あやかし姫~跡目争い(27)~
彩花が表情を変えた。
心底驚き、呆れ、ついには心配するように眉を潜めた。
「止めた方がいいですよ」
「は……燃える! そうよ、これが、これが私よ!」
妖気を全開にする。
力が全身に巡る。
勢いよく吹き上がった炎が全身に絡みつく。
炎を操る妖狼として、磨きに磨いた己の力を誇示するように。
「これが、火羅よ!」
轟々と渦を巻く紅蓮の炎を宿した右腕を、躊躇せず少女に叩きつけた。
一度、
二度、
何度も何度も叩きつける。
抉った地面が溶解する。
幾筋も昇る黒煙。
暴力に酔いしれ、歓喜の雄叫びをあげる。
反撃はない。
爪を見ると、赤い。
恐る恐る、穿った大穴を見やる。
黒い瞳が、二つ、静かに火羅を見つめていた。
人の形を留めているかもわからなかったけれど、澄んだ双眸だけは確かにそこにあった。
恐れ、罪の意識を覚えるのに、十分だった。
罪――喜んでいた。嬉々として彩花を潰そうとした自分がいた。
妖ですらない。
もはや、畜生だ。
じゃらりと白銀の鎖が鳴った。
空耳だとわかっていても、身を竦めた。
それから、彩華を見やり、意を決して胸に息を貯めた。
唇の端々から、火が溢れる。
高く飛び上がり、咆吼と一緒に、火炎の息を吐き出した。
何もかも――燃えろと、燃えてしまえと。
肌がひりと灼ける。
熱風と爆砕の衝撃。
崩れるように、地面に降り立つ。
それから、妖狼は、はっと泣き笑いの形相を浮かべた。
「彩花……さん?」
形もない。
影もない。
骨の一本も、髪の一本も、燃やした、燃やし尽くした。
「勝った……勝ったの?」
あっけない。
太郎様に、何と言えばよいのだろうか。
優しい九尾は怒り狂うだろう。
「早く、早く、人の形に戻れ!」
「あ……彩華」
彩華が、必死の形相を浮かべていた。
「何故、何故、お前が、馬鹿」
「どうしたの、よ」
ずんという、重い衝撃。
腹這いになっている。
四つ足の姿勢が維持できなくなったのだと理解するまで、しばらく時間が掛かった。
気が抜けたのかと思い、身体を起こそうとしても、出来ない。
視線も上がらないし、右目が霞んできている。
心なしか、声も聞こえにくい。
そして、少女の形が、ふわりと浮かび上がった。
「私を這いつくばらせて、楽しい、の」
彩花さん。
牙を剥くことも出来なかった。
おかしい。
その原因を、知りたくない。
「私は、何もしていませんよ」
悲しそうに、彩花が言う。
「早く、変化を解いた方がよろしいかと」
「彩花さんの、指図は、受けない」
また、罪の意識に苛まれる。
彩花のことも、好きなのだ。
消えようのない確かな気持ちだった。
「頼む、早く戻ってくれ!」
彩華が、顔を押さえ、声を振り絞った。
「早くしないと、右半身を失うよ」
聞いた事のない悲鳴が上がった。
それが自分の声だと、火羅はわからなかった。
その痛みが、半身を焼き尽くす己の炎の痛みだと、火羅はわからなかった。
「ぎ、ぎゃ、ぎゃぎゃ!」
炎に呑み込まれた右腕と右脚が、ぼとりと落ちた。
右目が白濁し、右耳が炭化する。
変化を維持できなくなり、半人半妖の姿で転げ回る。
全身に稲妻のような火傷――背中の火傷をも塗り潰す新たな火傷を負った少女が、身を縮め悲鳴を上げる。
限界を、超えたのだ。
臓腑を駆け巡って皮膚を喰い破り、鮮血と共に吹き上がる炎が、少女の意識を瞬く間に白く焼き尽くした。
「ああ、言ったのに……火羅さんは、強がりだけど、弱いんだから。泣き虫で意地っ張りで、私の気持ちを知っているくせにおろおろとして」
妖気がほとんど残ってないのにあんなに燃やして。
最後は自分を燃やすしかなくなるじゃないですか。
「嫌、だな、それは……火羅さんは……」
太郎さんと、同じになりますか?
そう言って、彩花は目を伏せた彩華の頭を掴み、片手で持ち上げた。
「……火羅ぁ、火羅ぁ」
火羅を抱き上げる。
彩華の傍に寄せる。
彩華は泣いている。
「そうじゃ――また、二人で、一緒に」
それが、最後の言葉だった。
黒い蝶が霧散する。
霧散し、彩花の身体に吸い込まれた。
真紅の妖狼の成れの果てを抱き、あやかし姫は首を傾げる。
そして、すたすたと、歩き出した。
「太郎さんに、会いましょう」
嬉しそうに、そう、言った。