あやかし姫~そのお出かけの日(13)~
「その、葉子殿……」
朱桜が荒らした部屋を元通りにし、星熊童子と向き合う葉子と、その横に腰を下ろす火羅。
言いにくそうに、言葉を選びながら、星熊童子は言った。
「此度のこと、此度弟が口にしたこと、誰にも口外しないでほしいのです」
「虎熊童子のことさね」
目を三日月のように細める。
火羅が、不機嫌そうに牙を剥いた。
「朱桜様が、あの姿になられたことは、喜ばしいことなれど」
「そのために、私や葉子さんが、大変な目に合ったけど」
「それが?」
「……それがって!」
火羅を止め、葉子は、星熊童子に続きを促した。
「弟の言ったことが王に知れたら、ただでは済まない。済むはずがない」
「朱桜ちゃんに取ってかわるってことさか」
「そうです。王は、恐ろしい方だ。たいそう慈しんでおられる朱桜様のためならば、例え四天王といえど、躊躇なく消すでしょう。茨木童子様が力を失った今、王を止められる者は、いない。私達では、止められない」
「大妖は、いつもそうだわ……理不尽で、我が侭で、」
鬼姫のように、狂気を表に出すことは少ないが、王の底知れぬ冷たさを、葉子は時折感じていた。
「黙っていればいいんだね」
「弟なのです。なにとぞ、よしなに」
「部屋のへこみを直してもらった恩もあるしねぇ」
妖気を込めれば、古寺は直る。
妖気を込めなければ、そのままだ。
葉子も火羅も、込められるほどの妖気を、持っていなかった。
「いいさよ」
茶を飲む。以前のように、酒を嗜むことはなくなった。
星熊童子が、頭を一つ下げた。
「これで、一つ貸しさよ。いいじゃないか、そのうち、返ってくるさ」
不服そうな火羅に、葉子が、言った。
「問題は……朱桜ちゃんのことなんだけど」
「私は、彩花さんに、今日のことを言います」
「火羅」
「葉子さんまで襲われたんです。このこと、彩花さんは知るべきです」
「だよ、ね……」
星熊童子は、虎熊童子を探しにいった。
朱桜がいない古寺には、用がないということだろう。
「そうだよね」
苦虫を噛み潰したような顔をした。
姫様が頭を抱えるのは、想像に難くない。目に見えていた。
「あんたは、そんなに恨んでないみたいだね」
「……以前、私もやったことですし」
今日のように朱桜と太郎の妹である咲夜を襲ったわけで。
おあいこという気持ちが強かった。
「これで、朱桜さんへの貸しは、なしです」
「姫様は、仲良くしてほしいと思っているんだけどね。あたいも、そうさ」
「それは、」
あの子次第……とは、言えなかった。
蜜柑を一袋口にする。
太郎の籠は、満杯になっていた。
太郎に手渡す。もぐと、口にした。
腹ごしらえをし、残り二つの店を訪れ品々を見ると、今度は逆に回り始めた。
最も値が安く、最も質の良い物を買っていく。
値と質の釣り合いは、質の方が重いと、姫様は口にしていた。
全ての店を回り終えたとき、日が、傾き始めていた。
「終わったー」
薬の元を集め終え、疲れも吹き飛――んだわけではなく。
ぐったりした姫様は、涼やかな甘みを求めたのだ。
「ちょっと待っててくれ」
畳もうとしていた露天を目にし、太郎が言った。
「何?」
蜜柑、もぐもぐ。酸味が強かった。
「いいから」
大人しく、太郎の言うとおりにする。
火鼠は、ずっと着いてきていた。
まだ、子供らしい。
灯の灯る尾に触れても、熱くなかった。
「何だろう?」
軒下に出されていた長椅子に座る。戸口は閉じられていて、何をやっていた店なのか思い出せない。
あの露天は何の店だったのかも、思い出せない。
薬に、集中しすぎたのだろう。それに、なるべく気配を感じないようにしていた。
夕日が差すと、人気は随分と少なくなった。
代わりに、小妖の姿が目立つようになった。
気配を読んだわけではない。見えるのだ。
そろそろ、ここを発った方がいい。
妖には、縄張りがある。小妖なら気にも留めないと思うが、妖は違う。
頭領ならこの辺りの妖にも面識があるのだろうが、姫様にはない。
太郎も同じだ。
「悪いな」
「何だったの?」
「秘密」
葉子へのお土産、火羅へのお土産、黒之助へのお土産、小妖達へのお土産。
頭領へのお土産も、買った。
全部太郎がしょっている。
「気になります……」
「秘密」
咲夜さんへのお土産かな、と思った。
自分へのお土産も、買っておいた。
葉子と火羅とお揃いの櫛。
姫様は長い黒髪を、火羅と葉子は尾を梳くのに、櫛は必需品だった。
「いいですけど」
「まだ、いたのか」
足下に、声を投げかける。
ちぃと鳴きながら尾を振る火鼠は、真黒く大きな瞳を向けた。
「私達と、一緒に来る?」
火鼠は、くんくんと匂いを嗅ぐ仕草をした。
それから、ちょんちょんと飛び跳ねた。
「あ」
猫ぐらいの大きさの火鼠が二匹、姿を現した。
ちょんと、頭に飛び乗る。
「そっか……家族なの?」
「そうみたいだな」
「いいな」
「……俺達も、帰るか」
火鼠が三匹、ちょん、ちょんと、近づいてきた。
一緒に回った小さな火鼠が、ちぃと鳴いた。
「今日はありがとう」
ちぃと姫様に答える。
火鼠はぽっと火となり、消えやった。
「曇ってきやがった」
空の雲が、多くなってきた。
灰色の雲も混じっている。
「雨……降るかな、降らないかな、どっちかな」
歌うように言った。
天気。
晴れていたから、雨の用意はしていない。
そういえば、天気のこと、考えなかったな。
「また、自分の足で歩くのか?」
「……」
うーんと考える。
「歩きます」
悩んで、しまった。
「わかった」
はっと、太郎が、背を気にする素振りを見せた。
姫様が、くいと衿を引っ張る。
三匹ほど、半人半妖の姿を成した妖が見えた。
行きましょうと促す。
夕焼けが、影を伸ばす。
立ち上がった姫様と太郎の影が、先の方でぼやけ、重なった。
「帰ろうか」
「そうだな」
火鼠は、帰った。
自分達も、帰ろうと思った。
細い雨。
少し、ましになった。
外の匂いを嗅ぎ、金銀妖瞳を光らせながら、姫様の衣を脱がせようとした。
朱桜が荒らした部屋を元通りにし、星熊童子と向き合う葉子と、その横に腰を下ろす火羅。
言いにくそうに、言葉を選びながら、星熊童子は言った。
「此度のこと、此度弟が口にしたこと、誰にも口外しないでほしいのです」
「虎熊童子のことさね」
目を三日月のように細める。
火羅が、不機嫌そうに牙を剥いた。
「朱桜様が、あの姿になられたことは、喜ばしいことなれど」
「そのために、私や葉子さんが、大変な目に合ったけど」
「それが?」
「……それがって!」
火羅を止め、葉子は、星熊童子に続きを促した。
「弟の言ったことが王に知れたら、ただでは済まない。済むはずがない」
「朱桜ちゃんに取ってかわるってことさか」
「そうです。王は、恐ろしい方だ。たいそう慈しんでおられる朱桜様のためならば、例え四天王といえど、躊躇なく消すでしょう。茨木童子様が力を失った今、王を止められる者は、いない。私達では、止められない」
「大妖は、いつもそうだわ……理不尽で、我が侭で、」
鬼姫のように、狂気を表に出すことは少ないが、王の底知れぬ冷たさを、葉子は時折感じていた。
「黙っていればいいんだね」
「弟なのです。なにとぞ、よしなに」
「部屋のへこみを直してもらった恩もあるしねぇ」
妖気を込めれば、古寺は直る。
妖気を込めなければ、そのままだ。
葉子も火羅も、込められるほどの妖気を、持っていなかった。
「いいさよ」
茶を飲む。以前のように、酒を嗜むことはなくなった。
星熊童子が、頭を一つ下げた。
「これで、一つ貸しさよ。いいじゃないか、そのうち、返ってくるさ」
不服そうな火羅に、葉子が、言った。
「問題は……朱桜ちゃんのことなんだけど」
「私は、彩花さんに、今日のことを言います」
「火羅」
「葉子さんまで襲われたんです。このこと、彩花さんは知るべきです」
「だよ、ね……」
星熊童子は、虎熊童子を探しにいった。
朱桜がいない古寺には、用がないということだろう。
「そうだよね」
苦虫を噛み潰したような顔をした。
姫様が頭を抱えるのは、想像に難くない。目に見えていた。
「あんたは、そんなに恨んでないみたいだね」
「……以前、私もやったことですし」
今日のように朱桜と太郎の妹である咲夜を襲ったわけで。
おあいこという気持ちが強かった。
「これで、朱桜さんへの貸しは、なしです」
「姫様は、仲良くしてほしいと思っているんだけどね。あたいも、そうさ」
「それは、」
あの子次第……とは、言えなかった。
蜜柑を一袋口にする。
太郎の籠は、満杯になっていた。
太郎に手渡す。もぐと、口にした。
腹ごしらえをし、残り二つの店を訪れ品々を見ると、今度は逆に回り始めた。
最も値が安く、最も質の良い物を買っていく。
値と質の釣り合いは、質の方が重いと、姫様は口にしていた。
全ての店を回り終えたとき、日が、傾き始めていた。
「終わったー」
薬の元を集め終え、疲れも吹き飛――んだわけではなく。
ぐったりした姫様は、涼やかな甘みを求めたのだ。
「ちょっと待っててくれ」
畳もうとしていた露天を目にし、太郎が言った。
「何?」
蜜柑、もぐもぐ。酸味が強かった。
「いいから」
大人しく、太郎の言うとおりにする。
火鼠は、ずっと着いてきていた。
まだ、子供らしい。
灯の灯る尾に触れても、熱くなかった。
「何だろう?」
軒下に出されていた長椅子に座る。戸口は閉じられていて、何をやっていた店なのか思い出せない。
あの露天は何の店だったのかも、思い出せない。
薬に、集中しすぎたのだろう。それに、なるべく気配を感じないようにしていた。
夕日が差すと、人気は随分と少なくなった。
代わりに、小妖の姿が目立つようになった。
気配を読んだわけではない。見えるのだ。
そろそろ、ここを発った方がいい。
妖には、縄張りがある。小妖なら気にも留めないと思うが、妖は違う。
頭領ならこの辺りの妖にも面識があるのだろうが、姫様にはない。
太郎も同じだ。
「悪いな」
「何だったの?」
「秘密」
葉子へのお土産、火羅へのお土産、黒之助へのお土産、小妖達へのお土産。
頭領へのお土産も、買った。
全部太郎がしょっている。
「気になります……」
「秘密」
咲夜さんへのお土産かな、と思った。
自分へのお土産も、買っておいた。
葉子と火羅とお揃いの櫛。
姫様は長い黒髪を、火羅と葉子は尾を梳くのに、櫛は必需品だった。
「いいですけど」
「まだ、いたのか」
足下に、声を投げかける。
ちぃと鳴きながら尾を振る火鼠は、真黒く大きな瞳を向けた。
「私達と、一緒に来る?」
火鼠は、くんくんと匂いを嗅ぐ仕草をした。
それから、ちょんちょんと飛び跳ねた。
「あ」
猫ぐらいの大きさの火鼠が二匹、姿を現した。
ちょんと、頭に飛び乗る。
「そっか……家族なの?」
「そうみたいだな」
「いいな」
「……俺達も、帰るか」
火鼠が三匹、ちょん、ちょんと、近づいてきた。
一緒に回った小さな火鼠が、ちぃと鳴いた。
「今日はありがとう」
ちぃと姫様に答える。
火鼠はぽっと火となり、消えやった。
「曇ってきやがった」
空の雲が、多くなってきた。
灰色の雲も混じっている。
「雨……降るかな、降らないかな、どっちかな」
歌うように言った。
天気。
晴れていたから、雨の用意はしていない。
そういえば、天気のこと、考えなかったな。
「また、自分の足で歩くのか?」
「……」
うーんと考える。
「歩きます」
悩んで、しまった。
「わかった」
はっと、太郎が、背を気にする素振りを見せた。
姫様が、くいと衿を引っ張る。
三匹ほど、半人半妖の姿を成した妖が見えた。
行きましょうと促す。
夕焼けが、影を伸ばす。
立ち上がった姫様と太郎の影が、先の方でぼやけ、重なった。
「帰ろうか」
「そうだな」
火鼠は、帰った。
自分達も、帰ろうと思った。
細い雨。
少し、ましになった。
外の匂いを嗅ぎ、金銀妖瞳を光らせながら、姫様の衣を脱がせようとした。