小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~ある古寺の朝の一景~

「姫様ー、姫様、姫様ー」
「姫様、そろそろ起きるさよ」
 太郎の声。
 葉子が夜具をわさわさ揺すっている。
「うぅ、もう少しだけ」
 姫様は寒気に身を震わすと、ますます夜具に潜り込んだ。
「ほらほら起きた起きた。ついでにさ、あたいを布団から出してくんない?」
「……葉子さん、何がどうしてそんな格好に?」
「よくわかんないけど、何なんだろうね。あたいも毎度の事ながら不思議さぁ」
 寝癖の悪い葉子の姿、固結び五十回分ぐらいな布団の絡み具合である。
 一人でこの状態の夜具から出るのは、いくら妖でも無理だろう。さながら人面虫の様であり、一生懸命伸び縮みしていた。
「これでも移動は出来るさよ」
 尺取り虫みたいな葉子の動きに、姫様はぷっと笑みを零すと、夜具を身体の上からのけた。
 鳥肌が立ち、すぐに手近の衣を羽織る。今日は一段と冷える朝だった。
「あ、この格好で火羅を起こしに行こうか。きっとびっくりするさよ」
 葉子が八重歯を見せた。悪戯を思いついたときの笑顔だ。
「……はぁ」
 止めても無駄だろうと、姫様は半ば呆れながら頷いた。
「うんしょ、うんしょ、太郎、開けるさよ」
 そう、葉子は言ったが、障子に映る影はぴくりとも動かなかった。
「太郎さん、大丈夫だから」
 姫様が言わないと、太郎も黒之助も滅多に戸を開けない。色々と学んだのだ。
「ああ? 何だそれ。葉子、どうした?」
 御飯粒を口元に付けた太郎が、怪訝そうな顔をした。葉子は別段気に留めた様子はなく、効率の良い移動の方法を編み出すのに没頭している。
 ますます動きが虫っぽくなっていた。
「以外と段差がめんどいさね」
「な、なぁ、姫様」
 姫様は、薄気味悪そうに寄ってきた太郎の口元から御飯粒を摘むと、それをしばらく見つめ、口元に持っていこうとし、やっぱりやめて、文机の上にあった書き損じの紙で拭った。
「盗み食いじゃないぞ」
「つまみ食いですか?」
「そ、そうだ」
「てぃ。葉子さんのあれは、火羅さんへの悪戯だそうですよ」
 いて――太郎が頭を押さえるよりも、姫様が手を押さえる方が早かった。
 こうやると、妖達は反省する。自分の痛みよりも、姫様の痛がる仕草によってだ。
「火羅に? 火羅に悪戯するのはどうかと思うが」
 太郎は火羅を大事にしている。黒之助や小妖達よりは確実に。
 姫様の友達だからなのか、同じ妖狼だからなのか。
「あんなに嬉しそうな葉子さんを止められますか?」
「……無理だな」
 姿勢を正して、太郎と向き合う。
「太郎さん、おはようございます」
 ちょこんと、姫様がお辞儀をした。
「おはようございます」
 太郎も、ちょこんとお辞儀をした。
 あらたまった挨拶。それから、どちらともなく、笑い合った。
 
 

「葉子さん、どしたの?」
「変なのー」
「姫様、おはようー」
「おはようございます」
 葉子が廊下を移動すると、小妖達が早速わらわら寄ってきた。ふわふわ周囲を漂ったり、ぽーんぽんとその上で跳ねてみたり、尺取り虫みたいな移動方法をさっそく真似るものもいた。
「ねぇ、ねぇ、姫様、あれなぁに?」
「……さぁ」
 肩に乗って尋ねてきた小妖に、姫様は首を傾げて答えた。
 寝相が悪くて布団に絡まった葉子さん、頑張って虫のように移動するの図――言葉にすると変なの。
「案外、早く移動するものですね」
 欠伸を吐く。
 姫様、そそくさと早足。太郎ものっしと大股だ。これぐらいなら大丈夫、姫様でも着いていける。
 もう少し早いと、息が切れ始めるかもしれない。
「あ、おいらもやるー」
 姫様の肩から飛び降りると、他の小妖達と同じように、葉子の背中に掴まった。まるで背びれだ。
 葉子は気にならないようで、移動の早さは変わらなかった。
「あ」
「どうしました?」
「俺、火羅の部屋に行くの初めてだ」
「そうですか」
 火羅の部屋は、古寺の端にあり、姫様と葉子の部屋とは少し距離があった。どちらかというと、静かな場所だ。
 以前は、寂しくなると、ずるずると夜具を引っ張りながら姫様と葉子の部屋を訪れていた。
 今は、夜具を三つに増やし、火羅が身一つでこれるようにしている。
 自分からは来るのに、姫様と葉子が出向くと顔を真っ赤にして追い出される。ちょっと残念だった。
「あんまり、行かないんだよな」
 起こしに行くのは、姫様か葉子だった。
「火羅さん、素っ裸で寝る癖があるし……」
 いつも、肩を晒した大胆な格好をしているが、夜になるともっと大胆だった。
「ん? そんなのいつものことじゃ」
「い、いつもの!? 太郎さん、何を!?」
「いや、だって、俺も、寝るときは狼の姿だから、素っ裸だぞ」
「そうですね、そうでした、ついつい忘れてしまいます……火羅さんは、人の裸ですけど。豊満な身体を乏しい私に見せつけるように……きっと、自慢しているのでしょうね」
「そういや、あいつが変化の衣を着てるの、見たことないな。いっつも葉子か姫様のお古を着てる」
「私のでは、隠しきれないことが多いですけど」
 姫様が微笑んだ。目は全く笑っていなかった。
「変化の衣、なんで着ないんだ?」
 火羅は、変化で衣を作れない。だから、葉子の着物を身に着けることが多い。姫様の着物も、ゆったりとしたものなら着れないことはなかった。本人的にはその方がいいらしいが、如何せん数の問題がある。ここしばらく姫様の身体の大きさは変わっていないので、火羅には丈が小さいものが多いのだ。
「火羅さんの衣を、手に入れないといけませんね」
 葉子と火羅の衣の趣味は反対である。葉子は控えめで、火羅は派手好みだ。
「火羅なりのこだわりなのかな。そういう奴も結構いるし」
「そうだね」
 はぐらかしておく。変化の衣を作れないのは、二人だけの秘密であった。
「着いた着いた」
「起きてないね」
 火羅は朝に弱い。姫様も強い方ではないが、火羅はそれ以上だった。
 ここでの暮らしに慣れていないからだろう。
 妖の本分は夜である。古寺の妖達が姫様に合わせて昼夜逆転しているのだ。郷に入っては郷に従え、火羅も姫様に合わせた生活を送るようにしてくれていた。
「ひーめーさーまー、お願い。あたいは手が塞がってるから」
「はいはい、火羅さん、火羅さん」
 呼び掛ける。返事がないのはいつものこと。そっと戸を開ける。夜具がこんもり盛り上がり、規則正しく上下していた。今日は、寝相が良い。火羅も、それほど良くなかった。
「火羅さん、起きて下さい」
「にししし」
 もぞりと起き上がる。
 乱れていたが、一応は着ていた。姫様が太郎の目を思わず押さえる程度の着衣の乱れっぷりだ。
 姫様の真似をして、小妖達がお互いの目を押さえる。
 朝なのに真っ暗と、けらけら笑った。
「おはよう、彩花さん……」
「お、おはようございます」
 襟がはだけ、おへそが見えていた。胸の頂きも、危うい。傷がある。綺麗だと思う。平らな姫様とは違い、大人っぽい。
 姫様は、視線を逸らした。やっぱり、羨ましい。
 すぐに視線を戻す。朝に弱い火羅は、気も弱くなる。嫌われたのだと考えがちになる。
 そんなこと、ないのに。
 軽く怯えた表情ほぐすには、微笑むのが一番だ。
「ひんやりとしていますが、いい朝ですよ」
「おはよう、葉子、さん……え?」
「火羅、おはようさよ」
「ああ、うん。疲れてるのね。じゃあ、おやすみ」
「あ、朝だから、朝ご飯もあるから、起きようよ?」
「な、何よ! 変な幻覚見せないでよ! 不気味よ不気味」
「不気味なのは否定しないけど、幻覚じゃないから」
「幻覚じゃない! 貴方、葉子さんに一体」
「いや、葉子は自分から」
「た、太郎さん! 本物! だ、駄目、今、色々乱れてるから!」
 肌を晒すと恥ずかしいという気持ちはあるのだ。それと、肩の線を出すように着崩すこととは別らしい。似合っているので、あまり強く言えなかった。気にしているのも、姫様ぐらいだ。それを面白がっている節が火羅にはある。
「姫様に目を押さえられっぱなしだから、見えてないぞ」
「にひゃひゃひゃ」
 葉子が白目を剥いて笑う。洒落にならない不気味さだった。
「さ、彩花さん、よ、葉子さんが!」
 葉子に追いかけられた火羅がぴたりと姫様に縋りつく。
 さすがに姫様も、不気味で不憫に思った。
「葉子さん、やりすぎです」
「あ、ありゃりゃ、火羅、放心しちゃってる?」
「ふ、ふん、そんなことないわよ! この私が、放心だなんて」
「そうだよね、そりゃあ、そうだ。こんなの、見慣れてるよね」
 わしゃわしゃわしゃ。
「火羅さん、手、震えてますよ」
「さ、寒いからよ」
「確かに寒いですね……風邪ひかないようにしないと」
「あ、いけないさよ」
 体勢を崩した葉子が、こてんと横になった。一度崩れると、なかなか起き上がれないらしい。
 不気味すぎる。
 火羅は姫様にしがみついてさらに素肌を晒し、姫様は太郎の目をしっかり押さえる。
 そんな古寺の朝であった。



「へくちゅ」
「風邪か、黒之助?」
「ああ、いや……出番少ないなぁっと」
「うむ?」