小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~跡目争い(19)~

 彩華は、何をするでなく、呆けたように座り込んでいた。
 身動ぎすらほとんどなく、何だか死んでいるようで、心配になって顔を覗き込むと、怯えたような表情を見せた。
 これがあの女だとは思えなかった。
 どこぞの廃れた社に降り立ち、巣くっていた小妖達を追い払うと、縁側でぼんやりとし始めた。
 その後ろ姿は見慣れた少女によく似ていて、背中を丸めた姿勢はまるで似ていなくて、覇気も妖気も何もなくて、目を離すと消えてしまいそうだった。
 爆ぜた傷は綺麗になくなっているけれど、それだけではない深手を負ったのだ。
 私を助けるために九尾と事を構えた彩花も、こんな心境だったのだろうなと火羅は思った。
 彩花……彩花の手を取ることも出来たのに、彩華を見捨てられなかった。
 少女は澄んだ悲しみを見せ、女は深々と諦めていて、咄嗟に腕を廻したのは女の青白い首だった。
 友達なのに裏切ってしまった。
 次に会ったとき、どんな顔をすればいいのだろう。
 次に会ったとき、まだ、友達でいてくれるのだろうか。
 太郎様に、葉子さんに、黒之助さんに、どう詫びればいいのだろうか。
 自分はずっと裏切っていたのだと。
「ねぇ」
「……あ?」
「これから、どうするの?」
「……は?」
 白濁した瞳である。
 妖艶でおぞましかった彩華は、彩花に殺されてしまったのかもしれない。
 残骸――残骸か。
「少し、周囲を探索してみたいのだけれど」
「嫌じゃ……妾を置いていくつもりなのだろう?」
 童のように、袖を掴まれた。
 ずっとこの調子なのだ。離れるつもりはないし、そのつもりなら一緒に来ていないのに、彩華にはそう思えないらしい。
 おかげでここがどこかもわからない。
 少しというところを強調したのに、気づきもしない。
 それに、火羅が傍を離れることを恐れるなんて、彩華のやることとは思えなかった。
「貴女らしくないわ」
「……あ?」
「そんなの、貴女らしくないわよ」
 何もかも見透かしたように振る舞って、無理矢理にでも手中に治めるのが彩華のやり方だった。
 溺れ、恐れ、哀願するのは、いつも火羅だった。
「妾らしいとは、何じゃ?」
「それは……」
「なぁ、妾は、どうすればいい? どうすれば、よいのだ? 妾は、何なのだ? 妾が、妾こそが、真ではなかったのか? 妾が偽りだったのか?」
「……知らないわよ。貴女が知らないことを、私が知るはずないでしょう」
「妾は真じゃよな? だから妾を選んだのじゃろう?」
「……知らないって言ってるでしょ。周りを見てくるから」
 小妖達だけというのが、気に掛かった。
 荒れている中にも、僅かばかりの神気が社には残っていたのだ。
「……何故じゃ?」
「え?」
 彩華の瞳に、突然力が宿った。
 火羅が気圧されるほどの、強い負の感情。
 怖く、そして幼い感情だった。
「お前の、せいか?」
 あぐっと、悲鳴を漏らした。
 彩華の指が首に食い込んでいた。
「お前のせいでこんなことになったのか? お前に名前を付けられてこんなことになったのか? お前の、お前のせいだ。お前がいるから、あの小娘に負けたのだ」
 床に押さえつけられる。
 喉仏がごこりと鳴った。
 抵抗した。
 蒼白い腕を強く掴み、手首に爪を食い込ませると、さらりさらりと鱗粉が零れた。
 黒い毛が踊り、七色の鱗粉が舞う。
 逃れられない。
 死ぬと思った。
 それでもいいと思った。
 それがいいと思った。
 腕を、投げ出す。
 彩華の傷からは、鱗粉が零れ続けていた。
「お前を連れて、どうするつもりだったのだ? あんな醜態を晒して、どうすればよかったのだ? お前がいて、彩花を喰らう役に立つのか? 役に立つわけが、ない。だってお前は……独りで、いいのに」
 ふっと、呼吸が楽になる。
 指を離した彩華が、
「お前は……妾の、物……なのか、」
 そう、儚く呻いた。
 首を押さえながら、
「彩華」
 そう、火羅は言った。
 恥じらうように頬を染めた彩華が、
「呼べ、妾の名前を、呼べ」
 感極まったように声を振り絞った。
「彩華」
「ああ、そうだ……妾は、妾は……」
「彩華――」 
 ふらりふらりと漂い続けている。
 失って、手に入れて、何もかもがおかしくなって。
 今は、今は、そう、ここに腰を落ち着けようか。
 赤麗は呆れていることだろう。
 でも、放っておけないのだ。
「ごめんなぁ、ごめんなぁ」
「……あ、謝らないでよ!」
「ごめんなぁ……ずっと一緒にいられないのに、ごめんなぁ」
「今は――一緒にいてあげるから」
 綺羅綺羅とした鱗粉が――真紅の髪と、戯れた。