小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~跡目争い(15)~

「はい、彩花姉さま、あーん」
「あーん」
 はふ、はふ、もぐ、もぐ――甘い。
 可愛い可愛い義妹の作る料理は、どれもいつも甘い。
 どんな料理も、全て甘い。今も、甘い甘い甘い、黄金色のお粥だ。
 美味しいか不味いかと訊かれたら、少し悩んで、後者を選ぶ。
 甘い物は好きだけど、せっかく朱桜が作ってくれたけど、何でもかんでも甘くすればいいというものじゃないと姫様は思うのだ。
 この味付けで喜ぶのは、姫様の知る限り、クロさんぐらいだろう。
 上半身だけを起こした姫様は、また、お粥を口に含んだ。
 朱桜が、次の分を冷まそうと、さじにすくった粥に息を吹きかけている。
 自分で食べられるが、せっかくだからと、朱桜の好きなようにさせていた。
 朱桜が古寺を離れてから、こんなに長く一緒になる機会はなかった。
 甲斐甲斐しく朱桜に世話されるのも、悪くない。
 この食事はちょっぴりきつくなっているけれど。
 苦味のあるお茶を喉に通すと、まだまだ何とか食べられそうだ。
「……美味しいですか?」
「うん」
「良かったですよ。火羅は不味いと言いますが、クロさんにも彩花姉さまにも、喜んでもらえて何よりなのです」
 真紅の妖狼は、隻腕の白狐に隠れるようにして、こちらを慈悲深い目で見ていた。
 その手が、白い包帯で覆われている。
 葉子も、少し哀れむような笑みを浮かべていた。
「はぁ」
 気のない返事に何かを嗅ぎつけたのか、朱桜の眉間が曇った。
 姫様は落ち着いて、
「あーん」
 と、母鳥に催促する子鳥のように口を開け、物足りない部屋の隅に目をやった。
 太郎が戻ってきていいころだ。
 金銀妖瞳の妖狼は、大抵、部屋の隅で丸くなっていた。
 もうそろそろ、今年が終わる。鬼ヶ城は、未だ慌ただしい。
 あの騒動以来、姫様は床に伏せっていた。身体がいつもふわふわとしていて、力が上手く入らない。
 自分では元気に振る舞っているつもりなのだが、周囲の目にはそう映らないようで、葉子にも朱桜にも火羅にも太郎にもクロさんにも頭領にも、心配をかけている。
 火羅が、葉子に何か耳打ちをしていた。
 葉子は、苦笑しながら首を振っていた。
「どこぞの妖狼の料理なんて、食べられるものじゃないですよ」
「……少なくとも、甘くはないわね」
「変なもの食べたら、彩花姉さまの体調、悪くなるですよ。今は平静が大事なのです」
 火羅が、口惜しそうにそわそわと両手を動かした。
 少し、胃が痛くなる。
 朱桜は姫様に付きっきりだ。
 それまで付きっきりになっていた茨木童子は、北に赴いていた。
 意識を取り戻すなり邪魔だと、やまめと一緒に酒呑童子に追いやられたのだ。
 鬼ヶ城の復興は始まっていて、結界が張り直されている。四天王の二角を欠き、双子の弟が療養中で、酒呑童子の思うようには行かないようだ。
 クロさんは鞍馬山にいる。なずなという白天狗を巡って、奔走しているらしい。
 頭領はあまり見ない。酒呑童子や鞍馬の大天狗、朝廷との折衝を行い、忙しなく動いてはいるようだ。
「お熱はないようですね」
 小さな掌が額に触れる。看病の手際は、いい。葉子が任せきりだから、かなりのものだ。
 姫様の後を黙って付いてくるだけだったあの幼子がと思うと、感慨深いものがあった。ついつい、目頭が熱くなる。
 また、火羅が、葉子の裾を引っ張っている。
 空になった椀を置いた朱桜は、頭を姫様の膝の上に乗せた。
「早く良くなって下さいです……でも、でも、でも、朱桜は悪い子なのです」
「でも?」
「彩花姉さまの調子がこのまま悪いままで、ずっと鬼ヶ城にいてくれたらって、思うのです」
 また、目頭が熱くなった。こんなに慕ってもらえて、幸せだと思う。
「最低ね」
 火羅が、言った。
「最低なのです」  
 珍しく、火羅の言葉を肯定した。相も変わらず犬猿の仲な二人だった。
 火羅の指の包帯は朱桜が巻いたもの、その程度の仲だ。
「良くなったら、古寺に帰るですか?」
「ん――そうだね」
 あそこが、私の家だ。だから、帰る。誰が、なんと言おうと。
「遊びに来てね」
「当然なのです。光君や白月と一緒に、遊びに行くのです」
 鈴鹿御前様にも、会ってないなぁと思う。
 足繁く通っていたというわけではないけれど、それでも、顔を合わしていないなと。
「昼餉か」
「もう、食べましたが」
 太郎が戻ってきた。どれと、朱桜と同じことをして、むくりと狼の姿になった。
 朱桜が、太郎の背中に触れたそうにしている。白く輝く柔らかい背中は、顔を埋めると気持ちが良い。
 葉子の後ろに火羅が隠れる。太郎を避けているように見えた。
 まだ、あれこれと尋ねていない。ここ数日の遠慮はそのせいだろう。
 火羅が太郎の口を吸ったのは事実だ。
 それは、確認した。太郎が危うかったからだと、蚊の鳴くような声で言った。
 でも、あの時の火羅は、それだけではなかったと思う。勘だ。勘は、良く当たる。
 当たって欲しくない、勘だ。
 火羅は、大切な友人。大妖を敵に廻しても、それまでの繋がりを失っても、お母さんが腕や尾を失うことになっても、守り抜いた友人。
 元々、許嫁たらんとした、太郎に似合いな真紅の妖狼の姫君だけど――それは、さすがに、姫様も、自分がどうなるかわからない。
 太郎はどう思っているのか。
 火羅はどう思っているのか――知りたい。
 恐いけど、知りたい。  
「あっちは片が付きそうだ」
 クロさんのことだろう。様子を見に行ったに違いない。妖狼の傷は、ほとんど癒えていた。太郎の傷の治りは早い。故郷を救ってから、早くなった。
「なずなさんの様子は?」
 黒之助の元許嫁とは、一体どんな妖なのだろうか。
 ちょっと想像がつかない。
「……綱にやられた傷が、思わしくないみたいだな」
「さ、彩花姉さま、お薬を飲んで、横になるですよ」
 話を遮るように、朱桜が言った。
 蜂蜜のような薬を飲んで、大人しく横になる。
 葉子が手を握ってくれた。
「早く良くなるさよ」
「はい」  
 微笑む。
 眠りが浅いことには、気づかれているのだろう。薬がまた変わっている。
 嫌な夢を見るのだ。
 自分が自分でないような夢。
 違う名前を持つ自分の夢。
 嫌で、でも、嫌じゃない、そんな夢。
 二匹の狼が、気遣わしげに姫様を見やる。
 違う名前の自分にとっても、二匹の狼は特別だった。