あやかし姫~跡目争い(33)~
にこにこと聞いている末姫に、太郎はぽつぽつと話していた。
童の居場所は太郎の頭上。
話すのは古寺のことである。
姫様が来てからの事を話した。
姫様と一緒に過ごした時間は、古寺で太郎が過ごした時間から見れば短い、けれど話は尽きず、記憶は鮮やかで、末姫は大人しく聞いていた。
「太郎さんと暮らしたいです」
「古寺でか?」
「はい。美鏡さんが一緒でも、大丈夫ですか?」
「部屋は余ってるけど、俺が決められる事じゃないしなぁ」
「頭領様に頼みます。それから、彩花姫に、いっぱい頼みます」
「それがいい」
末姫には名前がない。
そんな境遇にあったのだ。
末姫が狐火を掌に浮かべ、仄かな光を太郎の額に当てた。狐火は熱を持っていて、全身とまではいかないまでも、末姫の温かさを感じる事が出来た。
ここは、寒い。
冬の寒さではない。
肌ではなく身体の奥底に冷たさが生じる。
土の色が違っていた。
血の色を含んでいる。
山も、空も、海も、目に見えるもの全てが血の色を含んでいるように感じた。
嘆きの色だと太郎は思った。
故郷の無惨な変貌に、葉子の顔色が冴えなかった。
「彩花姉様はご無事なのでしょうか?」
「……無事である事を願う。そうとしか、言えませぬ」
「姫様は元気だよ」
「太郎殿ははっきりと申すな。この場所でも鼻が利くのか」
先導は太郎がしていた。
「誰かは知らないが姫様は元気だ」
「太郎さん、言っている意味がわからないのですが……彩花姫以外に姫様と呼ばれる方がいるのですか?」
末姫が言うと、朱桜が暗い情念の籠もった目を向けた。
ぎゅっと太郎の毛を掴んだ末姫の様子を見て、美鏡は憤りを隠さなかった。
どうも末姫は朱桜のお気に召さないらしい。
車の中でもまともに会話をしなかったようだ。
火羅のことといい、朱桜の情の強さが気になった。姫様の情の強さは陽だが、朱桜の情の強さは陰にあるようだ。
女の子同士、仲良くすればいいのにと思うが、人付き合いは難しいのだろう。
「そうだなぁ……きっと、あの女も姫様で、あの子供も姫様なんだろう。俺もよくわかんないけど」
「あの女というのは、火羅殿の件で出てきた御方のことか?」
「姫様だろうよ。俺は……何度か、会っている」
「拙者にも葉子殿にも、黙っていたのでござるな」
「話せるかよ」
ごんと、黒之助が錫杖で叩いた。
「いってぇなあ」
「隠し事をした罰だ」
「……おう」
「葉子殿、そろそろ良いだろうか。ここは、葉子殿が一番詳しいであろう。太郎殿の先導で依存はないが、少しは情報が欲しい。拙者もなずなも、この辺りには詳しくないのだ」
「あたいが何を話せばいいのさね? ここはもう、あたいが知ってる場所じゃない。全てが変わっているさよ。まるで異国さ……いや、本当に異国なのさか? 作り替えちまったのさか?」
「そんなこと、出来るはずがないと、私は思う。それは国造りだ。それが出来るのものは……もう、いない」
なずなが首を振った。
なずなの掌を握っていた朱桜が、うんうんと頷いた。なずなには懐いていた。最初は嫌がっていたので、朱桜にしては珍しい事だった。
「末姫様、あまり狐火で遊ばない方がいいですよ」
「え?」
「末姫様の妖気は小さい。考え無しに妖気を使ったら、自分の身を燃やす事になりますよ」
「……やめます。でも、美鏡さんを守るためならいいよね?」
「光栄です。あたいも、末姫様を精一杯お守りしますからね」
美鏡が、太郎の頭の上から、末姫を抱きかかえた。
「……早速、お出ましか」
けーんと、獣が啼いた。
悲鳴が聞こえた。
目の前で、妖が二匹、倒れた。河童だろうか。他にもいたが、すぐに地に伏し、立っている者はいなくなった。
あっという間で、動く間もなかった。
死体が光になり、空気に溶けるように消えるのも、あっという間だった。
朱桜が姿を変じた。
額に二本の角を生やし、淡い膨らみを帯びた肢体に黒い衣を纏わせた。
容貌涼やかな少女は、冷ややかな双眸を周囲に向けた。
なずなと黒之助が背中を合わせた。
黒羽が舞い、白衣が靡く。並ぶ姿は研ぎ澄まされた一振りの太刀を思わせた。
周囲が変じ、黄土色に視界が染まる。所何処に鮮やかで不吉な色がある。
太郎は息を吐き、身体を震わせた。
人の兵士を模した無数の土人形が、無言で一行を囲んでいた。
「何時の間に」
「土蜘蛛……じゃ、ないな。もっと大雑把で、ずっと数が多い」
きりきりと、何かを引き絞る音がした。
そう思ったとき、無数の矢が見えた。
空を覆うほどの数の矢である。
黒之助となずなが羽ばたいた。
黒之助の錫杖に雷が宿り、なずなの周囲に複数の剣が浮かぶ。
「招雷!」
「剣喚!」
矢を迎え撃ったのは、雷を帯びた剣である。
太郎達の周囲に矢が落ちる。
地面が見えなくなり、木は実の代わりに矢を付ける。だが、一本も払う必要はなかった。
「実鏡、葉子と末姫を、しっかり守れよ」
「あ、あたいが葉子様も!?」
「何、見ているだけでいい」
土人形が緩慢な前進を始めた。
狩りをしているようだと太郎は思った。
「獲物だと、思うなよ」
黒之助となずなが飛び込む。
二人の呼吸はぴたりと合っていて、太郎には意外だった。
我の強い黒之助が、ここまで誰かと協力して戦えるのか。
黒之助は強い。
そんなことはわかりきっている。
なずなも、強い。
鞍馬山に挑むだけのことはあった。
この二人に黒之丞が加わっていたのである。
さぞかし近隣の妖怪達は迷惑したことだろう。
「負けられねぇ」
見慣れぬ武器を打ち払う。
土人形は、どれもこれも、馴染みのない武器を持っていた。武器も土に見えるが、鉄のような固さがある。何らかの術のようで、強い気配は感じない。
意気込んではみたものの、黒之助となずな、それに朱桜の尻拭いをさせられている格好だった。
遠くの敵に、太郎は手も足も出ない。火羅のように、炎を操る術など持ち合わせていないのだ。
だから、三人が討ち漏らし、葉子達に肉薄した敵を打ち砕いた。
黒之助達の戦い方は疎漏がなかった。
二人とも鍛えに鍛えた練達のつわもの。
術の使い方も、錫杖の使い方も、互いを補う巧みなものである。
翻弄するように場所を変え、土人形の数の強さを発揮させないようしていた。
朱桜には、戦い方も何もなかった。溢れんばかりの妖気に土人形を襲わせていた。
意思を持つように動く黒い霧は、触れたものを消し去っていく。
土塊一つ残さず消滅させるが、喰らうわけではないようで、疲労が少しずつ溜まっていた。
「馬?」
突如、馬が飛び出した。四頭立ての馬車であり、御者と戦士が乗っていた。
「うぬ!?」
「うらぁあああ!!!」
太郎の白く太い腕が、土人形の合間を縫って美鏡達に迫った馬車を粉々にした。
「こいつは、違う」
腕に確かな手応えがある。幅の広い大きな刀が、太郎の爪を受け止めている。
太郎は脚に力を込めた。地面に沈み込むほど力を込めなければ、押し負けそうだった。
向かい合っているのは、色のある土人形。
龍を模った秀麗な面をしており、これが土人形の群れの頭だと、本能で嗅ぎわける。
ずず――と、刀を押し込んだ。面を一咬み出来そうになる。
そう思ったとき、目の前に矢が見えた。
「こいつ!?」
背中から生えた二本の腕が弓矢を構えた。放たれた矢を、首を左に捻って口で咥えた。
体勢が崩れる。掌を斬られたが、浅いと思った。
じゃらと、鎖鎌が鳴った。薙刀が見えた。金棒も見えた。
腕を次々と生やした土人形は、十八の武器を構えていた。
だが、そんなことは、気にならなかった。
「お前……葉子を、狙ったなぁ」
どす黒い怒りが四肢に漲った。鎖鎌が火羅を囚えていた鎖に見えた。
三人が、太郎を見た。
金銀妖瞳に紅色が加わっていた。
白い全身に薄闇がまとわりついていた。
彩花姉様と朱桜が言った。
「死ねよ」
刀を躱し、槍を流し、鎖鎌を引き千切り、至近距離の矢を打ち払う。
振り下ろした両腕が、盾と幾本の腕を持って行く。
爪で地面に縫い付けると、虫のように土人形は身をよじった。
ばくんと顎が閉じられる。
武器ごと太郎は噛み砕いた。
上半身を失った土人形がさらりと土塊と化した。
同時に、そこかしこで土人形が土塊となる。
しばらく錫杖を構えていた黒之助は、敵の気配がなくなったことを確かめると、錫杖を肩に担いで眉を潜めた。
「太郎殿、掌を」
「……ああ?」
「朱桜殿、太郎殿の手当を頼めますか?」
「はいはーい」
「手当って、そんなのいるかよ」
「空元気も大概に……うむ?」
「傷、ありませんねー」
「かすり傷だっつうの。そっちこそ、大丈夫か? 朱桜ちゃんは?」
「大丈夫です」
微笑を浮かべると、姫様に似ていた。
少し、陰があった。
「美鏡、もう大丈夫さよ」
「あ、はい」
美鏡が腰から崩れ落ちた。張っていた気が緩んだのだ。末姫も立ち上がれないようだった。
「土人形……か」
土塊は、太郎が倒した土人形のものが残したもの以外、綺麗になくなっていた。
景色はまた異国の趣に戻っていた。
河童の骸もない。地面が僅かに滲みているだけだ。
「狐が鳴いたな」
土人形に囲まれる前に、狐の鳴き声を聞いた。
「あたいたちの術ではあるけど、書物で見たことあるだけさね。こんな強力なもの、葉美でも無理さよ。玉藻御前様ぐらいしか使えないさ」
「しかし、玉藻御前は」
「玉藻御前様は元々、故郷を追われ、海を渡られた方。海の向こうには……玉藻御前様と争った弟君がいるさね」
「……あの妖猿と関係があるのかな?」
鬼の女頭が従えていた妖猿と、今相手にした土人形は、鎧武具の趣が似ていた。
「美侯王のことか? あの者は、瀧夜叉の……いや、よくは知らない。私が出会った時から、瀧夜叉に仕えていた」
「瀧夜叉という方は、どういう方だったのですか?」
「瀧夜叉は……付き合いは短かったが、真っ直ぐだったよ。多分、家族に餓えていて……半妖であることを、気にしていた」
淡々と述べ、朱桜を見やった。
「寂しい方ですね」
そう言って、朱桜は変化を解いた。
「私は、半妖であることを、誇りに思っているですよ。でも、家族が欲しい気持ちは……少し、わかるです。彩花姉様や叔父上様を傷つけたから、死ぬべきだったとは思いますが」
「太郎殿、本当に傷の手当てはよろしいのだな?」
「お、おう」
綺麗なもので、傷痕も残っていなかった。
「そんなに気にする事か?」
「幾ら何でも、傷の治りが早すぎる。それに、姫さんと同じものを発したぞ」
「……はあ?」
屍――女が、太郎のことを、かって、そう言ったことがある。
不意に浮かんだ言葉は、太郎の心底を冷たくした。
妖猿――故郷を救ったとき、太郎は死にかけた。そう、思っていた。
姫様に救われて、何とか命を取り留めたのだと。
「気のせいだろうよ……行くぜ」