店主は、薬師なのかと姫様に問うた。
「見習い、でしょうか」
視線を向けられる。う、うんと頷いておいた。
「ふぅむ。薬師見習いの……もしや、みずち村の」
少しは、名が知られているらしい。
姫様が、みずち村に住んでいますと言うと、ほぉほぉやはりと梟のような声を発した。
ずらりと並べられた様々な品。
そういやこの草見覚えがあると、太郎は思った。
姫様が刻んでいるのを、目にしたことがあった。
「これからも、よい付き合いをしたいものです」
何も買いはしなかったが、別れ際、店主はそう声をかけてきた。
三つの店を回ったところで、姫様は、
「そろそろお腹空いてきたよね」
と言った。
店は、それぞれに離れていた。
大気の匂いからして、甘味処に寄ってから、三刻(一時間半)は経ったろう。
まだ、姫様は何も買っていなかった。どこか釈然としないものがある。
昼食の店。きょろきょろとしながら探した。自然と手を重ねていた。
「なぁ? いいのか、買わなくて?」
「まだ、お店は残ってますからね」
あと、二つと、繋いでいない手で示した。
「……もしかして、全部の値を、覚えてたりする?」
「はい」
当たり前でしょうと、不思議そうな瞳を向けてきた。
いやいやいやと頭を振った。
「あの量をか」
「どうして?」
「どうしてって……すげぇなぁ。よく書き留めたりしないで」
「あ!」
「わ、忘れたのか?」
「あの子が持ってるあれ、美味しそう!」
童女が、二人。一生懸命、皮を剥いていた。
姫様の脳裏を、朱桜が掠めた。
文を送っても、返事が来ない。
心配していた。
優しい子だから、虫も殺せぬような穏やかな子だから、苦しんでいるのではなかろうかと。
「……蜜柑か。後でな」
「えー!」
「昼飯が先だろう? 結構過ぎてるし」
「軽いものがいいかな」
「きな粉餅、利いてるのか?」
「う……」
「軽いもの、なぁ……って、何だよ」
足下。
まとわりつくものがあった。
姫様が、あらと言った。
甘味処にいた、鼠の妖――火鼠だった。
「ったくよぉ。皮剥いで衣にしちまうぞ」
火鼠の衣は、火羅が好んで着ていた。
人々が怪訝そうな顔をする。
見えていないのだ。
「何だよ、何見てんだよ」
苛立つ太郎の耳を、姫様が引っ張った。
引っ張ったまま通りから外れ、ぐりっとこめかみを抑えると、
「こらこらこらー」
と、苦虫を噛み潰したような顔をした。
「ご、ごめんな、ごめんな」
「ああ、もう。短気は駄目って、いつも言ってるよね」
「うん。よく言われてる」
これで、少しはましになったのだ。
姫様が古寺に住むようになる前は、もっと酷かった。
黒之助は元より、葉子も、気が長い方ではなかった。
「まぁ、いいですけど」
ちーと、鳴き声がした。付いてきていた。
どうしたのかと姫様が問うても、火鼠はちーとしか言わなかった。
「あ」
ちょん、ちょんと、飛び跳ねた。
長い後ろ脚と比べると、前脚は小さく短い。申し訳程度だった。ちょこちょこと動かしている。
ちらと、こちらを見た。
また、飛び跳ねた。
「付いてこいってことか?」
「美味しい場所、知ってるのかな?」
「あの火鼠が? そんなこと、あるかよ」
「うめぇな、おい」
小さな店だった。
太郎は躊躇した。人気がなかったのだ。
ここなのと姫様が問うと、火鼠はちーちーと鳴き、店の中に入っていった。
「だって」
躊躇せず入る。
太郎は、仕方なく入った。
雑炊が売りらしい。
姫様は、卵とじを、太郎は鮭を頼んだ。
すぐに運ばれてきた。待たずにすむのはいいことだと太郎は思った。あつあつとろとろの麦米を口に運んですぐ、うまいと唸った。
鮭だけでなく、一枚敷かれた海苔の上に、鮮やかないくらが乗っていた。
「ほら、ほらほら。あの子に感謝しないとね」
何も言えなかった。
それだけ、美味かったのだ。
「太郎さん、ちょっと頂戴」
「あいよ」
あーむと、姫様が口を開ける。
親鳥が雛に食べさせるように、いくらと鮭を載せて、口に運んでやった。
もぐり、もぐり――ごくん。
何度も、噛み締めていた。
「うんうん、美味しいね」
「おお、おお」
「ほら」
「はい」
黒之助が、朱桜を抱えて、羽矢風の命の社に降り立ったのは、掃除を終えた黒之丞が、白蝉に弁当を食べさせていたところだった。
「おう、黒之助……久々だな、鬼の子よ」
「まぁ、まぁまぁ、朱桜さん」
「……お久し振りなのですよ、白蝉さんに、黒之丞さん」
黒之助が胡座をかくと、当然のように、朱桜はその膝の上に腰を落ち着けた。
頬の腫れが、引いていた。
「本当に、来ていたのだな」
「みゅ?」
「黒之助は気になると言っていたが、俺はわからなかった」
「たまたま、だな」
「彩花は、いないのだったな。せっかく来たのに、残念だったな」
「いいのですよ」
白蝉が、眉をひそめた。
「会いに来たのだろう?」
「だって……会わせる顔がないのですよ」
声に、哀しみがあった。
何かあったのかと、黒之丞が黒之助を見やった。
後でなと、黒之助は首を横に振った。
「もやもやして、とってももやもやして……」
「今もですか?」
「今は、違うです。今は……何だか、ふわふわしてます」
「ふわふわ……空を、飛んだからでござろうかな」
「……さぁなのです」
黒之助が近くにいるとそうなるとは、言えなかった。
そうなるのに近くにいたいのだとも、言えなかった。
「くぅ」
「くぅ?」
「くぅ?」
「くぅ?」
三人が、一つになった。
「あわわわわ」
朱桜は、真っ赤になった。
「ち、違うですよ! こ、これは、これはですね! お、お腹の虫が、最近調子悪くてですね!」
「食べるか?」
黒之丞が、ぶっきらぼうに、包みを掲げた。
「あ、あの……でも」
「構わない。どうせ、作りすぎたのだから」
「虫じゃないよな」
黒之助が言った。
「美味い虫はこの季節になるとな」
一緒に食べましょうと、白蝉が言う。
はいですと、頬を赤らめたまま、朱桜が答える。
「ああ、でも……」
琵琶。
弾く態勢になった。
「楽と共にというのも、なかなかよいものですよ」
ほろん、と、琵琶が鳴らされた。