小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~跡目争い(5)~

 行ってしまったと火羅は思った。
 鬼の姫に案内された部屋は、広さはあれど、落ち着いていた。
 あの古びたお寺に雰囲気が似ていた。
 火羅は今、部屋の真ん中でぼんやりとしている。
 葉子はやまめに付いていると言い、姫様は朱桜に城内を案内してもらうと行ってしまった。今は、太郎と二人っきりで、あてがわれた部屋に待機中である。
 太郎は姫様達とは別の部屋を用意されていた。三人ほどが寝具を敷ける、たくさんのお菓子が用意された部屋だ。
 背負い籠を二つ、姫様の部屋に運び込むと、太郎はすぐに獣の形をとり寝そべった。
 あてがわれた部屋に行かないのは、彩花と一緒にいたいからだろうと火羅は思ったが、そうではないようで、これ見よがしに手を繋いだ二人を大人しく見送った。
 多分、馬車の中で言われたことを、忠実に守ろうとしているのだろう。
 すんと鼻を鳴らす――寂しい。
 誰かと話でもしようかと思うと太郎しかいない。今は何を話せばいいのかわからない。
 微妙な間柄なのだ。
 同じ妖狼だけど、西と北で、ずっと昔に素っ気なくあしらわれて、縁談を申し込んで、破談になって、あの子の想い人で想われ人で。
 我を忘れ、妹を傷つけようとして、鬼の姫と拗れる要因になって。
 あまり親しくすると、あの子が怒る。車の中でも怒っていた――口にはしないそれが、一番怖い。嫉妬深かった。意外ではない。そんなあの子だからこそ、九尾の大妖から守ってくれたのだ。
 少しふらふらする。昨夜の疲れが腹の底に淀んでいた。
 あの子が鬼の姫に取られたとき、自分もと言えなかった。
 あの子に誘われたのに、行かないと言ってしまった。
 思いと裏腹な事しか出来ない。いつもそうだ。正反対の言葉に行いばかりだ。今は笑って許してくれているが、そのうち腹を立てるに違いない。
 怒られて、追い出されたら、お終いなのに。
 そうなる前に素直になりたい。
 ただ素直に甘えたい。
「火羅は行かなくて良かったのか」
 霞がかっていた焦点が合う。顔を下向かせると、金銀妖瞳と目があった。まだ、この瞳には慣れない。妖の血に刻まれた怯えはそう簡単に消えはしない。
 あまり表に出なくなったとは思うけれど。
「何のお話ですか?」
「姫様、朱桜ちゃんと行っちまったけど、火羅はいいの?」
「城に興味はないですし」
 妖狼が目を瞬かせる。柔らかそうな白尾がぱたぱたと上下した。
 北は雪のような白毛が多く、西は炎のような赤毛が多かった。
 形の良い肉球が舐めて欲しそうにこちらに向けられている。思わず舌を出しそうになり、はっと火羅は口を押さえた。
 腹這いになった太郎は、随分と力の抜けた姿だった。
「太郎様こそ宜しいのですか? 彩花さんと朱桜さんが行ってしまって」
「ん?」
「朱桜さんは、何をしでかすかわかりません。もしかしたら、彩花さんに危害を」
「朱桜ちゃんは大丈夫だ」
 そう言われるとわかっていた。
 わかっていたのに言ってしまった。    
 嫌だ。
 嫌われることに疲れたのに、どうして嫌なことを言ってしまうのだろう。
「姫様に懐いているし、一応姉妹の契りを結んでるし」
「そんなもの……当てにはなりません」
 こんな話をしたいわけじゃないのに。
「……大丈夫か?」
「え?」
「さっきからふらふらしてるぞ?」
「そうねですね……話の途中ですが、少し身体を横たえても?」
「俺はいいけど……あ、布団、敷く?」
「いえ、お構いなく」
 太郎みたいに小さな狼の姿になれば楽なのだが、衣服を残して変化する自分に奇異の目を向けられると困る――背中の傷は、知られたくない。
 傷は絆だ。あの二人との絆だ。
「はぁ……」
 背中を畳に付け、手足を投げ出す。
 紅く癖のある髪がふわりと拡がり、姫様お下がりの衣がやんわりと乱れた。 
「布団、本当にいらないのか?」
 揺すられる。目を開けると、太郎の人の顔がすぐ近くにあった。
「え、あ、あ……」
 布団……男女二人で、布団? それが意味する所は……睦み合い!? 
 こんな時間から交わろうと!?
 こ、心の準備が、二日連続は身体の準備が……へ?
 だ、誰と? 誰と誰が睦み合うと?
「太郎様には、さ、彩花さんが」
「今は、いない。火羅だけだ」
「あーれー」
 不倫!? 
 浮気!? 
 略奪愛!?
「おい」
「ひゃう!?」
 背中を付けたまま手足を動かし太郎から離れると、火羅は深呼吸をした。
 いつものように大きく開いた胸元を隠すと、傷痕の残る身体を縮め、そっと様子を窺う。
 太郎は見るからに困惑していた。
「な、何だ? 何だ今の動き?」
「気にしないで下さい」
「じ、尋常な動きじゃなかったぞ。す、凄かったぞ」
「気にしないでよ! お願いだから! お願いします!」
「……わかった」
 気まずい。気まずいけど、しょうがない。
 あんな所見られたら、多分……多分、多分、多分――
「この……泥棒猫が」
「ち、違う、違うわ!」
「ああ、泥棒狼ですね……がっかりです、火羅さん。ええ、がっかりですよ。信じていたのに、友達だって……命までは取りません。右腕を切り落とすだけです。後は何処へなりとも消えて結構ですよ」
「待って、待ってよ」
「彩花姉さま、腕押さえますですよ」
「嫌、嫌」
「朱桜ちゃんの言う通りでしたね。忌々しい、忌々しいですよ」
「ごめんなさい、ごめんなさい」
「謝っても、遅いんですよ――えい」    
 とにかく、じっと小さく大人しく。元々、来るはずじゃなかったし、いないように、いないように。
「おい」
「そんなんじゃないから、だ、大丈夫だから、だから、落ち着いて、ね」
「お前が落ち着けよ」
「……あ」
 白い狼の掌。肉球が額。火羅は、こくんと頷いた。
「姫様と行けばよかったのに」
「彩花さんと……」
「寂しいんだろ?」
 こくん。
「匂い、追えるか?」
「……追えないわ。鼻、効かないもの」
「じゃあ、俺が追ってやる」
「……ま、まだ、行くと」
「一緒に行きたかったんだろ?」
 こくん。
「決まりだな。ほら、行くぞ」
 誘われるまま、外に出る。
 荷物が、とか、鬼の姫が、とか、色々あるけれど、もう、どうでもよくて。
 太郎が、鬼ヶ城初めてなんだよなぁっと嬉しそうに言った。
 一吠え。
 妖狼がむくむくと大きくなる。その真の姿を露わにする。
「ほい」
 奥襟をくわえられた――太郎に。
「……ぎゃあ!」
 走り出す。捲れる裾を押さえる。目がぐるぐる、耳がぐわぐわする。
 突然立ち止まると、ぱっと襟を離された。
 きゃあと小さく声を上げる。地面に着けた掌が、ぬるりとした。
 何だろうと顔に近づける。
 赤かった。
 錆びた鉄の臭いがした。
「おい、おいおい、ここは鬼ヶ城だろうが、西の鬼の根城だろうが……ふざけるなよ」
 血。
 真正面。
 屍。
 ――南の妖狼が、西の鬼を屠っていた。