小説置き場2

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あやかし姫~跡目争い(13)~

 その姿を見て、姫さんだと思った。
 ごてごてと色々なものが集まった醜悪な姿、まるで、百鬼夜行をぎゅっと押し潰して、無理矢理一つの人の像にしてしまったような歪さ。
 左右の腕も、左右の足も、背中に生えた左右の翼も、髪の一本すらも、違う妖のもの。
 その歪な醜い身体の中に、美しく冷ややかな少女の顔があって、表情豊かな姫さんとは受ける印象が全く違うのに、つい似ていると黒之助は思ってしまった。
 時折、人の、妖の、神の、様々な気配を覗かせる古寺の愛らしい姫君に。
渡辺綱?」
 名前ぐらいは黒之助も知っている。
 近年、都で起こった騒動には、大抵関わっている人物だ。
 あの茨木童子の腕を切り落とした剛の者。禁忌によって生じた穢れた化け物。
 今手にしている刀が、その時のものだろう。なるほど、ふっと刃の前に身を投げ出したくなるような妖しさがある。
「朝廷の犬が!」
 感情を抑えて黒之助と戦っていたなずなが、激昂した。紫色の唇に指をつけ、一つ呪いを唱えると、その背中に無数の薙刀が浮かんだ。
 白い袖と白い羽が翻る。薙刀に囲まれた白い姿は、まるで千手観音のようで、神々しくすらあった。
 幅広な刃の切っ先が向けられても、渡辺綱の表情は、何も変わらなかった。
 ぐつりと腕が鳴いて、ぐつりと足が鳴いて、ぐつりと身体が鳴いて、それだけだった。
 作り物じみた瞳が、ぐるりと黒之助に向けられた。
 見定めるように動かすと、
「お前は違う」
 と、小さく呟いた。
 黒之助は、綱を気味悪く思うことはなかったけれど、奇妙な居心地の悪さを覚えた。
 姫さんに怒られているときのような居心地の悪さだ。
 なずなに目を向け直すと、激昂しながらも、どこか怯えているように見えた。
 さっきまでは、どこか楽しげで、苦しげだったのに。
「邪魔をするな」
 薙刀が動いた。刃の奔流が真っ直ぐに、綱に向かっていく。
 綱が、走った。地面すれすれに身を屈め、生気のない瞳をなずなに向けて。
 無造作に刀を振ると、きぃんと澄んだ音をたて、捌いた薙刀が粉々に毀れた。
 太刀筋は鮮やかであり、四方八方から降り注ぐ薙刀を、無駄なく全て砕いていく。
 無数にあった薙刀が、どんどん姿を消していった。綱は止まらない。なずながひくりと喉を鳴らした。
 見る間に距離を詰められ、慌てて後ろに飛んで逃げようとしたなずなの羽を、綱の肩に生じた太い腕が掴んだ。剛毛を生やした赤い腕と、緑色した蟷螂の前脚が、白い羽をぎりぎりと締める。顔を引きつらせたなずなと、表情のない綱、呆然としていた黒之助。
 綱の腕は、なずなの羽を、止める間もなく引きちぎった。
 白い羽が舞って、なずなが墜ちる。
 手に残した薙刀を取り落とし、悲鳴をあげながら座り込んだ白天狗の細首に、真っ直ぐ刃が向かっていて――黒之助が、錫杖の柄で受け止めた。
「……この天狗と、戦っていたのではないのか?」
 どう答えればいいのかわからなかった。
 渡辺綱は敵ではない。
 痛みを堪えるように自分の両肩を押さえているなずなが敵だ。
 そんなことはわかっているのに、問いの答えが出てこなかった。
「黒之助……」
 羽が、赤い。白い羽が、嫌いではなかった。白い姿が、嫌いではなかった。
「そうなのだ……そうなのだが」
 悩む間に、二つ、攻め手を捌いた。禍々しい一撃で、なずなの薙刀にも耐えた錫杖にひびが入り、次の一撃で粉々になった。粉塵になった錫杖を目眩ましにして、なずなを抱え跳びずさる。肩から伸びた両腕が黒之助の身体を捉えようとしたが、独枯を打ち込んで勢いを逸らし、おまけと雷撃を叩き込んだ。
 爆発が生じる。
 これも目眩まし――小細工だ。小細工は、真っ直ぐな妖狼とのやり取りで、身に着けた。
「なずな殿」
 腕の中に、なずながいる。壊れ物のような、触れ難い美しさと儚さ。許嫁だったのに、こんなに顔を近づけたのは初めてだ。いや、許嫁だったからこそあえて、あまり近づかないようにしていた。
 なずなが訪ねる時、いつも黒之丞と一緒だった。
 そんな距離が、心地良くあった。
 傷を癒してやりたいが、生憎その時間はなさそうである。
 黒之助の乱入と共に姿を消していた鞍馬の大天狗が、険しい顔をして現れたのだ。
 綱が、問い掛けるように大天狗を見やった。
 身体から立ち上っていた爆発の残滓は、首を回すと消え去った。抜け落ちた独枯が、赤茶に錆びる。雷撃を叩き込んだ太い腕は消えたが、目立った損傷はなさそうだった。
 どうしたいのだと考える。
 上手く頭の中がまとまらない。
 聡明な姫さんの助言が欲しい。馬鹿みたいに単純な妖狼が羨ましい。これではうじうじと愚痴る白狐と同じだ。
 せめて頭領がいてくれれば。何故肝心なときに、第二の師はいないのだ。
「黒之助、なずなを渡せ。悪いようにはせぬ」
 大天狗が、言った。
「黒之助に殺されるなら、それでいい」
 なずなが、言った。
「大天狗様、なずな殿……」
「同じ死ぬなら、黒之助の手にかかるのがいい。遊んで、抱かれて、夢みたいだ。ごめんな、傷つけて。痛かったろう」
 黒之助の腕の傷を撫でながら、なずなが言う。
 はぁと溜息を吐くしかなかった
 九尾の大妖に立ち向かった、葉子の気持ちがよくわかる。   
「大天狗様……御免」
 好意を無下に、背を見せた。
 綱が追ってくる。逃げ切れるとは思わない。
 相手はあの渡辺綱、大妖に匹敵するよう作られた存在だ。
 黒之助は大妖じゃない。強いと自負しているが、妖という括りでの話だ。
 それでも、自分のやりたいように、悔いのないように、行動するべきだろう。
 姫さんは、そうした。
 そして、守りきった。
「姫さん……御免。拙者はどうやら、ここまでらしい」
 前方を天狗達が塞いでいる。
 黒之助がなずなと相対している間に、大天狗が呼び集めていたのだろう。
 後方に鬼切りを携えた渡辺綱がいて、前方を天狗達が塞いでも、黒之助は自分自身が驚くほどに平静で、不思議と恐くはなかった。
「白天狗風情のために、死ぬ気か!」
「黒之助!」
「それも悪くはなかろうよ」
 白天狗風情――だから、どうした。人だろうと白天狗だろうと関係なく、懸けたいときは命も懸ける。
 喚き立てる天狗を蹴り伏せ、道を拓く。腕の中でなずなが暴れたが、気にせず強く抱き締めた。
 道を拓けたのは最初だけで、あっという間に黒之助の身体は襤褸のようになった。
 天狗は、甘くも弱くもない。黒之助が思い焦がれた、強さの証。
 それでも、立っていた。なずなを、守っていた。
 綱が、目の前にいる。いつの間にか、追い抜かれたらしい。精一杯力を込めて、前に進む。こつんと、その身体にぶつかった。どけと言ったつもりだが、声にならなかった。目がよく見えない。耳もよく聞こえない。
 飛びたくても、飛ぶ力がない。
 羽をちぎられ痛かろうと、黒之助は思った。
 足下が震えた。
 大きな物が近くに落ちたようだ。
 身体に、何かが巻き付いた。ひんやりとして、ざらざらとした、何か。身を捻ったが、逃れられず、足下がなくなった。
 少女が、思案げに、首を傾げていた。
 太郎が、朱桜が、火羅が、下半身が鱗に包まれた、少女の傍にいた。
「姫、さん……」
「違う」
 少女がぴしゃりと、黒之助が必死に漏らした声を否定する。
 黒い衣に身を包んで、八本首の蛇に囲まれた、姫様と同じ顔の者。
 片腕がなく、吊り上がった口元に、仄かな暗い笑みがあった。
「そう、違うのだ。妾は、違うのだ。妾は彩花ではない、彩華なのだ」
 自慢げな口振りで名乗りを上げると、火羅が顔を伏せた。喜色が垣間見えたような気がした。
 暖かな光、朱桜の掌、身体が少しだけ楽になる。この幼い悲鳴は、朱桜のもののようだ。太郎もぼろぼろになっている。
 お互い最近はぼろぼろになってばかりだ。
 少女が黒之助を覗き込む。どうやら自分は蛇に巻き付かれて持ち上げられたらしい。
 ああ、姫さんではないかと、黒之助は思った。
 そんな顔で、いつも姫さんは心配してくれる。
 心配ばかりかけて、すまないと思う。
 姫さんは、朗らかな笑顔が一番なのに。
「なずな、裏切ったのか、なずな」
「瀧夜叉……違う」
「おのれ……おのれ、おのれ、皆、私の邪魔をするのか! お前も私を馬鹿にしていたのか! 利用していただけなのか!」
 三面六腕の巨大な猿の肩に乗った鬼が吠えた。
「やれ! 美猴王!!!」 
 泣いた鬼が、命を下す。
 三本の金色の棒が、振りかぶられた。
 猿と蛇の間に、鬼が割って入った。
 醜い、醜い、醜い、鬼だった。