小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~跡目争い(23)~

「あたいはさぁ……あの暮らしが気に入ってたさよ。クロちゃんはどうか知らないけど、太郎だってどうか知らないけど、あたいはね。騒々しいけど、いい意味で落ち着いたと思ったのに、どうしてこうなったさね。玉藻御前様より恐ろしい事なんて起きないと思ってたのに。こんなことなら……でも、でも、姫様を止める事なんて、出来ないとわかってた。そんなことは、わかりきってた。玉藻御前様と事を構えた姫様だもの。朱桜ちゃんのためなら、きっと出向いてしまうって。どうすればよかったさよ? これからどうすればいいさよ」
 くすんだ白尾を撫でながら、葉子が言う。
 真っ赤な目を向けられた太郎が顔を上げる。
 獣の姿でも憔悴しているとわかる妖狼は、
「わかんねぇ」
 と一言、苛立ち混じりに漏らした。
「姫様、泣いてるんじゃないさか、火羅、泣いてるんじゃないさか……早く、何とかしないと。でも、どうすればいいんさよ」
 金咬の首を残して姫様は消えた。
 あれが姫様かどうか疑わしいけれど、姫様だと太郎だけは言い切った。
 南の妖狼の頭が死んで、色々とごたごたがありそうだ。
 北の妖狼に戻らなくて良かったと、太郎は思う。
 北も西も南も被害を受けて、無事なのは東だけになった。
「……姫様の居場所、本当にわからないさか?」
「わかんねぇんだよ。全然わかんねぇんだよ……泣くな」
「泣いてないさよ。あたいが泣いてたら、姫様も泣いちゃうもの。優しい子だから、うつっちゃう」
「姫様、優しい人だもんな」
 太郎と葉子は暇を持て余していた。
 半ば軟禁状態なのだ。
 姫様を探したくても、鬼達が外に出させてくれないのである。
 悪いことに、こんな時上手く立ち回ってくれるはずの頭領まで、姿を消してしまっている。
 八方塞がり手詰まりの形、頼みは鞍馬山大江山を往復する黒之助だけ。
 その烏天狗にしても、姫様に関しては芳しくない様子であった。
 無為に過ぎる時間が、恐ろしい。こうしている間に、姫様がどんどん遠くなってしまう気がする。
「ねぇ」
「ん?」
「姫様のこと、どう思ってるさか?」
「――好きだよ」
「それは、その好きは、あたいの好きとは、違うさか?」
「葉子」
 切々と訴える眼差しから、太郎は顔を背けなかった。
 部屋に淀んだ空気が冷え冷えとした。
 赤い目が一度まばたきする。
 金銀妖瞳は変わらない。
「……違う、さよね?」
 恐る恐る、言った。
 葉子も、黒之助も、朱桜も、姫様の願いを、妖狼と同じように、確かに、確かに、耳にしたのだ。
 音を無くした世界なのに、その願いは聞こえたのだ。
「……違う」  
 この問いかけを何度も何度も葉子は繰り返していた。
 この問いかけに何度も何度も太郎は同じ答えを繰り返した。
「クロちゃん、遅いね」
 関心を失ったように、諦めたように、葉子が戸口を見やった。
 いつものことだった。
「クロの奴、今日は来ないのかな」
 部屋を出入りするのは黒之助だけである。念の入った閉じ込め方で、力を失った葉子や、術を使うのが不得手な太郎ではどうにもならない結界を張られていた。
 大人しくしているが、太郎の我慢はそろそろ限界だった。
 待つよりも動き回る方がずっと性に合っている。
 力も戻っていた。黒之助よりも回復が早い。北に行ってから差が付いたように思う。
「……おかしくなりそうさね」
 あの時みたいだと葉子は言い、白髪を掻き乱した。戸口に這い寄ると、一度、大きく叩いた。
「駄目なのに……姫様に子守歌唄ってあげたいよ。油揚げの作り方、教える約束したのに」
「葉子!」
 叫んだ太郎が、葉子を腹の下に隠した。
 戸口が微塵に砕けた。ひびの入った結界が微塵に砕けた。
 葉子が何事さよと言い、太郎が牙を剥き出しにした。
「葉子さん! 太郎さん!」
「……朱桜、ちゃん?」
 突如現れた黒い少女を、葉子も太郎も目を白黒させながら見るしかった。
 姫様と同じ年頃に見える、立派な角を額に生やした美しい少女は、すらりと伸びた肢体を黒い霧で隠しながら、毅然とした表情を見せた。
「行きますよ!」
「ど、どこへ?」
「そんなの決まってるです。彩花姉様を探すのです」
 朱桜の後ろで唖然とした鬼達が、朱桜様御乱心、王を呼べと叫んでいる。
 顔を見合わせた太郎と葉子は、深く、互いに頷いた。
「大丈夫、なの?」
 一応、葉子が訊いてみた。腰に巻き付いた白い尾が、妖狼の背中に運んでくれた。
「許可なんていりません。やりたいからやるですよ」
 止めようとした鬼が、黒い霧に弾き飛ばされた。
 ふわりと浮かんだ鬼姫が、道を開けて下さいですと丁寧にお辞儀をした。
 葉子が太郎の背にしがみつく。
 ごおという咆吼が、鬼の鼓膜を震わせた。



 また、鬼を弾く。霧は様々な形を取る。姫様の姿をかたどったときは、さすがに面食らった。
 朱桜自身も面食らったようで、違うです違うですよーと太郎の目を塞いできた。
 鬼の対処は、朱桜に任せている。気を失わせているだけだ。手荒だが、加減はしていた。
「大丈夫です、太郎さん。彩花姉様と一緒に怒られればいいのです」
 朱桜が、ふわりと宙を舞った。
 細い手足、長い黒髪、優雅な仕草。
「姫様に似てるな」
「そうさねぇ」
「こ、光栄なのですよー」
 照れ笑いしながら、また、鬼を弾き飛ばした。
 姫様よりふっくらしてるさねと、葉子は思った。
 痩せてるの気にしてるみたいだし、帰ったらもっといっぱい食べさせないと。
 油揚げ、いっぱい食べさせてあげるんだ。
「出られるのか?」
「出ます」
「……頼む」
「はいです」
 向かっている場所の見当はつく。
 今の朱桜なら出られるだろう。
 問題は、恐らく待っているあの鬼を、どうするかだ。



「これが本当に、跡目争いか」
「父上さま……」
 鬼が、言った。あの女と火羅が逃げた場所。考えていた通りの待ち妖だった。
「彩花ちゃんが一度壊してるから、結界、脆くなってるもんな……朱桜、帰るぞ」
「嫌です」
「良い子に、しなさい」
「嫌です、嫌です」
 髪を乱し、地団駄を踏む。
 固唾を飲んで見守るしかない。太郎や葉子にどうこうできる話ではないのだ。
「聞き分けのない子は、悪い子だぞ」
「……母上さまも、悪い母上さまなのですか?」
「あ、」
「父上さま、反対したけど、母上さま、私を産んでくれました。命をかけて、命を捨てて」
「どうして、その、ことを」
 朱桜が、姫様のように微笑した。
 そして、とんとんと、胸を叩いた。
「ここに、母上さまの記憶があります」
 鬼の姿になると、温かな記憶がうっすらと甦った。
 それはまだ、生まれて間もない朱桜に、母が語ってくれた、ささやかな恨み言と感謝の気持ち。
「父上さま……行かせて下さい。私、いっぱい我慢しました。良い子で、いたかった。でも、私は、良い妹でもいたいのです。彩花姉様を……彩花姉様の力になりたいのです」
「俺は、鬼の王だ」
「知っています。私は、鬼の王の、ただ一人の娘です」
「……行ってこい」  
「……はい」
 鬼の少女が、鬼ヶ城の結界に、亀裂を入れた。
酒呑童子様」
「早く行け。長くは持たない」
 太郎は、頭を下げた。葉子も、頭を下げる。
 酒呑童子は、視線を遠くに向けていた。
  


「あれは……何じゃ」
 海が見たいと彩華は言った。
 海など見慣れた景色だが、彩華には違うようだ。
 見る物全てが新鮮なようで、火羅にとっても驚きだった。旅はよくしていたから、心動かされることはない。
 彩華の姿を見ていると、束の間だった古寺の暮らしを思い出す。あれこそ、新鮮だった。姫君という荷を下ろすと、こんなに違うのかと驚いた。彩花ともっと色々なことをしたかった。嫌なことばかり言わないで、もっと素直に甘えればよかったと後悔ばかりが頭をもたげる。同じ部屋で寝て、二人で食事をして、お団子を食べて、お風呂に入って……楽しかった。 
 彩華がはしゃぐ姿は可愛らしく、はしゃぎながら敵を喰い散らす様はおぞましかった。
 血みどろになりながら、雪景色がいいとのたまうのだ。
 そしてぷいと関心をなくし、次はどこじゃとせがむのである。
 彩華が指さした方を見る。
 点々と砂浜に落ちる妖の影に、火羅は目を奪われた。
「九尾!?」
 思わず叫んでいた。間違いない。数が多く、波打ち際に幾つも固まっていた。
「餌か?」
「何であんなに」
「餌じゃろう?」
「ち、違う……と、思うけど、あそこに行きたいわ」
 恐怖を堪える。大妖の姿と、白尾を探した。どちらの姿もなさそうだった。
「よい、よい」
 彩華には見透かされているのかもしれない。



「ひ、火羅!?」
 金毛の九尾だった。女子供に老人もいる。落ち延びたという言葉が似合っていた。
「死の匂いが、する」
 動かない者もいた。
 彩華が唇を釣り上げた。
「九尾が何故ここに?」
「……お、お前何ぞに」
 力なく数人が立ち上がる。立ち上がる気力のない者の方がずっと多い。
「口の利き方に気をつけるがいい」
 彩華が、言った。
「これは、妾の玩具ぞ」
 九尾が怯んだ。彩華が機嫌を損ねたのだ。嗤っているが、目の奧で残酷さが首をもたげている。
 容赦のなさは彩花と同じだった。
「彩華、お願い」
 賭けだった。止まるか止まらないかは、五分五分……いや、三分七分だろう。火羅に関わると、止まらないことが多い。
 火羅が傷を負ったとき、相手の群れを躊躇なく皆殺しにした。
 彩華が、面白くなさそうに、少し下がった。
「何があったの? 内乱?」
 葉子の従弟であり、銀の一族の頭である木助が、憤りを覚えていると聞いていた。
 金の一族だけというのも、気に掛かった。
「馬鹿な!」
「妙な臭いがするな。最近、嗅いだことがある」
 彩華がそう呟いた。機嫌が少しよくなっている。火羅の尾の毛繕いを始めた。
「負けたんだよ。九州を、落とされたんだ」
「きゅ、九州が、落ちた!? ……誰に!? まさか、父上!?」
 あの事なかれ主義の父上が?
 そんな馬鹿なという気持ちと、自分が率いていた妖狼ならばという気持ちが入り交じった。
「妖狼? まさか。千と万と、大陸から妖が渡ってきたんだよ」
 呆れたような、怒ったような言い方だった。
「い、今、九州は?」
「見ての通りの有様だ」
 大妖に率いられていた九尾がこの有様である。
 木っ葉のような西の妖狼など、滅ぼされているかもしれない。
「彩華……海を、渡れる?」
 火龍に売られ、邪魔者として捨てられた。
 それでも、長い間、火羅の全てだった。
「渡れないことも、ない。しかしなぁ、」
「心配なのよ」
「何を心配する? お前は妖狼の姫君ではないのだぞ。渡って、どうするつもりじゃ」
「さぁ……確かに、妖狼の姫君じゃない。でもね……妖狼の姫君だったのよ。それに、きっと面白いことがたくさんあると思うわ。貴方も満足できるんじゃないかしら」
「……なるほど……面白いか。では、精々、楽しもうぞ」
 大きな声で嗤った。
 それから、泣くでないと言った。
 火羅は、泣いてないと言ったけど、顔を近づけた彩華が、狼のように頬を舐めた。