小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~跡目争い(30)~

 一瞬だった。
 混沌の頭が半分、渦を巻くように飛散したのである。
 何かの術かと葉美は思ったが、頭を半分失った混沌は、瞳に焦りの色を乗せ空を見上げた。
 身に残る僅かな力を使い、葉美も混沌の視線を追う。
 灰色の空、眼差しの先に、髪の長い色白の少女が浮かんでいた。
 髪先をふわふわと空に揺らしながら、白い塊を抱きかかえていた。
 真紅の瞳を瞬かせ、少女がくいと唇を釣り上げる。
 葉美の意識はそこで途切れ、気づいたときには横になり、少女が腹に触れていた。
 心底愛おしそうに、何度も何度も、露わになった腹を摩っていた。
「お前……」
 混沌の姿を探したが見つからなかった。
 気配を探ろうにも何かが邪魔をする。
 身体を起こそうとして、足の痛みに背中を丸める。
 目をやると、布が丁寧に巻かれていた。
 妖気がほとんど残っていないために、足の穴は開いたままだが、我慢すればゆっくりと上体を起こせた。
 それから、少女の異様な気配に気づいた。
「お前は、何なの?」
 気持ち悪いと葉美は思った。
 少女が摩るのを止める。
 首を傾げた少女に気圧される。
 頬がちりちりとした。
 渦巻く何かが肌に触れた。
「彩花さん!」
「ん……駄目、ですね」
 叫んだのは、白い塊――少女の肩に寄りかかる、人の形をした布の塊だ。
 声に聞き覚えがあった。  
 燃えるような真紅の瞳にもだ。
 こんなに髪の色が淡かっただろうかと思いながら、
「火羅なのか?」
 そう口にすると、こくりとそれは頷いた。
「お久しぶりね。ふん、挨拶はいいわ。親しい付き合いでもないし。まず、彩花さんに感謝しなさいよ」
 少女に身を預けながら、火羅は辛そうにまくし立てた。
 嗄れた声に酷い姿、それでも、気位の高さは相変わらずだと葉美は思った。
「お前達が混沌を退けたの?」
「あれは混沌だったのですか? 見覚えはあったのですが、名前までは思い出せなくて」
「混沌って、ちょっと、そんな凄い神様だったの!?」
 混沌のことを知っているのかと葉美は感心した。
 八百万の神々ならまだしも、異国の神々まで知っている者は、そうはいないだろう。
「さすがは、妖狼の元姫君ね。お前は確か……彩花、か」
 あの古寺にいた娘のはずだが、自信がなかった。
 姿形は記憶と一致するが、気配があまりにも違いすぎる。
「葉子さんに……葉子さんにも、育てて頂きました、彩花と申します。あれ、じゃあ、葉美さんは、私の叔母様になるのかな」
「お、叔母!? ……これは、葉子ねぇ、ん、葉子姉様の差し金なの」
「たまたまだよ」
 偶然だと聞いて、少しがっかりした自分がいた。
「海を渡った妖達に敗れたというのは、本当なの?」
「そう……さすがに、耳聡いものね……早くここから離れたほうがいい。混沌やその仲間が戻ってきたら、危ういもの」
「大丈夫ですよ」 
 少女が言った。
「あれなら滅しましたから」
 ぐちゃぐちゃになった混沌だったものを指差し、少女は微笑した。
「混沌を滅した!? お前は、何なの?」
「……色々ですね。そう、色々です」
 曖昧に笑う姿は、怖気を催すものであった。 
「西の妖狼は? 里に行ったけど、誰もいなかった。西の妖狼はどこへ行ったの?」
「……知らない。私も、今の状況を把握しているわけではないの。私の方こそ聞きたい。私の仲間を知らない? 残っていた仲間も……いなくなってしまった」
 火羅が、逡巡するように目を伏せた。
「……四国で、金毛の九尾達に会ったわ」
「四国? 九州ではなく、四国?」
「大方、化け狸に助力を乞うたのでしょうよ。慎重な毛玉達が動くかどうか怪しいけど。あいつらの腰の重いことといったら、酷いものだったわ」
「火羅さんは物知りですね」
 少女が感心したように言った。
「まぁ、このぐらいわ」
「狸の力を借りても、勝てない」
「随分と弱気ね」
「……相手は、玉藻様の弟君よ」
 火羅が、息を呑んだ。
「八百八狸の助力があったところで……」
「あ、今、お腹を蹴りました……玉藻御前様の弟君が、こちらに来たのですか?」
「そうよ」
「……ああ、うん、わかりました」
「彩花さん?」
鬼ヶ城で暴れた妖と、先程滅した神、二つの根は同じものですよ」 
 
 
 
「だーかーらぁ!」
「もういい鬼姫、お前は喋るな」
「狐も来てるがよ、そんなに大事かぁ?」
「大変だから私達がわざわざ来てるんだぞ! 何度も何度も言ってるんだぞ!」
「そりゃ、鬼の頭目が雁首揃えているからには、そうなんじゃろうが」
 四国の大妖、隠神刑部を筆頭とする化け狸の視線に晒される中、憤然するは東の鬼姫鈴鹿御前。
 酒呑童子が珍しく窘め役にまわっている。
 天に向かって螺旋を描く岩窟に、八百八本の蝋燭と八百八匹の化け狸。
 天に近いほど蝋燭は長く、天に近いほど化け狸の格が上がる。
 じんわりと澱む潮の匂いの中、千六百十六の碧眼は、珍しい訪問者を見つめていた。
「腰が重いとは聞いていましたが、これほどとは」
 鈴鹿御前の袖を引きながら、宗俊が言った。
「西の妖狼の姫がよく歯噛みしていたな」
 さてと首を捻り、酒呑童子は無視された形の人の一行を見やる。
 気紛れな綱姫が動くと面倒だが、今のところ落ち着いていた。
「団三郎狸、禿狸、六右衛門に金長、お前達はどう思う?」
 またと鈴鹿御前が頭に血を昇らせる。
 隠神刑部が腹心達に意見を促すこと、これで何度目か数えるのも腹立たしかった。
「征くべきだとさっきから言うておるがのぉ」
「しかしお師匠様、我らは守りを固めるべきではなかろうか」
 金長と六右衛門の師弟の問答を、団三郎狸と禿狸が我関せずと眠たげに見る。
 この流れも同じであり、決断を先延ばしにしているとしか思えない。
「六右衛門は随分とやるきですねぇ」
「金長は慎重派か。若手の有望株と聞いていたが、想像していたのと、少し違うな」
 切り上げ時かと酒呑童子が考え始めた時だった。
 待っていた変化がやっと狸達に生じた。
「お祖父様!」
「なんじゃ、子安姫。物々しいの」
「子安!」
「こ、子安様!」
伏見稲荷が九尾助力の為動くとの、義妹より報せが参りました。義妹と共に戦うため、しばしのお暇を告げに参上した次第です」
 大きな甲冑を纏った若い娘は、そばかすの残るふっくらとした頬を上気させながら、そう言った。
 狸達がざわめいたのは、この娘が四国の化け狸にとって、相当な影響力を持つからだ。
「あれが、六右衛門の娘で、金長の嫁御か。何だろう、既視感が……でもないか」
 鈴鹿御前と子安姫を見比べた義兄をげっしと蹴ると、はんと鬼姫は鼻息を荒げた。
「聞いてないぞ、晴明」
 都にある伏見稲荷が動くとなれば、頼光と晴明の知らないはずがなのに、そんな話は聞いていない。
「私も知りませんよ。伏見稲荷がわざわざ動きますかねぇ。まぁ、どうなるか、観ていましょうか」
「震えている」
 綱姫が、そう呟いた。 
 確かに、丸い尾が小刻みに震えている。
「お祖父様」
「……六右衛門、金長、手勢を率いて子安姫を守れ」
「は!」
「……はい」
「動ける九尾を連れて行こうと思いますが、よろしいですか?」
「それは儂らのあずかり知らぬこと。好きにせい、頼光」
 六右衛門が、さっさと岩窟を去る。
 金長が、何か言いたげに子安姫の傍に行く。
 腰を下ろした子安姫が、ゆるゆると息を吐いた。
「……なかなかの芝居でしたね」
 伏見稲荷が動くかどうか、怪しいところだった。
 動くにしても大々的ではないだろう。
 八百万の神々に近い稲荷と、大陸からやってきた九尾とは、同じ妖狐といえど仲が良くないのである。
 嘘か真は置いておくとして、子安姫がああ言ってくれたのは有り難い。
 大妖である隠神刑部が動かなかったのは痛いが、六右衛門と金長を引っ張り出したのだから上々だった。
「八霊がいないのが何とも痛い。面倒な役は全部押しつけることが出来たからな」
 あの男ならば、様々な手管に小細工を弄し、隠神刑部をも上手く丸め込んだはずだ。
 未だ姿を見せない晴明はともすれば傍観者になるし、頼光も宗俊も誠実すぎる。
 酒呑童子は諦めやすく、鈴鹿御前は忍耐力がない。
 大獄丸は口より手を出す方が好きで、そこは綱姫も変わらない。
 妖の性と言うべきなのか、協調性がなく、交渉の基本は力押し。
 八霊や火羅のように策を弄する存在は珍しかった。
「狸を引き込んだ。鬼もいる、人もいる。九尾も少々連れて行ける。やれそうか?」
「どうでしょうねぇ、私は揉め事は苦手ですし」
 自分達を討伐しようとした陰陽師の言葉に、酒呑童子は苦笑するしかなかった。
 
 
 
「ありゃあ、伏見の稲荷狐さよ」
 目を凝らした白狐が、そう、言った。
「稲荷狐? けっこうな数だな」
 葉子を背にした太郎と、朱桜を懐に抱きなずなを背負った黒之助は、出雲を目前にしていた。
 葉子が目を凝らしたのは、御輿を中心に据えた光の群れが、つかず離れずの距離で併走するようになったからだ。
 灯火の一つ一つが稲荷狐であった。
 担ぎ手のない御輿を中心とした、色とりどりの光の奔流は、なかなかに見目が良く、感嘆した朱桜が黒之助に嬉しそうな声を聞かせていた。
「大方、九尾に恩を売ろうって魂胆さよ」
「わざわざ御苦労なことだ」
 朱桜の緊張は和らいだが、今度は黒之助がぴりぴりし始めた。
 それにしても、随分と稚拙な狐火だと葉子は思う。
 色も明るさも一定しない狐火は、朱桜にとっては変化があって面白いのだろうが、同じ妖狐として忸怩たるものがあった。
「葉子さんのお知り合いなのですか?」
「いや、あんまり知り合いは、うぁっと!?」
 流れから離れた光が一つ、一行の前に回り込んだので、太郎と黒之助は急停止した。
 朱桜が黒之助の懐からずり落ちそうになり、なずながなんとかそれを支えた。
「葉子様!」
「あれ?」
 知り合いはいないと言ったばかりだが、姿を顕した狐面の女は葉子の名前を呼んだ。
「お久しゅう御座います、葉子様! その節はお世話になりまして」
「……誰、だっけ?」
 見覚えがあるようなないような。
「な、な、な……お忘れですか! あたいです! 美鏡です!」
 狐面を横にずらした女は、小悪党といった面立ちであった。
 美鏡ねぇと記憶を探りながら、わっしと揺れる金尾を眺めた。
「……あ、あん時の琵琶泥棒さか」
 思い出した。
 白蝉から琵琶を盗んだ金狐である。
「琵琶泥棒……」
 朱桜の目の色が変わり、葉子は慌てた。
「あ、いや、未遂っていうか、何て言うか、あの件は解決したし、白蝉も今は気にしてないし、雨降って地固まるというか、そ、そんな感じさよ?」
「そうなのですか」
 あっさりと興味をなくした朱桜は、黒之助の後ろに引っ込んだ。
 距離を保ったまま停止した光の群れが気になるようで、そっちに視線を向けている。 
「葉子様、そのお姿は?」
「ま、色々あってね」
 からからと渇いた笑みを浮かべ、戻れたのさかと、葉子は言った。
「ええ、はい。葉子様の手紙のお陰で、元の主に仕えることが出来まして。ご一同は、やはり」
「九州へ、ね」
「あたい達と同じだ。なら、一緒に行きませんか? 葉子様とお歴々がいれば心強いです」
「今のあたいは見ての通り、大したこと出来ないさよ」
「随分と質の悪い稲荷を出したものだ」
 なずなが、言った。
「まともに戦えそうなのは皆無ではないか」
「白天狗……なずなか。そうか、あんたは、黒之助殿の許嫁だっけ。正直なところ、その、我が主は疎んじられておりまして、此度の務めも理不尽なもので……だから、どうか、お力添えをば! お歴々がいれば、それこそ千、いや、万に匹敵する助け!」
「俺達は俺達の目的で九州に行くんだ」
 一度、葉子は頭を振った。
「主とやらに会わせよ」
「クロ?」
「稲荷狐と一緒ならば、出雲も容易く通れるでござろう。八百万の神々の煩わしい目が外せるのは有り難い」
 それもそうかと太郎が言う。
 煩わしい目――鬱陶しい八百万の連中に見張られていたからぴりぴりしていたのだと合点がいった。
 朱桜がなずなに先程の礼を言っている。
 いや……となずなが顔を伏せ、機嫌を悪くしたですかねと朱桜は黒之助に問うた。
「……恥ずかしがっているだけで、ぐえ」
「黙れ、黒之助」