小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

学園あやかし姫の十!

「クリスマス、ねぇ」
 卓上カレンダーを見やり、一週間後のその日に思いを馳せる。
 これといった予定はなく、赤麗と二人で過ごすと思う。
 十二月二十四日は、みかんを剥きながらこたつでぬくぬく。
 火羅のクリスマスは、大体そんなものである。
「そお、クリスマスよ」
 こたつにぐでと頬ずりしていた彩華が、小悪魔的な笑みを浮かべる。
 今日の着物は黒い蝙蝠羽に可愛らしい三角尻尾が生えていて、悪戯っぽい笑みにあっていた。
「随分と嬉しそうね」
 くつ、くつ、くつと、喉で嗤う。
 妹である赤麗の方が、学校が終わるのが遅かったので、火羅は同じ敷地にある彩花の屋敷で時間を潰していた。
「うむ、何せサンタがやって来る日じゃからな。心躍るというものよ」
「サンタ……」
「サンタのために、この日もよい子にしなければ。ポテチもちょびっと我慢しようかの。功徳は善行は十分かの」
 真面目くさった物言いに、火羅はきょとんとした。
 サンタサンタと言うのがあの彩華。どうせ良からぬことを企んでいるに違いない。自分達が巻き込まれないよう祈るばかりだ。彩華の好意はありがたいのだが、よくねじ曲って何だかのっぴきならない爛れた方向に行き着きそうなのである。ひねくれ者の彩華なりのスキンシップなのだろうが、度を過ぎると考え物だ。決して嫌いではないのだが。
「サンタは凄いからの。いやはや、あれほどの人物……人物、達? まぁ、凄いの」
 火羅は、笑おうとした。
「サンタなんて、いな」
 むくりと起き上がった彩花が、物凄い目で睨んできた。
 くわっと開かれたその目には、確かに殺気が込められていた。
「え、え?」
「火羅さん、少しお時間を」
「何じゃ? 話はまだ」
「お姉様……火羅さんと、おトイレに、ね、火羅さん」
 そんなこと全然思ってないけど、逆らえない迫力が彩花にはあった。
 狼に睨まれた子兎の気持ち、涙が零れそうになるのを我慢するので精一杯、本当にトイレに行きたくなる。
「う、うん」
 何か嫌われるようなことをしたのと逡巡する。
 彩華と話しすぎたのだろうか。楽しそうに二人のやりとりを聞いていたのに。あの微笑みの下で、お姉様を独り占めするなこの下等生物、いや生き物ですらないゴミ娘と考えてたりしたのだろうか。
 彩花に手を引っ張られ、早足に付いていく。
 吐きそうになるのを、何とか堪えた。彩花に嫌われたらと考えるだけで恐ろしい。初めての友達で、一番の友達で、怪しげな誤解を招いたり、何かと衝突しがちな火羅を、思いやってくれている。
 火羅が嫌われたら、赤麗も無事で済むとは思えない。
 火羅と赤麗が通う学園は、彩花の祖父のもの。
 彩花は学園の姫様で、その権力は絶対なのだ。
 上級生に下級生、教師に高等部に初等部、はてはあの小生意気な朱桜の通う幼年部に至るまで、聡明さと慈悲深さと美麗さで、皆の気持ちを掴んでしまっている恐るべきカリスマ。
 それに何よりここが肝要、「あの」彩華の双子の妹だ。
 仁王立ちして睥睨するそんな彩花には、目を逸らしたくなるような圧力があった。
「火羅さん」
「ひぃ……ご、ごめんなさい! ごめんなさい、ごめんなさい!」
 もう、身を低くして、平謝りするしかない。
 彩花には色々と――本当に色々と助けてもらっている。
 助けてもらいすぎて、生殺与奪まで握られてしまっているような。
「私、何か、変なことした? 変なこと言った? ごめんなさい、とにかく、ごめんなさい!」
「あ、あの……えっと、そうですね、言いかけました、かな」
 ごんごんごん――額を床に打ちつけていると、彩花が、後ずさった。
「言いかけた……」
 赤くなった額を見せると、彩花の方が悲鳴を漏らした。
 慌ててセーラー服のポケットからちょっとした薬を取り出すと、それをせっせと塗ってくれた。
「私、何を」
「……お姉様はですね、その、さ、サンタさんを……信じていらっしゃるんですよ。だから、お止めしたのです」
「彩華さんが? いやいやいや……あの彩華さんが、そんな純真なことを」
「……お姉様は、あれで純粋ですよ」
 笑みが、怖かった。
「本当に?」
「それはもう、生まれてこの方ずっとです。十二月二十四日は、ベッドに靴下を下げて二十一時にはきちんと寝ます」
「あの彩華さんが午後九時に就寝……て、天変地異の前触れ!? 真っ当な夜型人間の彩華さんが!?」
「天変地異の前触れって……そういうわけなので、お姉様の想いを壊すようなこと、言わないで下さいね。禁句です、禁句」
「わ、わかったわ」
 クリスマスの夜、サンタを心待ちにしている彩華の姿を想像して、怖くなってやめた。
 黒魔術の儀式なんかをやっている方が似合っているように思う。
 生け贄に捧げられる自分の姿が思い浮かび、げんなりとした。



「サンタなんて、いませんよ」
 だから火羅は慄然とした。
 知らないとはいえ、妹がさらりと禁句を述べたことに。
 彩花の表情が固まった。笑みのまま固まったから、余計に怖かった。
「サンタはおるぞ。よい子の家にはの」
 諭すように言いかけた彩華を、珍しく赤麗は遮った。
「いません。いるわけないよ。だって、私の家には、来てくれたことないもの。お姉ちゃん、よい子なのに。こんなにいいお姉ちゃん、どこを探したっていないのに……いないの……サンタなんて、トナカイなんて、空想の産物です!」
「ト、トナカイは」
 的外れな突っ込みを入れようとした葉子は、彩花に一睨みで黙らされた。
 元傭兵の陽気なメイド長ですら一睨みとは、今の彩花はまさしく鬼神。その鬼神も、小さく病弱な赤麗に、どう言えばいいのか苦心している。
「赤麗……いや、サンタはの」
「……嘘です。真っ赤な、真っ赤な、大嘘! そうじゃないと……お姉ちゃんが」
 ランドセルを踏みつけ、咳をしながら駈けだした。後を追おうとした火羅は、彩華に袖を握られて、咄嗟に立ち上がれなかった。
「葉子さん」
 混乱した場を静めるように、彩花が落ち着いた声を出した。
「あい――屋敷の警備をフェーズSHに移行。ああ、問題ない。直ちに追跡を開始するさよ」
 義手に囁くと、葉子は脱兎――脱狐のように駈けだした。
 派手に翻るメイド服が、戦闘服のように見えた。
「サンタは……いるん、じゃよ」
 火羅は、ぷるぷると震える彩華を見やった。
「あの、な……妾が、妾達が、小さかったとき――赤麗ぐらいの齢、か。彩花が、病になっての、滅多にないことだから、病になるのは妾の仕事じゃったから、彩花のいないクリスマスは、とてもつまらなくて、せっかく葉子が腕を奮ってくれたケーキもフォークが進まなくて……祈ったんじゃ。サンタに、頼んだんじゃ。玩具もお菓子も漫画もビデオも全部全部いらないから、彩花を治して下さいって。彩花はよい子だから、お願いしますって。そうしたら……治ったんじゃ。彩花とケーキ、食べれたんじゃ。だから、サンタは、いるんじゃ。信じれば、いるんじゃ。妾は、そう思う。その方が、面白い。UFOだって妖怪だって、信じればいるんじゃ。いないより、いた方が、きっと面白い」
 儚げな彩花だが、健康な方。彩華の狼狽が手に取るようにわかる。
 案外に彩華は弱いのだ。気丈に振る舞っているだけなのだ。
「どうすれば、いい……どうすれば、いいのじゃ」
「楽しい思い出、なかったものね」
 そんな暮らしの余裕はなかった。両親がいたころは、特にだ。
「ああ、そうか……そういうことか」
 彩華がにたりとした。
 ああ、ロクでもなくよいことを、始めるつもりなのだと火羅は思った。



 ホワイトクリスマスだった。
 朝から赤麗も火羅も、こたつに入り浸っている。
 朝食も昼食もいつも通り。
 ケーキは高いから手が出ない。
 ごろごろと、夜になった。綿入れを着込んだ火羅は、膝の上の赤麗の髪を優しく撫でた。赤麗の身体はぬくぬくで、湯たんぽのようだった。
 しゃんしゃんしゃんと雪が降る。
 アナログテレビをぴっと消す。
 途切れた会話、じじじと蛍光灯が鳴っている。
「もう、こんな時間か」
「お姉ちゃん……ごめんね」
「何が?」
「彩華さんに私が変なこと言ったから……本当なら、彩華さんの」
「そんなことないわよ」
 葉子が、クリスマスは家族で過ごすのだと教えてくれた。
 盛大なパーティなんて開かない。もしあったとしても、二人は行かない。
 身内だけで、こぢんまりと。三つ星シェフなんていらない、葉子と彩花の手料理とケーキで十分満足。
 それが、これまでの彩華のクリスマスだった。 
 しゃんしゃんと鈴が鳴る。
 首を傾げた赤麗は、近づいてくる鈴の音に、嫌そうな、悲しそうな、顔をした。
 鈴の音に混じって、どす、どすっという重い響きや、ずるずる何かを引き摺る音が聞こえてくる。
 さらには、聞き慣れない獣の鳴き声が。
 赤麗が、きゅっとしがみついてきた。
 怖々とした表情に、火羅は苦笑を隠しきれなかった。
 音が、止む。
 そして、どんどんどんと、誰かがぼろい扉を叩く。
 赤麗の背中をさすり、火羅はよいしょと腰を上げた。
「ねぇ、赤麗……」
「お、お姉ちゃん?」
 小さな咳。
「メリー、クリスマス」
 扉を開ける。真っ赤な衣装に身を包んだ彩華が、咳混じりに火羅と声を合わせた。



「トナカイまで用意したんだ」
 サンタの格好に身を包んだ赤麗が、葉子に支えられながらトナカイの背に乗っていた。
 大きなトナカイに、豪華なそり。
 彩華なら何とでもなるのだろう。
 アパートの前は、ちょっとした見世物だ。
 ちょっとした――なのは、八霊財閥のマークが利いているからだろう。
 あの財閥の突飛な行動は、この街の見慣れた光景なのだ。
「あれがトナカイなんですか?」
 彩花が言った。彩花も、サンタの格好をしている。白い白い、ホワイトサンタだ。
 対象的な姉妹だと思う。対象的だが、とても似ている。
 綿入れを二重に羽織った火羅は、露出のあからさまなサンタの衣装、着なくてよかった思いながら白い息を吐いた。
 あんなのは夏着るものだ。どうしてあんな際どいものばかり押しつけるのだろう。海に行ったときもそうだ。水着じゃなくて、紐や貝や草を勧められた。本人はスクール水着で満足してたのに。それは、咲夜や沙羅より少しは大きいけれど……彩華や彩花よりは、言わずもがなだけれど。
 この戯れの代償に、火羅は彩華とある約束をした。
 胸元の大きく開いた真紅のドレスは仕方ないと割り切るしかない。
 似合いやしないのに。ちょっとスタイルがいいだけだから、すぐにボロが出るだろう。案外、彩華も、気づいて言わなくなるかもしれない。
「あれでしょ。立派な角があるし」
 チャイナサンタな葉子は、ちょっと寒そうだった。スリットから見える太股に、カイロが張られているのが見えた。
 ああいうコスプレ、好きだなと思う。葉子さんなら似合うのだ。普段から着慣れているだろうし。
 くかかと嗤う彩華の頬にも、きゃっきゃと笑う赤麗の頬にも、雪が付いていた。
 赤麗も、似合ってる。可愛い可愛い、ミニサンタ。
「トナカイって空想の動物じゃないんですか?」
「さ、彩花さん?」
「はい? ペガサスと同じじゃないんですか? あれは、鹿ですよ」
「……あれは、トナカイだと思うわ」
「鹿ですよ」
「トナ」
「鹿ですよ」
「ト」
「鹿ですよ」
「シカ」
「ええ、あれは鹿ですよ。真っ赤なお鼻の、空を飛ぶトナカイなんて、キャラクターですよ」
「シカ、シカ」