小説置き場2

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あやかし姫~跡目争い(4)~

「彩花さま!」
 とてとてと歩み寄った幼子は、敵意を剥き出しにして足を止めた。
 姫様は、一点に視線を定めた幼子がどうするのか、静かに窺った。
 車の中は空っぽである。皆、皆々、地面に降りた。
 幼子は一度止めた足をまた動かし始めた。
「彩花さま……彩花さま、彩花さま」
 幼子が姫様にしがみついた。
 太郎が牙と爪を収めた。
「やまめさんと一緒です」
「お久し振りです、朱桜様」
 白髪の若い山妖は、緋の眼を金銀妖瞳に戻していた。
 武具防具で身を固めた鬼達がどよめく。
 太郎が金銀妖瞳に戻したのを見て、さらに大きなどよめきが生じた。
 成長したんさねと、葉子は思った。
茨木童子様は」
「叔父上は、まだ、意識が戻ってないですよ……彩花さま、クロさんはいないのですか?」
「クロさんは鞍馬山に用があると」
 黒之助は途中で馬車を降りていた。
「……天狗さんですもんね」
 残念ですと、鴉天狗の姿を探していた朱桜は言った。
 葉子さん、太郎さん。
 名前を呼ばれた二匹の妖は、片方はにこやかに、片方は無愛想に、鬼の姫君に礼をした。
「火羅」
「朱桜さん、よしなに」
「……一応、客人として扱いますです」
「お好きなように。私はただ、彩花さんの友人としてここへ」
「友人……彩花さまの友人ですか。いい響きですね。貴方には似合わない言葉ですが」
茨木童子様の許へ」
 そう姫様が言うまで、二人は睨み合っていた。



「ものものしいですね」
「はいです、ものものしいのです」
 出会う鬼は全て戦装束であった。姫様一行は明らかに浮いていた。
「嫌なものですよ」
 太郎が物珍しそうに鬼ヶ城の壁に触れていた。東の鬼姫の住まいである鬼岩城とは違い、壁は白木であった。
 あんまりきょろきょろしないさねと葉子が嗜める。姫様もきょろきょろするのをやめた。初めて鬼ヶ城を訪れたのだ。
 玉藻御前の直系である白狐と、西の妖狼の姫君は、さすがに堂々としていた。
 やまめは静かである。静かすぎるほど静かだった。
「朱桜ちゃん、後で薬湯を煎れてあげるね」
「私にですか?」
「疲れによく効くから」
「はい……はい、彩花姉さま」
「うん」
 姉さまという言葉が心地良くて、姫様は思わず顔を綻ばせ、朱桜と繋いだ手に少し力を込めた。
酒呑童子様は?」
「今はお出かけ中です。星熊さん達も支城にいるですよ」
「てぇことは、朱桜ちゃんがここで一番偉いさか?」
「なのですか?」
 幼子は、不思議そうに首を傾げた。
「……じゃないかな」
「ふーん」
 あまり関心はないようだった。
 案内されたのは、淡い緑色の部屋。
 部屋の中央に寝かされているのは、見目麗しき、鬼の男。
 やまめは声を失った。姫様はまだ落ち着いていられた。
「叔父上、叔父上、彩花姉さまが、来て下さいましたよ」
 ことんと座った朱桜が、鬼の胸をさすった。
 さすりながら、耳元で囁いた。
 鬼はこんこんと眠っていた。
「叔父上、叔父上、葉子さんと太郎さんも、来て下さいましたよ」
茨木童子……様」
「叔父上、叔父上、やまめさんですよ。叔父上が逢いたがっていた、やまめさんですよ」
 姫様が腰を下ろした。
 太郎が背負っていた二つの籠を下ろした。
 やまめは立ち竦んでいる。葉子に肩を叩かれると、崩れ落ちるように膝をついた。
 朱桜が、
「起きませんね、叔父上」
 と、言った。這うようにして、やまめが茨木童子に近づいた。
「声をかけて下さいですよ。お願いします」
「……やまめ、です」
 籠の中をがさごそと探っていた姫様の手が、止まった。
「来ましたよ、茨木童子様。やっと決心がついたのです。本当は、もっと早くに……ごめんなさい、私が、私が、私が……ごめんなさい、ごめんなさい」
「朱桜ちゃん、傷を見ていい?」
「……はいです」
 姫様が寝具を剥いだ。茨木童子が身に着けているのは襦袢だけだ。
 するすると脱がしていく。朱桜も葉子も太郎も平然としていたが、火羅とやまめは面食らった。
 鬼の身体には、たくさんの傷があった。
「そんな!」
 小さく叫んだやまめが、姫様を押しのけ、茨木童子の身体に縋りついた。
 牙を剥き出しにした太郎と火羅を、白尾を見せた葉子が押し止めた。
 やまめが食い入るように見るのはあの傷だった。
 黒夜叉に、そして鵺につけられた傷が、さらに抉られていた。
「酷い、酷い、少しずつ癒えていたというのに、何て事を、何て事を」
 むくりと起き上がった姫様は、やまめに文句を言うでなく、淡々と傷を見やった。
 一際酷い傷以外にも、大小様々な傷がある。治療のやり方に文句はなかった。
 西の鬼の医術に携わる者全てが力を注いだのだろう。見事としか言いようがなかった。
「私に出来ることは……なさそうですね」
「彩花さま、彩花姉さま、何かありませんか?」
「……私には、今は何も」
 やまめが啜り泣いている。
 ずっと静かなままだった。



「ごめんね、何も出来なくて」
「彩花姉さまが謝ることないですよ。お迎え出来て、私は嬉しいですよ。しばらく……しばらく、いてくれるですよね? すぐに帰らないですよね?」
「ええ」
 帰る時期は決めていなかった。とりあえず、事が落ち着くまではここにいようと、姫様は思った。
「いいよね、葉子さん」
「ん、あたいはいいさよ」
 太郎と火羅には尋ねなかった。
「もうね、今、大変なのですよ。虎熊さんは寝込んじゃってるし」
「虎熊童子が?」
 太郎が、言った。
「はいです。何でも、父上様の怒りに触れたとかで。星熊さんが支城を二つ任されて、てんてこ舞いなのです」
「ああ――」
 葉子が頷いた。
 酒呑童子が許すわけがないのだ。虎熊童子はやってはいけないことをやってしまったのだ。 
「叔父上が倒れて、みんなみんな、父上様も怖い顔で……大変なのですよ」
「誰にやられたのか、わかっているのかしら」
 火羅が言った。
 朱桜が睥睨する。姫様は手に力を加えた。
「……彩花姉さま、叔父上が誰にやられたのか、わかっていないのです。でも、すぐにわかるですよ。叔父上に勝てる人なんか、いっぱいいっぱい、いないですから。傷は、一人の手によるものですし」
「一人?」
 姫様が不思議そうに言った。
「ふぇ? 父上様は、そう言ってましたですよ。同じ傷だって」
「一対一で、茨木童子様を負かせる奴なんて、本当に数少ないさよ。元大妖なんさよ」
「一人……なの?」
「姫様、どうした?」
「あ、いえ、何だか色々な傷に見えたから」
「色々な傷?」
 火羅の言葉を最後に、皆の会話が途切れ、姫様に視線が集まった。
「鬼。人。……獣? 妖よりも、神仙に近い、獣」
 記憶をなぞるように、言葉を区切りながら、姫様は言った。
「そんな傷です。私がそう感じただけですが」
「鵺に負けたからじゃないの?」
「……叔父上は負けてないですよ」
 朱桜の影が動いた。
「いえ、鵺ではなく――鵺では、ありません」



「さっきの話、本当なの?」
 そう、火羅は姫様に言った。
「え?」
 火羅はお盆を提げていた。湯呑みが二つ乗っている。
 湯呑みの中身は姫様特製の薬湯である。火羅は、何も手伝ってないからと、運び役を買って出た。
 何も手伝っていないのではなく、何も手伝わせなかったのだが。火羅が手伝ったら、時間が倍になっても作り終わらないだろうから。
 覚束ない手元を心配して、姫様は火羅の話をきちんと聞いていなかった。
「……鬼に、人に、神仙に近い獣って話」
「ああ……多分ですよ、多分」
 姫様は目を細めた。
「少なくとも、何かしらの関係はあると思いますが」
「勘なのでしょう? 証拠はないのでしょう?」
「勘……勘ですが、よく当たるんですよ、私の勘」
 火羅は、姫様の横顔に目をやった。
 今は表には出ていないが、あの女が何かしたのかと思った。
「あの子、むやみやたらとくっつきたがるわね」
「はい?」
「……朱桜よ。ずっと貴方の手を握ってたじゃない」
「妹だからかな?」
「義理でしょうが」
「それでも、妹ですよ――火羅さんもなります?」
「何に?」
「妹」
「私が、何に?」
「だから、私の妹に」
「……ば、ば、馬鹿じゃないの!? 貴方の妹になんて、なるわけないでしょ! まっぴらごめんよ! そもそも、そもそもよ、私の方が年上じゃないの! おかしいわよそんなの! ならない、なりません、なりませんから! なーりませんから! 妹になってどうするのよ、貴方、私をどうしようってのよ!」
「ですよね」
「うん……ならない」