小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~跡目争い(7)~

 儚げな女だった。
 天狗の総本山である鞍馬山にあって、女の姿は浮いていた。
 白いのだ。黒い修験者姿をとる天狗達の中にあって、白い修験者姿なのだ。
 女はいつも一人だった。
 黒い群れの中で一人白かった。
 なずなという女は白天狗――天狗道に堕ちた人の成れの果てであった。
「なずな殿?」
「黒之助と黒之丞ですね」
 黒之丞と黒之助が一喧嘩終え、一息ついていたときだ。
 白煙を靡かせながら白衣の女が目の前に降り立った。
 黒之助は、きちと不機嫌そうに鳴いた黒之丞を制して、白天狗を見やった。
 気怠げな女は、煙管を弄びながら、寝転んでいた二人を見下ろしていた。
「また暴れていたのですか」
 物憂げな顔からは何を考えているのか窺えないが、害意は感じなかった。
「知り人か?」
「……う、うむ」
 殺気づいた黒之丞を押さえるために、黒之助がそう言うと、儚げな容貌をした女は表情を覗かせた。ほんの垣間で、黒之丞に気を取られていた黒之助は知りえなかった。
「知り人と言うほど互いを知りはしないでしょう。今日初めて話しているのですから」
 黒之助を制するようにして女が言う。投げやりな響きのある話し方だった。
 隣に腰を下ろすと、黒之助の杯を手に取り、勝手に飲み干した。
「いいお酒……美味しいです」
 少しだけ表情が出た。黒之丞が用意した蜜酒だ。
「大天狗様の使いか?」
 それしか心当たりがなかった。黒之丞があからさまに身構えた。
「まさか。少し興味を持っただけです」
 悪戯っぽい笑みを浮かべる。儚げだが、芯があると黒之助は思った。物足りなそうに感じたので杯に酒を注いでやると、意外そうな顔をした。
「無法な乱暴者だと聞いていたのですが、そうでもないのですね」
「……」
「今日は顔見せ、です。鞍馬山に戻り次第、きちんとした顔合わせがあるでしょう。その時はどうぞよしなに」
「顔合わせだと。何の話だ」
「秘密です」
 杯を置く。
 白い羽を広げたなずなは空に消えた。
 黒之助は呆気にとられていた。
 警戒を解いた黒之丞は何だったのだと呟いた。



「黒之助、黒之丞」 
 いたいたと気怠げな声がかかる。寝転んでいた二人は、同時に身体を起こした。傷だらけで装束もぼろぼろだ。今日の喧嘩は派手だった。相手の数が多かったのである。それでも、二人で勝ちはした。
「傷薬を持ってきたよ」
 そう言ってなずなが掲げたのは酒瓶である。黒之助も黒之丞も苦笑した。
「なずなはどうして俺達の傍に?」
「興味があると言ったでしょう? それに、二人の傍はなかなか面白いよ。飽きないもの」
 気怠げなのは相変わらずだが、口調が砕けたものに変わっていた。
「黒之助の許婚だからか」
 黒之丞が言った。なずなの表情がさっと消えた。
「それは……言わないでよ」
「嫌なのか?」
 追い討ちをかけるように黒之丞は続けた。
「どうかな」
 なずなが遠くを見る。黒之丞はまだ何か言おうとした。 
「黒之丞」
 黒之助が睨むと、ばつが悪そうに化け蜘蛛はそっぽを向いた。
「……わかったわかった」
 鴉天狗と白天狗と化け蜘蛛が、横になって星を眺めていた。
 この三人で居るときが多くなった。黒之助は嫌ではなかった。黒之丞も同じらしい。許婚の話は受け入れも断りもしていない。
 これでいいのではないかと思っていた。
 三人でいる時が心地良かった。
 こんな時がずっと続くのだと思っていた。
「黒之助、久し振りです。元気にしていましたか」
「……ああ」
「黒之丞は解き放たれたようですね」
「最近、妻を迎えたよ」
「あの黒之丞が?」
「うむ」
 是非とも会ってみたいですねと、なずなは笑った。
「黒之助は?」
「……考えたこともないな」
「そう……貴方にとって私は?」
「なずなは……なずなは、拙者の……」
 答えは出ていない。否、考えないようにしていた。
「わかりませんか。私もわからないです。でも、これだけは確か。逢えなくて寂しかったよ、黒之助」
「……そうか」
 鞍馬山が燃えていた。
 鞍馬の大天狗が神刀を構えていた。
 白装束の天狗が薙刀を携えていた。
「もう会わないと言ったのは私なのに……勝手だけど、御免」
「お互い様だろう」
「丸くなったね。顔が優しくなった」
 今の顔も嫌いじゃないよ。
「……薙刀を下ろせ」
「厭。それは出来ない」
 静かな問答だった。
「相変わらず鴉天狗なんだ」
「まだ、このままでいいと思っている」
「私は……厭だな。厭なんだよね。ずっと厭だった。後悔し続けていた」  



 これからどうしようと姫様は頭を抱えていた。
 背負った朱桜の身体が重かった。
「太郎さん……わからない」
 太郎の場所が掴めなかった。争い事が邪魔をしているようだ。戦場と呼ばれる場では、鋭敏な感覚は方々で起きる闘いに邪魔されて、あまり役に立たないらしい。
「白刃に頑張ってもらわないと」
 口にしながら気休めだと思った。小さな化け狸と互角の争いをするほど弱いのだ。今日は二人を背負えるぐらいには大きいが、太郎や火羅と比べると赤子のようなものだった。
 式神もそうだが、自分は争い事に向いていない。守られてきたから学ぶ必要なかった。
「みんな大丈夫かな」
 嫌な感じがした。火羅と太郎のことだ。殊の外親しいような気がする。同じ妖狼だから気安さがあるのかもしれない。文が届いたときもこそこそ話していた。今も、自分の目が離れた隙に――
「心配しているのか、嫉妬しているのか……嫉妬?」
 嫌だなと思った。火羅は大切な友人。くだらない嫉妬をする暇があるならば、この先どうすればいいか、考えるべきだ。
「はあ」
 とりとめのないことを考えていると、少し落ち着いてきた。状況を受け入れるための儀式のようなものだった。
 止まっていても仕方がないと、白刃の足を進めた。来た道はぼんやりとしかわからない。案内してくれた朱桜は背中で眠っている。変化して、殺して、癒して、疲れたらしい。鬼が、癒す。どんな意味を持つのか、何となくわかる。義姉である自分にも秘めていなければならないことだったのだ。
「こっそり行こうか」
 声の震えは否めなかった。誰も守ってはくれないのだ。



「彩花さんは大丈夫なのかしら」
 ひちゃ、ひちゃ、と、規則正しい音が響いていた。
 赤髪の少女が舐める音だ。
 腹這いになった大きな狼の白毛が真っ赤に染まり、傍には南の妖狼の骸があった。
「大丈夫に決まってる」
 金銀妖瞳の妖狼は強かった。それでも幾つか傷を負っている。後ろ脚の傷が特に深い。火羅はその傷を懸命に舐めていた。火羅を庇って出来た傷なのだ。
 彩花のように治療が出来ればいいのにと思う。傷を舐めることぐらいしか出来ない。少しは効果があるだろう。ほんの少しの、気休め程度の効果だろうが、火羅は懸命だった。
「……無力だわ」
「もういい」
 そう言って動き出した太郎は、脚を引きずっていた。 
「太郎様、あまり無理をなさらない方が」
「……うるさい」
 小さな声だった。それでも、火羅を動揺させるには十分だった。
「うるさい? うるさい?」
 二度、繰り返した。
 太郎が怪訝そうな目をした。
「わ、私、余計なことばかり」
 項垂れる。
「悪い」
 太郎は思わず謝っていた。火羅の様子がおかしかった。
「足手まといだし、何も出来ないし、ここで別れた方がいいかもしれませんね。きっと、これから先、た、太郎様の邪魔にしかなりません」
 いらないんだと、火羅は思った。
 太郎はこれまで優しかった。
 だから、辛い。
「太郎様、彩花さんを早く。私は後で落ち合いますわ」
 ぽふん。
「ぽふん?」
「悪かった。心配してくれたのに、ごめん」
「本当のこと、ですから……」
 太郎の尾が頭に乗せられていた。
「泣くなよ……ごめんよ、悪かったよ」
 必死に考えていた太郎は、おうと掌を叩いた。太郎なりの名案が浮かんだのだ。
 敵がいないことを確認してから、よいしょと人に変じた。
 そして、むぎゅ。
 火羅は抱き締められた。
「……むぎゅ!?」
 太郎に抱き締められた。
「おかしいな。姫様はこれで落ち着くんだが」
 血の気が引く火羅を太郎は不思議がった。
 それは彩花だからだと思った。相手が違う。無茶苦茶だ。彩花に知られたら間違いなく殺される。言葉を交わすだけでも本当は嫌がるのだ。それほど嫉妬深いのだ。
「泣き止んではくれたか」
 泣き止む。それは泣き止む。
 彩花に嫌われることを一番恐れているのに。
 彩花に嫌われたら生きていけないのに。
「は、離してよ!」
 脚を引きずりながら太郎は離れた。
 自分を庇って負った傷を思い出し、火羅は気を鎮めようとした。
「ふ、ふ、ふざけないでよ! 太郎様には彩花さんがいるんでしょ! 何やってるの! 彩花さんに殺されたいの!」
 鎮めるのに失敗した。
「姫様に……いや、殺されたりは」
「殺される、殺されるわ! 嫌われたら生きていけないのに! あの子は私の半分なのに!」
「げ、元気になったようで、良かったよ」
「……え、ええ」
「姫様が火羅を殺すかよ。そんなことするかよ」
 すると、思った。
「あ?」
 全身の毛が総毛立つような感覚を火羅は覚えた。
 狼の姿に戻った太郎の白毛が針のように逆立っている。
 誰だ。
 後ろ。
 見たくなかった。
 殺される。
 それでも、見るしかなかった。
 違う。
 金色の棒を肩に担いでいた。
 ――妖ではないもの。
 ――人ではないもの。
 ――神ではないもの。
 彩花の言葉、朱桜の言葉。
 引きずっている鬼の姿に、見覚えがあった。
「星熊、童子、」
 火羅は口を押さえた。四天王の一角が墜ちていた。
「ん……ん?」
 襲い掛かる鋭利な爪を軽く棒で払うと、後ろ脚の傷口を正確に一突きし、貫いてみせた。
「おっと、危ないな」
「太郎様!」
「お前が……お前が、茨木童子を」
 逃げろと太郎は目で訴えていた。置いて逃げたら彩花に合わせる顔がないと火羅は思った。
 それに……動けないのだ。さっきから震えが止まらない。
「鬼じゃない? 変だな。妖狼なのに、どうして私に爪を向けた? いや、毛の色が違う。南の妖狼じゃないのか。じゃあ……誰だ?」
 こいつが元凶だ。確信した。油断している目の前の相手を捕らえることが出来たら、きっと彩花に誉めてもらえる。嫌われない、もっと好いてもらえる。そう、思った。全身を縛る怖気を振り払おうと唇を噛んだ。口の中に血の味が広がると、一歩踏み出すことが出来た。
「それ以上近づいたら殺すよ」
 その一言で火羅は腰を抜かした。力の差がありすぎた。決意は一瞬で消え去った。
 それが火羅に顔を向けた。布で面を覆っていて、涼やかな眼差ししか見えなかった。
「君は……火羅じゃないか? 確か、西の妖狼を率いていた。それに、北の太郎だ。うん、それぐらいは知っている。なずなに教えてもらった。後々使えるかもしれないか。そうだね、かもじゃなくて、使える。しばらく付き合ってもらうよ」
 是も非もなかった。
 震え続ける火羅は、内腿を濡らしながら、ただ彩花に会いたいと思っていた。