あやかし姫~跡目争い(35)~
鬼ではない。
亡者である。
西の鬼と化け狸が、力を合わせて、亡者の群れを突き進んでいく。
「四天王も、二人だけ、か」
化け狸を率いているのは六右衛門である。
短刀や匕首を振り回し、中には獣の姿になって腹太鼓を叩くものもいる。
粗暴で、野卑で、壮観で、圧倒しているのは間違いない。
人でも妖でも亡者をも化かす――この辺り一帯に化け狸達が結界を張り、刻一刻と変わる気持ちの悪い地形を固定しているのも大きかった。
「つまんない、ぞ」
そう言って、鬼ヶ城の屋根の一角に陣取り、愛刀である顕明連をぎゅっと抱く。
ひんやりとした白刀を頬にあて、義兄と夫の姿を探した。
大獄丸が大通連を振り回し、俊宗が小通連を抜き払う。
群がる亡者などものともしない。
旗を踏み躙るその勇姿に、化け狸達が鼓舞される。
鈴鹿は、二人の姿に惚れ惚れとした。
冴え冴えとした頬に朱色が差す。
さすがは我が兄、我が夫――そう誇らしくなり、寂しくなった。
「楽しそうだなぁ……もう」
鬼ヶ城に残り、白月や光を守ってくれと二人に言われた。
酒呑童子と金長がいるのにである。
わざわざ鈴鹿まで残る必要があるのとは、口にしなかった。
刀を使わせて欲しいと言われた時点で、二人に従おうと決めていた。
あんまり、子安姫のことを馬鹿にできない。
守られているのは、一緒だ。
「置いていかれるのは嫌なのに、馬鹿、馬鹿」
一際大きい騎馬武者を倒せば、多分終わりだろう。
亡者の数も随分減った。
武具ごと打ち倒された亡者は、溶けるように地面に消えていた。
白骨が芒のように積もる姿も、それはそれで乙なのにと、口元に薄笑みを浮かべる。
「早く戻ってほしい……ぞ?」
亡者が、湧いた。
騎馬武者が、天を見上げ、武器を高く掲げると、地面から亡者が湧いた。
骨に粗末な武具をまとっていた先の亡者達と違い、新しい亡者は蒼白い肉体の上に鮮やかな武具を身に着けていた。
「どういうことだぞ?」
思わず身を乗り出していた。
騎馬兵に肉薄していた大獄丸が、亡者の群れに呑み込まれた。
すぐに抜け出したが、まとっちた熊の毛皮がずたずたにされていた。
化け狸に混乱が広がる。西の鬼が押され始めた。
大きな塊が、三つ――有象無象の集団が、意思持ち動く軍団と化していた。
「――っつぅ」
大きな声に、耳を塞いだ。
歓喜に満ちた叫びだ。
あの騎馬武者が、兄に向かって動き始めた。
味方であるはずの亡者達を踏み砕き、動きを確かめるように矛を振り回す。
右半身は骨のままだが、左半身は隆々たる肉体を取り戻していた。
美丈夫である。
嫌な予感がした。
矛先が兄に向けられる。亡者達が逃げるように道を開けた。
兄が大通連を肩に担いだ。尻尾を巻いて逃げようとした化け狸達が踏み止まった。
美丈夫の巨躯も、兄と比べれば可愛いものだった。
小山のような大獄丸の背中が、騎馬武者の姿を隠す。
矛は、動かない。
馬が、瞬いた。
「駄目だ、兄上……」
大通連の切っ先が地面にめり込んでいた。
騎馬武者の姿が、兄の背中を隠した。
入れ替わっている。
口を押さえた。
三歩、馬が進んだ。
ゆっくりと兄が倒れた。
鈴鹿の視界が白くなった。
「お、お、お前!」
視界が戻ったとき、顕明連を叩きつけていた。叩きつけながら、大獄丸の身体に目をやった。
傷が塞がろうとしている。何か言っているが、聞こえなかった。
二度叩きつけたが、二度とも矛で防がれた。
「殺して、やるぞ」
兄が握っていた大通連を、自分の手に戻す。
鈴鹿の掌に吸い寄せられた巨大な刀は、瞬く間に大きさを縮めた。
周囲に亡者の姿はない。
鈴鹿御前が全て斬った。
鬼ヶ城が遠くにある。
「お前は、私が、殺してやるぞ」
「ぐ……」
美丈夫の顔が、幽かに歪んだ。
「あれ?」
彩花が立ち止まった。
彩花と手を繋いでいる火羅も、彩花の後に従っていた葉美も、立ち止まった。
「ふぅん?」
「どうしたのだ?」
目の前に、川がある。
大雨の後のように流れは激しく、赤茶けた飛沫が地面に降りかかった。
眉を潜めつつ、葉美は彩花を見た。
「火羅さん、火羅さん……火羅さん」
彩花の声は、次第に小さくなった。
火羅の表情は変わらない。
葉美が声をかけても、うんともすんとも言わなくなっていた。
姿形は葉美の知っている火羅だが、中身は怪しいものだ。
「そんなに私のことが嫌いなの? そう、だよね。火羅さんは、私のことが嫌いなんだよね」
「嫌っていたのか?」
彩花の瞳が、ぎろりと動いた。
「火羅さんは、太郎さんのことが好きなんです。少し目を離しただけで、太郎さんを惑わして……ね?」
腑に落ちなかった。
婚約はまとまらなかったと聞いている。
火羅は、この娘に、甘えていたように思う。
嫌いな相手に甘えるだろうか。
あんな姿になっても、火羅は、この娘に甘え、縋っていた。
好き、だったのだろう。
「そうか」
火羅が少し哀れだった。
こうなったのも、自分に原因の一端がある。
玉藻御前様を諫めようとはしなかったし、葉子が話し合いを申し込んできても断った。
火羅のことよりも、姉の困る顔が見たかった。
失脚した時点で、敵とはなり得ないと、話し合っていたのだ。
自分達が矛を収めていれば、この事態はなかったのかもしれない。
姉と争った玉藻御前様の傷は、それだけ深かった。
「だから、ずっと傍にいるんです。太郎さんが色香に惑わぬように、こんなに綺麗な人だから」
「太郎のことが好きなのか?」
金銀妖瞳の妖狼のことは、姉から聞いていた。
「……はい」
そう言って、彩花は、川に視線を戻した。
「出てきてくれませんか?」
はっと葉美は腹を押さえた。
川が渦巻いた。
彩花が、人差し指を、渦に向けた。
「三度目は、ないよ。出てきて?」
指先に火が灯った。小さな火は、あっという間に、業火と化した。
川の渦よりも、渦巻く火の方が大きい。
恐れを成したように、渦が萎んでいく。
静かになった水面に、ぷかりぷかりと、ひび割れた皿が浮いた。
「河童?」
彩花が、火を消した。
「な、なんで?」
一枚、ふらふらと近づいてくる。
川縁に立ち、恐怖と怯えの中に、微かな喜びを見せながら、みすぼらしい河童の娘が目の淵に涙を溜めた。
「さ、彩花、ちゃん、なの?」
「……沙羅ちゃん」
一歩後退った河童の娘は、
「も、もう、いいよ。もう、夢でもいいよ」
そう言って、涙を零した。
「ご、ごめんね、彩花ちゃん。逃げて、ごめんね。と、友達だったのに、友達だって言ってくれたのに、裏切って、何にも出来なくて、ごめんね」
膝を付き、肩を狭め、河童の娘はひくりと喉を鳴らした。
「ゆ、夢でも、幻でも、いい。最後に、あ、謝れて、よかった」
晴れやかな笑みを作り、彩花を見上げ、沙羅は言った。
冷然と見下ろす横顔を見て、何故感情を殺すのだと葉美は思った。