あやかし姫~狐玉~
周囲の様子を窺う、細面の艶やかな女。
長い髪の間にぴんと立つ獣の耳が、忙しなく動かしていた。
あっちやとん、こっちやとんと、調子を取るように緩やかに動く、腰から伸びた白い尾が九つ。
女は妖、九尾の銀狐の葉子である。
さくり、さくりと、足跡を残しながら、葉子は幼子を探していた。
辺りは一面の雪景色。
地面も木々も白く染まっていた。
夜の間に雪が積もり、それを見てはしゃいだ古寺の妖達、大なり小なり、太郎や黒之助もまとめて幼子と一緒に外に行ってしまった。
お陰で古寺は静かなもの。
外の賑わいに耳を傾けながら、逸る気持ちを抑えながら、葉子はちゃっちゃと家事をこなしたのである。
今日の当番だったことが恨めしく、手伝うと言ってくれた幼子を早く遊びにいっておいでなと送り出してしまった自分に後悔しつつ。
葉子は待たないが、幼子のことは待つ。
古寺に住み着いた妖達は、概してそんなものだった。
「見つからないさねぇ」
小妖なら幾らでもいるのだが、お目当てである幼子の姿は見当たらない。
もしかしたら勝手に下山したのかもしれない。
太郎が言い出すのはあり得る話だ。
「よっと」
手近の小妖を摘み上げ、顔の前に持ってくる。
もこもことした掌大の黄色い毛の塊が十個ほど一列に繋がり、ふらんふらんと風もないのに揺れていた。
幼子が名前を付けたはずだが、葉子は覚えていなかった。
「こいつは、しゃべれるのかね?」
どうせなら、もっと話の通じそうな奴を捕まえれば良かったと少し後悔する。
「彩花ちゃんはどこさね?」
一応、意思の疎通を図ってみる。
妖には違いないのだ。
揺れる小妖が、動きを止めた。
おっと待っていると、西の方向に揺れ始めた。
「西ってことさか?」
「あっち、あっち」
しゃべれるんじゃないかと言うと、葉子はぽいと投げ捨てた。
「あっちあっち」
「あっちあっち」
「あっちあっち」
一匹じゃなかったらしい。繋がって遊んでいたのだろう。ばらっと散らばった毛玉は、ころころと西に転がっていった。
「……あれにも、一匹ずつ名前をつけたのかね?」
つけたのだろうなと、葉子は思った。
「こんっ!?」
いきなり冷たいものを顔にぶつけられ、葉子は変な声を出してしまった。
雪だ。雪の塊、雪玉。それも、左右から、葉子を挟み撃ちするように。
目を細め、ぱっぱと残滓を払う。
蒼白い火が、ぽつぽつと尾の先に灯る。
木の後ろの白い尾と黒い羽に顔をやり、
「何の、つもりさね」
と低い声で言った。
宣戦布告と受け取って良いが、彩花と一緒になってはしゃいでいた烏天狗に妖狼とは一味違うのだと葉子は自負している。
自制心があるのだ。
それに、本格的に争うと、幼子が泣いてしまう。
「いや、そのですな、こ、これは偶然でござるよ」
「よ、葉子を狙った訳じゃねぇからよ」
「雪合……これは、誇りをかけた真剣勝負の途中なわけで」
「そう、そうなんだよ、売られた喧嘩は買わないと駄目だろ」
「……太郎殿が売ってきたのだが?」
「あん? 先に手を出したのはてめぇだろうが! これだから鳥頭は、忘れっぽくてしょうがねぇ」
「ほぉ、太郎殿の頭にそんな難しい言葉が入っているとは、拙者大いに見直しましたぞ。どうせなら、正しい使い方をしてほしいものですが、そこまでは難しかったですかな。ならば教えてしんぜよう、鳥頭であっても諦めずに諭すことこそ、真の強者の努めなれば」
「仲良いのはわかったからさぁ、ちーっとあたいの話を聞いておくれな」
「悪い、葉子、先にあいつを白くしてからだ」
「葉子殿、これは男同士の勝負、御免!」
「……聞けよ、頭のてっぺんからつま先まで、ちりちりに焦がすさよ?」
「……はい」
「……はい」
「よろしい。彩花ちゃん、こっちにいるさか? 気配を感じないんだけど」
一度だけでは心許ないと、道々、他の小妖達にも訊いてみた。
大体、同じ方向を示した。
「彩花ちゃん? ああ、さっきまでいたけど」
雪まみれの若い男が、よいしょと姿を見せた。
少年の趣を残した男は、首を捻りながら金銀妖瞳を瞬かせた。
「ん――感じないな。見失ったか……拙者が見失った、だと? ふ、不覚」
同じように山伏装束を雪まみれにした精悍な男が、狼狽えながら姿を見せた。
二人とも、激しい合戦を偲ばせる情けない姿だった。
「……まさか、一人、なのさか?」
「きっと誰かが」
そう言いながら、太郎は大きな狼の姿に変じていた。
黒之助の肌を、ざわりと黒い羽毛が覆う。
幼子からこいつらが目を離すなんて、何てこった、任せるんじゃなかった。
あんなに弱い人の子に、何かあったら。
雪の深く積もった場所にすっぽりと落ちてしまったら、旺盛な好奇心に任せてふらふらと山の斜面まで行ってしまうかも。
葉子が銀毛の狐に変じると――目当ての幼子が、向こうにいた。
長年怠惰に過ぎていくだけだった四季を、こうまで身近にしてくれた大切な女の子がいた。
「あ」
「あ」
「あ」
三人、口を真ん丸にしてしまった。
「葉子さん、葉子さん」
ちょこちょこ小走りに、小妖を従えるように、嬉しそうな彩花の姿がそこにあった。
「彩花、ちゃん」
気が抜ける。年を重ねた気がする。今は、はっきりと、幼子の気配を感じられる。
ばつが悪そうに、太郎と黒之助が人の姿に戻った。
「一人じゃ、ないね」
「太郎さんと黒之助さん、忙しそうだったから」
柔らかな頬が赤く染まっている。鼻先も、赤い。腰まである長い黒髪の先の方に、雪がついていた。
まだ五つにも満たない幼子に困ったような微笑を浮かばせるなんて、葉子は自分達が情けなかった。
「でね、葉子さん、葉子さん、はい」
表情がころころと変わる。
自慢げな幼子が見せたのは、大事そうに持っていた雪玉だった。ずっと持っていたのか、小さな掌が近頃とんと見かけなくなった、紅葉のようになっていた。
「これは?」
目線を同じ高さにして、雪玉を受け取る。
彩花の顔が――くしゃっとなった。
どうやら、すぐにわかってもらえるものと思っていたらしい。
責めるような視線を、足下にまとわりつく小妖と、背後のお馬鹿二匹から感じた。
「あー、あーっとねぇ?」
いびつな形の雪玉だ。棒が何本か刺さっている。南天の実が二つばらばらな場所に付いている。もしかしたら、これは目なのだろうか。
となると、何某かの動物ではないか。小妖達の中に、似た形のものはいないのを確認する。
彩花が、せがむように上目遣いになった。
可愛いなと頭をいっぱい撫でてあげたくなった。
この表情でねだられたら、きっとお揚げだって半分こしてしまうだろう。
「う、兎?」
懸命に考えた末、そう葉子は言った。そして、すぐに、違ったのだと悟った。
泣きはしなかったけれど、泣く一歩手前で、背中でもさすってやればすぐに泣き出してしまいそうなほど、幼子は落胆したのだ。
「な、何かなー? 葉子さん、教えてほしいなぁー?」
お手上げだった。もしかしたら、生き物じゃないのかもしれない。
「葉子さん」
「葉子さんだよー、葉子さんだぞー」
「葉子さん」
「彩花ちゃん、あたいに教えておくれな。気になって、おあげも喉を通らないさよ、気になって気になって、一緒にお昼寝出来ないさよ」
「いや! 葉子さんのふわふわ尾っぽと寝るの! 太郎さんもいいけど、今日は葉子さんのきらきら尾っぽの日なの!」
ぷんすかと、手を振り上げる。
ああ、いいなぁと思う。
可愛い顔が、くるくると動く。
見ているだけで、幸せになる。
「じゃあ、何さね?」
「葉子さん……です」
雪玉を見る。
南天の目。
てんで自在に刺された棒――数えると、九本――九尾。
「これ、あたいかぁ!」
こくこく。
「ああ、なるほど、言われてみれば……」
いやわかなんないでしょ無理でしょと思うけれど、可愛い彩花が作ってくれたわけで、他の誰でもない、自分だけを作ってくれたわけで、それはやっぱり物凄く嬉しいものだった。
でへりと照れ笑いを浮かべると、それで幼子の機嫌も直ったのか、ぴとっと身体を寄せてきた。
厚着に厚着をして、真ん丸に着膨れした幼子を、葉子は九尾で包んだ。
「これね、頑張ったんだよ。えっとね、これが葉子さんの尾なの。ここも、そうなの、あと、こことここ」
木の棒は尾じゃなかったらしい。
独特な感性なんだよねと、彩花の説明を聞きながら、葉子は思った。