小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~鬼姫の憂鬱~

 誰も構ってくれないので、鈴鹿御前は飼い猫である鈴と一人と一匹で過ごしていた。
 だらしなく寝転び、子猫の柔らかな肉球をぷにぷにしながら、早く誰か来ないかなっと思う。
 誰も構ってくれないと、寂しくて、寂しくて、ついあの人を想ってしまうというのに。
 夫と義兄は仕事で忙しく、居候兼人質兼遊び友達その他諸々である光と白月は桐壺の教えを受けている。
 東の鬼姫と名を馳せる鈴鹿御前だが、その役目はお飾りいわば御輿。鬼達をまとめる仕事は夫と義兄のものだ。細々としたことに興味はなく、すぐに放り出すのは目に見えていたから、有り難い限りであった。
 日がなだらだら気儘に過ごせるのも、勤労な二人がいればこそである。
 桐壺はというと、目指せ彩花ちゃんに朱桜ちゃんらしい。
 確かに光も白月も、幼い頃の彩花ちゃんや、同じ背丈の朱桜ちゃんと比べると、いつも騒がしいし慎み深さに欠けている。
 つまりはお馬鹿なのである。
 それは良いところでもあると思うが、桐壺は不安らしい。二人のことは桐壺に任せていて、人様の育児においそれと口出しするわけにはいかない。
 何かあってからでは遅いという桐壺の気持ちもわからないでもなかった。
 現に騒動を引き起こしたのだ。
 でも、こういう日は恨めしい。書見も大事だけど、鈴鹿は寂しいのだ。誰かに構ってほしいのだ。
 それとなく声をかけたのに、桐壺は気づいてくれなかった。いつものように軽くあしらわれ、食い下がる気力もなくすごすごと引き下がった。
「すーず」
 ちりちりと鳴る、首輪についた黄金色の鈴。
 鈴鹿御前が繕った華やかな寝床の上で、もこもことした子猫は気持ちよさそうに一伸びした。
 もう、猫じゃらしに反応してくれない。毬を転がしても、目で追うだけだ。
 四つの小さな肉球、真ん中にある大きな肉球、ぴとりと頬に触れてきた。
 冷たかった。固さが、いい。ごろごろと、甘噛みしてきた。
 鈴鹿も、甘噛みしてみた。
 ふっくらとした身体からは、良い匂いがする。
 毎晩毎晩、鈴鹿御前自らお風呂に入れるからだ。
「すーず、にゃーご」
 遊び疲れたのか、鈴は丸くなった。
 鈴まで構ってくれなくなったら、本当に一人になる。
 そうして――あの人が、甦るのだ。
 大好きな――大好きだったあの人が。
 自分で殺めた、あの鬼が。
「すーず、やーだ」
 ちろちろと、鈴が頬を舐めた。
 ざらざらとした、小さな赤い舌。
「嫌なんだぞ」
 ああ、来た。
「兄上……兄上」
 悪路王が、こちらを見ている。
 その姿はあの時のまま。
 当然だ。
 腹の傷、罵りの唇、憎悪の目。
 鈴鹿御前は、押さえつけるように、自分の腕を掴んだ。
「鈴、見える? ……見えるわけないよね。私の愛しい人が」
 ちりん、ちりんと、無邪気な音色。
 見えない方が良い。あの姿は、私だけのものだ。  
「あー、もう」
 鈴が涙を舐めてくれる。 
 偉丈夫の姿が消えることはない。周りがどれだけ白くぼやけようと、大好きなあの人は鮮やかに赤い。
「やだなぁ、兄上。鈴は一応女の子なんだぞ。他の女がいるのに、会いに来るなんて……嫉妬しちゃうぞ」  
 鈴がいなくなればいいのか。
 鈴がいなくなれば、大好きな兄上と二人っきりだ。
 大好きな兄上を独り占めできる。
「……そんなこと、出来ないよねぇ、鈴」
鈴鹿!」
「待ちくたびれたぞ、愛しい人の子」
 眉をしかめた俊宗が、鈴鹿御前の視線を追った。
「……鬼に、なったのですが」
「ああ、そうだったね」
 全てを投げ打ってくれた。
 都も、家族も、将軍の座も、人であることも。
 それは、鈴鹿達には出来なかったこと。
 俊宗の角を触っていると、身体を抱き起こされた。
「嫉妬してる、兄上? もう、遅いんだぞ」
 鈴鹿は、こんないい男を見つけました。
 大事な仕事を放り出して、妻の許に駆けつけてくれる、よい人の子です。
「すまない」
「やだなぁ俊宗、嫉妬してる? 嬉しいんだぞ」
 鈴の目を隠す。
 悪路王の姿が消える。
 兄上も寂しいのかもしれないと、鈴鹿御前は思った。