小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~跡目争い(3)~

 都を少し離れるだけで、人の世界ではなくなった。
 澄み切った山の空気、獣の気配、鳥の気配。ここに、昏く深い人のざわめきはない。
 都の喧騒から離れ、竹林を歩いていた頼光は、早足を止め振り向いた。
 水干を身に着け、長い髪を一つ括りにして背に垂らした、凛々しい少年。
 いや、少年ではない。少女であった。
 刀を腰に穿いた男装の麗人は、見慣れたはずの頼光がはっと溜息を吐くような、不思議な色香をまとっていた。
「綱姫、私は一人でいいと」
「心配だ」
 渡辺綱の真っ直ぐな瞳に気圧されたように、源頼光は視線を逸らした。
 坂道、竹の影、隙間の光。陰影が綱姫の姿を滲ませる。身体の輪郭がぼやけているのは決して気のせいではなかった。
「先方は私一人でと仰せなのだよ」
 数多の妖が彼女の中で首を傾げた。 
「私は、刀だ」
 つかつかと歩み寄り、見上げる。
 頼光も決して背が高い方ではないが、綱はもっと小さかった。見上げる瞳はどこまでも真っ直ぐで、一点の曇りもなかった。
 綱の瞳を見て、頼光と違う感想を持つ者もいる。感情のない瞳だと。作り物のような瞳だと。
「だから、いいのだ。頼光様は一人だ」
「綱」
 頼光の表情が曇った。
「なんだ」
「綱と私。一人ではない、二人だよ」
 また、妖が蠢く。綱姫の身体は不安定だった。陽炎のように身体の線が滲んでいる。
「そうか」
 綱は、解き放たれた日のことを思い出した。
 渡辺の家を襲い、囚われていた綱姫の手を取り、目の前の男は、同じ言葉をくれた。
 あの時、検非違使の見慣れた面々に、二番隊、三番隊、四番隊と、各々の長もいた。揃いも揃って変な奴ばかりだった。
 結局、渡辺家は太宰に流され、綱姫だけが都に残った。そして、源家に引き取られた。襲った面々にお咎めはなかった。
「いる」
 坂路の先の大きな切り株。見事な鬼馬がいて、美しい若武者が切り株に腰を下ろしていた。美丈夫の額には二本の角があり、冷ややかに視線を投げかけていた。
 山々の、闇に蠢く者達が、はっしと息を潜める要因たる鬼。
 美麗な顔は、陰鬱げだった。
酒呑童子殿」
 頼光は恭しく頭を下げた。
「一人でと俺は言ったのだがな」
 冷えた空気をさらに凍えさせる妖気がじわりと広がる。鬼の声には、剥き出しの敵意があった。
「約束を違えるのか?」
茨木童子がやられたのか?」
 綱姫が言った。空気が凍りながら燃えた。
 平然とした顔で、
「違うのか?」
 そう、綱は言った。
「……そのことで話がある」
「なんだ、やっぱりか」
 頼光は衣を汗で濡らしていた。率直な物言いによって拗れるのではないかと。綱姫は肝が太いのではない。感情の機微を読みとることに慣れていないのだ。
 剣には必要ないと、彼女は教わってこなかったのである。
「小娘、口の利き方に気をつけろといつも言っているだろう」
 綱姫が千種万様変化する。その本来の姿を晒す。鬼の王の殺気に、本能が反応したのだ。
 百鬼夜行を喰らいつくした蠱毒の姫は、小さな四肢に数多の妖を宿していた。人とはいえないだろう其の姿。数多の妖と人が混じりし形。顔以外は、妖だった。
 凛々しい美貌が哀れだった。
「待て、待て! 綱、落ち着け! 酒呑童子殿も、気をお鎮め下され!」
 しばらく睨み合っていた。それから王が、妖気の矛を収めた。綱姫も人の姿に戻る。
 何事もなかったように、綱姫は鬼の王を見やった。
 魂の籠もらぬ瞳だと酒呑童子は苦々しく見やった。
 綱の瞳は死んでいるようにしか見えなかった。
「とにかく話を」
 頼光がゆっくりと足を進めた。綱姫もゆっくりと足を進めた。
 そこでいいと鬼は掌で示した。
「単刀直入に言おう。弟が襲われた、らしい。やったのは、お前達か?」
「違います」
「らしいというのは? 茨木童子に異変があったのは、童子切安綱が教えてくれた」
 綱の腰の刀に、酒呑童子は目をやった。弟の腕を断ち切った刀である。一条戻り橋での出来事だ。すぐさま二人で腕を取り返しに行き、綱姫と爪を交えた。
 大妖の血を吸った刀は、力ある者ならば一目でわかる妖刀になった。
「詳しくはわからぬ。話を聞こうにも、弟は眠ったままだ」
「鵺」
「違う」
「どうして言い切れる?」
「棒だ。棒で滅多打ちにされた傷だ、あれは。鵺は棒を使わない」
 茨木童子を倒せる棒術の遣い手。
 頼光の知り人にはいない。
「天狗」
 天狗はおおむね錫杖の遣い手である。鬼は遠くを見る目をした。是とも非とも答えなかった。 
「お前達ではないのだな」
「おそらくは」
「そうか、都ではないのか」
 大江山鬼ヶ城が戦支度を整えたことが、酒呑童子の姿でわかる。
 京も慌ただしくなっていた。茨木童子に異変が生じたことは上に伝えている。検非違使達が各所に配され、陰陽寮も動いている。
 頼光は京を守る検非違使をまとめる立場にあり、妖との交渉を陰陽頭と共に任されていた。
茨木童子はよく災いに遭う鬼だな。黒夜叉の乱といい、鵺騒ぎといい、東の騒乱といい」
 綱姫が言った。思ったことを口にしただけで、そこに悪意はないと頼光は知っている。だが、肝を冷やすには十分だった。
「お前も災いの一つだ。茨木は……大妖だったこともあるが、争いに向いた性格ではないからな」
 案外に酒呑童子は穏やかであった。
「お前達ではないとわかれば十分だ」
「なにか手立てがあるのか」
「人を呼んである。その娘なら何かわかるかも知れない」
 酒呑童子は複雑な表情を浮かべた。
「娘?」
 綱姫が問うた。
「似ていると言えば似ているな、綱姫と。似ていないと言えば全く似ていないが」
「言っている意味がわからない」
 酒呑童子は鬼馬の手綱に手を伸ばしていた。話は終わりということだろう。
 ――いた。
 綱姫が頼光の前に立ち塞がる。竹林を白い光が縫い奔った。
 白い獣は頼光の前に出ると、
酒呑童子様もいたのか」
 そう、人の言葉を発した。
「尾咲」
 名前を告げた頼光を見やり、手綱を手放した酒呑童子を見やり、丸い白兎は長い耳を動かした。
「主からの言伝です」
 白兎の赤い目が青く染まった。
「天狗に動きがあった」
 女の声が、涼やかな男の声色になった。
「菊丈坊殿と前鬼坊殿が襲われていたらしい」
「どちらも大天狗ではないか」
 酒呑童子が驚く。鞍馬の大妖である僧正坊鬼一法眼の次位に当たる天狗だ。
 西の鬼でいうと、茨木童子に当たる。
「なずなという女に率いられた一党が姿を消している。これが臭い。表だっては騒ぎ立てていないが」
「なずなか」
 酒呑童子はその名前に聞き覚えがあった。
主上からは京を固めよとのお達しだ。結界の外はどうでもよいのだな」
 白兎はそう皮肉げに言うと、目を赤色に戻し、また光に変じて奔っていった。
「あれで陰陽頭が務まるのだから、面白いものだ」
「頼光様、私も検非違使に戻った方がいいのではないか」
「それは」
 頼光は、綱姫の言葉に即答出来なかった。
「鬼も天狗も乱れた。変だ。私は、頼光様の傍にいた方がいい気がする」
検非違使の主は弱いからな」
 鬼の王が愉快そうに笑った。
「そうだ、弱いのだから大人しく守られた方がいい」
「弟を襲ったのは天狗ではないのだろうな」
 鬼と天狗。都を取り巻く二つの大きな勢力に異変が生じ、混沌としてきた。西国でも東国でも、大きな妖の乱があったばかりである。 
「綱姫、頼光を守ると言っているが、お前も気をつけろよ」
「私?」
「妖の政も、都の下衆共と同じようにどろどろとしたものよ。だが、俺達にはわかりやすい解決法がある。全てに勝る方法だ。力だ。妖としての力だ。どれだけ謀を巡らせようと、結局はそこに行き着く。雪妖の女王も、西の妖狼の姫も、色々と動いていたが、そこで躓いてしまった。奴らに絶対的な力はなかった」
「力に頼るのは当たり前のことだ」
「お前は絶対的な力の証になる」
 綱姫がこの国有数の力を持っているのは間違いなかった。
 少女の身体は、この地と彼の地の呪いの結晶であった。
「私が狙われると言いたいのか?」
「鬼と天狗がやられた。次はお前達だろう?」
 陰鬱な笑みを見せた。
 息を呑んだ頼光を尻目に、酒呑童子は鬼馬を走らせた。



 足下に積もっている。
 何が積もっているのだと目を凝らすと、おびただしい骸であった。百はくだらないだろう、妖の死骸だ。
 少女が突っ伏し、少女が見下ろしていた。
 少女は嗤っていた。
 突っ伏した少女の肌にめりめりと、嗤う少女の牙が刺さる。肉を噛み千切り、喰らう。蒼白い喉が動く。禍々しい刀が光る。肉を喰らう少女が刃に触れると、刀は錆びて砕け散った。
 顔が見たい。全てはぼやけた後ろ姿。そうなっていると感じるだけだ。
 はっきりとした形が欲しい。これでは酷く不安定だ。
 そう、その顔。同じ顔。私が少女を喰らっていた。嬉しそうに嗤いながら。 
「私のせいだ」
 やまめが呟いた。
「そんなことないさよ」
 六人でもゆったりと座れる、大きな車であった。
 姫様は額を押さえる。夢を見ていたらしい。鮮やかな夢だった。
「いいえ、私のせいです。私はやっぱりふさわしくなかったんです。金銀妖瞳の呪い仔の私は」
 火羅が、金銀妖瞳の妖狼ではなく、やまめの傍らに座する姫様に目をやった。
 姫様と葉子がやまめを挟んで座っている。
 火羅は、黒之助の隣、葉子の前だ。姫様の前に、太郎が座っていた。
 三人ずつ向かい合った席。火羅がさりげなく皆を誘導した。気づいたのは姫様だけだろう。 
「太郎さんを侮辱しているのですか?」
 まだ夢は抜けきっていない。言葉が刺々しい。
「姫様、俺は」
「やまめさんのせいじゃありません。金銀妖瞳のせいなどと、とんでもないことです。気をしっかり持つことです。茨木童子様は貴方を選んだのですよ」
 淡々と姫様は述べた。やまめは、すまなさそうに太郎を見やり、肩の力を抜いた。
「申し訳ないことです」
 姫様は横を向いた。
 朱桜が心配だった。溺愛する叔父を朱桜は好いていた。火羅を連れてきたのは、失敗だったかもと思った。童女の心を騒がせることになるだろう。視線を向けると、心細そうな視線が返ってきた。
 今朝、火羅は様子がおかしかった。いつものように起こしにいくと、裸で横になっていた。豊かな、傷だらけの肢体に面食らっていると、ぼんやりとした目で火羅は何事か呟いていた。
 よく聞き取れなかった。
 その肩を揺らしながら着る物を探していると、火羅が手を絡めてきた。
 しばらく手を繋いでいた。
 火羅は、心も身体も疲れていた。今もそうだ。たまにそんな日がある。理由はわからない。そんな日は妙に色っぽい視線を向けてきた。そんな日の火羅はやけに艶めかしく見えた。
 そして、苦しそうだった。
「火羅さん」
「わかってる、邪魔にならないように隅っこにいるわよ」
「太郎さん、何かあれば、火羅さんをよろしくお願いします」
 火羅が、びくりと身を震わせ、頬を紅潮させた。
 黒之助は鞍馬山に行く。葉子には守る力がない。だから、太郎に頼んだだけだ。
 火羅の反応は姫様の心をざわめかせた。
「そ、その、太郎様、よろしくお願いします」
 太郎は頷いた。
 火羅の視線が気にくわない。太郎ではなく……誰に向ければ満足なのだと、姫様は薄く自嘲した。
 まさか自分ではあるまいにと。
 火羅の心が一瞬揺れた。気づいた者はいなかった。