あやかし姫~始明けの姫君~
早いもんで2010年でございます
皆々様、どうぞよろしゅー
一緒に日の出を見ると約束した。
だから、とんとんと肩を揺する。
妖狼は、姫様の傍らでこてんと首を傾け、紅い髪をふらふらさせながら微睡みと戯れていた。
小さな小さな妖狼だった。
小さな――姫様の膝の上にちょこんと腰掛け眠っている、鬼の童女と同じ程の背丈である。
何度も肩を揺すっていると、ぱちりと目を開いた。
気の強そうな顔つきをしていて、姫様が口元の涎を拭ってやると、不服そうに唇を尖らせた。不服そうで、くすぐったそうで、嬉しそうだった。
目を擦り、それから、真っ赤な尾を何度もくねらせた。
姫様達がいるのは縁側である。古寺の庭は、雪で白く染め上げられていた。戯れの痕を消し去るように、風のない冷えた夜気の中、ほんの少し前までしんしんと雪は降りそそいでいた。
毛皮を肩に羽織り、姫様はその光景を眺めていた。寝息が聞こえるようになっても、身体に重みが加わっても、飽きることなく眺め続けていた。
今度は、鬼の童女の柔らかな頬を、軽く指でつついた。
一度目を開けた朱桜は、ぎゅぅっと姫様の腕にしがみつき、背中を丸めると瞼をとろんと落としやった。
姫様はぱちくりと目を見開き、朱桜の頭を空いている手で優しげに撫でた。
くっくっと太郎が全身を震わせる。
大きな狼の姿で、縁側にいた三人の布団がわりになっていた。柔らかな白毛は寒さ避けにぴったりだった。
「起きないなぁ」
「朝まで起きてるって、言ってたんですけどね」
夜が明けようとしていた。うっすらと山向こうが輝きだしている。雪がとさっと枝から落ちた。
姫様の胸元で何かが煌めいた。
目聡く見つけた太郎が、尾を小刻みに動かした。
「首飾り、してくれてんだな」
「気に入りました」
「お、おう」
色取り取りの巻き貝で作られた首飾りだった。
水滴のような雫が、姫様の胸元にある。
蒼い玉で、細かなものが中にあった。
雫を掌に乗せる。珊瑚のかけらが舞い上がった。海を閉じこめた不思議の逸品だそうだ。
太郎からのお年玉である。
山も川も空でさえも身近にあったが、海は数えるほどしか見たことがなかった。
「こらこら」
朱桜ばかりでなく、妖狼の童女も姫様の腕にしがみついてきた。
両腕を塞がれ苦笑しながら、庭から居間に目を向けると、太郎が少し背中を沈めた。
葉子と黒之助が、壁に背中を預けて眠っている。
小妖達がぽてんぽてんと床に落ちている。
宴の後がそのまま残っていた。
「楽しかったですね」
そう、言った。
一年の締めとなる宴の手筈を、姫様が整えた。
入れ替わり立ち替わりたくさんの客人――河童、鬼、雪妖、かみなりさま、化け猫、人、化け蜘蛛、土地神、妖狐、妖狼――が顔を出した。
仕舞いまでいた客人は朱桜だけで、皆途中でいなくなった。楽しかったが、少し寂しくもあった。
「姫様、踊ったしな」
「うう……」
朱桜が黒之助と一緒に、火羅の琵琶に合わせて踊りを披露してくれたとき、姫様もどうかと誘われたのだ。
葉子に背中を押され、恥ずかしながら舞いを見せた。朱桜と火羅には見せたことがなかった。見たいと言われると、断り切れなかった。拙い舞いである。練習は、子供達と踊って以来、ほとんどしたことがなかったのだ。
「良かったよ、姫様」
「うん……」
その時も、朱桜と火羅と三人で料理を作っていたときも、艶やかで儚げないつもの姿だった。
今は、違う。
姫様の腕にひしっとしがみついている。
こうして――火羅が子供の姿になっているのは、酒呑童子の差し入れのせいだ。愛娘といられない腹いせに、見るからに怪しげな酒を置いていったのだ。それを口にしたのは……琵琶の音を誉められ、姫様と同じように顔を赤くした妖狼の姫君だった。
「こけないか、はらはらしたわ」
「そうですか」
「でも、私も、良かったと思うわ」
火羅だった。腕を離し、口元を綻ばせている、小さな、火羅だ。面影がある。姫様が以前に呑んだ若返りの酒とは、また違うものらしい。姿形は違うけれど、中身はそのままだった。
姫様は幼い自分に中身まで戻った。太郎も、葉子も、黒之助もだ。
「まだ寝てるのかしら?」
「ほら、朱桜ちゃん」
「羽なんか持って」
朱桜は、黒之助の羽を握り締めていた。大きなそれを気に入ったらしい。一緒に踊ってから、ずっと持っている。遠目には黒色だが、光に翳すと、七色に輝いて見え、姫様も好きだった。
白毛、銀尾、黒羽……どれも、大好きだった。
踊り終わったあと、姫様も火羅も朱桜も頬を赤らめていた。
「彩花姉さま……あ、えっと、こ、これは」
「ん?」
「は、羽、返さないと、戻さないと、ひっつけないと」
「そんなことしなくても」
「う、はいです、もらったのでした」
「ねぼすけさんね」
火羅が言った。朱桜の目が据わった。
姫様は小さく噴き出した。火羅も相当にねぼすけさんだ。ねぼけて人の布団に入り込んで、目が醒めると一人で騒ぎ立てていた。
「……お子さまに言われたくないのです」
「お、お子さ!」
「お子さまだからお子さまなのですよ。ほらほらー、私より背が低いのですよ、ほらほらー」
最近朱桜は白月に背を抜かれた。そのことを気にしていた。
「な、っく、この」
「はいはい、二人ともお静かに」
「あ、貴方、私がち、小さくなったからって、優越感に浸ってないでしょうね」
「……いえ」
「その間は何よその間は」
外見だけでなく、中身も子供に戻ったのだろうか……いつもこんな感じかと、睨み合う二人を遮りながら姫様は思った。料理をしているときも騒がしかった。朱桜のてきぱきした動きに目を見張り、火羅の包丁捌きにはらはらとした。力を併せた甲斐あって、料理は好評だった。
「早くしないと、間に合わなくなるぞ」
庭に降り立ち、太郎が背中を見せた。
「葉子さん、クロさん、行ってきますね」
葉子の膝掛けを直してやる。姫様が繕ったそれを、母狐は気に入っていた。
「あいよ……姫様、行ってらっしゃいな」
黒之助が、小さく手を振った。
「お、お」
朱桜が地面に足跡をつけていく。火羅は寒そうに掌を擦り合わせていた。
「こけないようにね」
遅かった。
「……こけましたです」
鼻先に雪をつけた朱桜が、とことこと戻ってきた。
身体についた雪を払っていると、火羅も手を貸してくれた。
そろそろ初日が昇る。
この辺りでは一番高い山の頂上だった。
「衣……ありがとうね」
「それは、彩花姉さまに頂いたものですよ。だから、同じです。探す時間が勿体ないのです」
小さくなった火羅が着ている衣は、朱桜が貸したものだ。
箪笥を探す前に、自分から申し出たのである。
「なぁ、姫様」
日が昇る。太郎が誘ったわけがわかった。
初日に照らされている古寺が見えたのだ。
雪の中、鮮やかな陽の光に浮かびあがる見慣れた建物の姿は、不思議で心地良い光景だった。
「はい」
「今年もよろしくな」
「今年もよろしくね」
「今年もよろしくですよ」
「今年もよろしくお願いします」
皆々様、どうぞよろしゅー
一緒に日の出を見ると約束した。
だから、とんとんと肩を揺する。
妖狼は、姫様の傍らでこてんと首を傾け、紅い髪をふらふらさせながら微睡みと戯れていた。
小さな小さな妖狼だった。
小さな――姫様の膝の上にちょこんと腰掛け眠っている、鬼の童女と同じ程の背丈である。
何度も肩を揺すっていると、ぱちりと目を開いた。
気の強そうな顔つきをしていて、姫様が口元の涎を拭ってやると、不服そうに唇を尖らせた。不服そうで、くすぐったそうで、嬉しそうだった。
目を擦り、それから、真っ赤な尾を何度もくねらせた。
姫様達がいるのは縁側である。古寺の庭は、雪で白く染め上げられていた。戯れの痕を消し去るように、風のない冷えた夜気の中、ほんの少し前までしんしんと雪は降りそそいでいた。
毛皮を肩に羽織り、姫様はその光景を眺めていた。寝息が聞こえるようになっても、身体に重みが加わっても、飽きることなく眺め続けていた。
今度は、鬼の童女の柔らかな頬を、軽く指でつついた。
一度目を開けた朱桜は、ぎゅぅっと姫様の腕にしがみつき、背中を丸めると瞼をとろんと落としやった。
姫様はぱちくりと目を見開き、朱桜の頭を空いている手で優しげに撫でた。
くっくっと太郎が全身を震わせる。
大きな狼の姿で、縁側にいた三人の布団がわりになっていた。柔らかな白毛は寒さ避けにぴったりだった。
「起きないなぁ」
「朝まで起きてるって、言ってたんですけどね」
夜が明けようとしていた。うっすらと山向こうが輝きだしている。雪がとさっと枝から落ちた。
姫様の胸元で何かが煌めいた。
目聡く見つけた太郎が、尾を小刻みに動かした。
「首飾り、してくれてんだな」
「気に入りました」
「お、おう」
色取り取りの巻き貝で作られた首飾りだった。
水滴のような雫が、姫様の胸元にある。
蒼い玉で、細かなものが中にあった。
雫を掌に乗せる。珊瑚のかけらが舞い上がった。海を閉じこめた不思議の逸品だそうだ。
太郎からのお年玉である。
山も川も空でさえも身近にあったが、海は数えるほどしか見たことがなかった。
「こらこら」
朱桜ばかりでなく、妖狼の童女も姫様の腕にしがみついてきた。
両腕を塞がれ苦笑しながら、庭から居間に目を向けると、太郎が少し背中を沈めた。
葉子と黒之助が、壁に背中を預けて眠っている。
小妖達がぽてんぽてんと床に落ちている。
宴の後がそのまま残っていた。
「楽しかったですね」
そう、言った。
一年の締めとなる宴の手筈を、姫様が整えた。
入れ替わり立ち替わりたくさんの客人――河童、鬼、雪妖、かみなりさま、化け猫、人、化け蜘蛛、土地神、妖狐、妖狼――が顔を出した。
仕舞いまでいた客人は朱桜だけで、皆途中でいなくなった。楽しかったが、少し寂しくもあった。
「姫様、踊ったしな」
「うう……」
朱桜が黒之助と一緒に、火羅の琵琶に合わせて踊りを披露してくれたとき、姫様もどうかと誘われたのだ。
葉子に背中を押され、恥ずかしながら舞いを見せた。朱桜と火羅には見せたことがなかった。見たいと言われると、断り切れなかった。拙い舞いである。練習は、子供達と踊って以来、ほとんどしたことがなかったのだ。
「良かったよ、姫様」
「うん……」
その時も、朱桜と火羅と三人で料理を作っていたときも、艶やかで儚げないつもの姿だった。
今は、違う。
姫様の腕にひしっとしがみついている。
こうして――火羅が子供の姿になっているのは、酒呑童子の差し入れのせいだ。愛娘といられない腹いせに、見るからに怪しげな酒を置いていったのだ。それを口にしたのは……琵琶の音を誉められ、姫様と同じように顔を赤くした妖狼の姫君だった。
「こけないか、はらはらしたわ」
「そうですか」
「でも、私も、良かったと思うわ」
火羅だった。腕を離し、口元を綻ばせている、小さな、火羅だ。面影がある。姫様が以前に呑んだ若返りの酒とは、また違うものらしい。姿形は違うけれど、中身はそのままだった。
姫様は幼い自分に中身まで戻った。太郎も、葉子も、黒之助もだ。
「まだ寝てるのかしら?」
「ほら、朱桜ちゃん」
「羽なんか持って」
朱桜は、黒之助の羽を握り締めていた。大きなそれを気に入ったらしい。一緒に踊ってから、ずっと持っている。遠目には黒色だが、光に翳すと、七色に輝いて見え、姫様も好きだった。
白毛、銀尾、黒羽……どれも、大好きだった。
踊り終わったあと、姫様も火羅も朱桜も頬を赤らめていた。
「彩花姉さま……あ、えっと、こ、これは」
「ん?」
「は、羽、返さないと、戻さないと、ひっつけないと」
「そんなことしなくても」
「う、はいです、もらったのでした」
「ねぼすけさんね」
火羅が言った。朱桜の目が据わった。
姫様は小さく噴き出した。火羅も相当にねぼすけさんだ。ねぼけて人の布団に入り込んで、目が醒めると一人で騒ぎ立てていた。
「……お子さまに言われたくないのです」
「お、お子さ!」
「お子さまだからお子さまなのですよ。ほらほらー、私より背が低いのですよ、ほらほらー」
最近朱桜は白月に背を抜かれた。そのことを気にしていた。
「な、っく、この」
「はいはい、二人ともお静かに」
「あ、貴方、私がち、小さくなったからって、優越感に浸ってないでしょうね」
「……いえ」
「その間は何よその間は」
外見だけでなく、中身も子供に戻ったのだろうか……いつもこんな感じかと、睨み合う二人を遮りながら姫様は思った。料理をしているときも騒がしかった。朱桜のてきぱきした動きに目を見張り、火羅の包丁捌きにはらはらとした。力を併せた甲斐あって、料理は好評だった。
「早くしないと、間に合わなくなるぞ」
庭に降り立ち、太郎が背中を見せた。
「葉子さん、クロさん、行ってきますね」
葉子の膝掛けを直してやる。姫様が繕ったそれを、母狐は気に入っていた。
「あいよ……姫様、行ってらっしゃいな」
黒之助が、小さく手を振った。
「お、お」
朱桜が地面に足跡をつけていく。火羅は寒そうに掌を擦り合わせていた。
「こけないようにね」
遅かった。
「……こけましたです」
鼻先に雪をつけた朱桜が、とことこと戻ってきた。
身体についた雪を払っていると、火羅も手を貸してくれた。
そろそろ初日が昇る。
この辺りでは一番高い山の頂上だった。
「衣……ありがとうね」
「それは、彩花姉さまに頂いたものですよ。だから、同じです。探す時間が勿体ないのです」
小さくなった火羅が着ている衣は、朱桜が貸したものだ。
箪笥を探す前に、自分から申し出たのである。
「なぁ、姫様」
日が昇る。太郎が誘ったわけがわかった。
初日に照らされている古寺が見えたのだ。
雪の中、鮮やかな陽の光に浮かびあがる見慣れた建物の姿は、不思議で心地良い光景だった。
「はい」
「今年もよろしくな」
「今年もよろしくね」
「今年もよろしくですよ」
「今年もよろしくお願いします」