小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~家出の裏で~

「うーん」
 割れた器を前に、頭を悩ませる姫様。
 長い呪言を唱えるも、器は元通りになってくれない。
「姫様、火羅が外出したさよ?」
「火羅さんが!?」
 ぼんと破片が煙をたてる。
 また失敗である。
 ううっと姫様は肩を落とし、
「火羅さんが、どこへ?」
 気分を入れ替えるように、そう、葉子に尋ねた。
「知らないさよ」
 姫様、あれっと思う。
 出かけるなんて、聞いてない。
 火羅がこっそり出かけるなんて、初めてのことではないか。
「気晴らし、かな……ちょっと言い過ぎたかな」
「姫様、器割ったの?」
 味のある器だった。拙い水仙が描かれていた。太郎が買ってくれたものだ。
 年季が入っていて、姫様は気に入っていた。
「はぁ」
 器を見る目は、葉子が一番あった。
 黒之助の趣味は、よくわからない。
 太郎は、姫様が好きそうな物を、苦心して選んでいた。 
 三者三様、誰が買ってきてくれても、姫様は大事に使っていた。
「術が上手くいかないのさね?」
「はい。少し手入れした方が良さそうですね」
「どれどれ」
 古寺に施された術は、頭領のもの。
 かけたはいいが、随分と癖があった。
 それに、劣化を起こしやすい。
 最近、手入れをしていないから、術にがたがきているのかもしれない。
「うりゃ」
 長々と唱える。これもくせ者だ。一回唱えると、嫌気がする。口の中だってからからになる。
 葉子の白い尾がぴんと立ち、膨らんだ。それから、しょんぼりと項垂れる。
「失敗さよ……長いだけに、嫌なもんさね」
 破片は、ふわふわとした白い毛に覆われていた。
 何だかかびに覆われているみたいである。 
 姫様は、葉子の尾を撫でた。
「クロちゃんでも呼んでくるさよ」
「お願いします」
 片袖を靡かせる葉子に、姫様は目をやった。火羅は、どこへ行ったのだろうか。心配――心配である。
 まさか、迷子になってはいないだろうが。
「と言って……何時までも子供扱いして、怒られるだけですね」
 火羅は、姫様にとって、本当はお姉さん――三桁ほど、齢が離れているのだ。
 一挙手一投足、姫様が知っていなければ――というのも、変だろう。
 それは、そういうのは、もう、嫌だろう。
「姫様、直せないのか」
「太郎さん」
「どれ、俺が直してやるよ」
「え、太郎さんが?」
 そう、素で聞き返してしまった。
「俺だって、姫様に習ってるんだぜ? ま、見てな」
 太郎が呪いを唱えた。
 すごく短かった。
 この時点で駄目である。
 姫様は、苦笑した。
 申し出は嬉しかった。
「うおっし!」
「え?」
「どうよ? どうよどうよ? クロなんか呼ばなくても、俺が直してやるよ」
 褒めて褒めてと言いたげに、太郎の尾がぱたぱと左右に振られている。
 姫様は、額を押さえた。
 湯飲みがどうして火鉢になるんだろうか。
 まだ、白い毛に覆われているし。
 青みが混じってよりかびに近づいてるし。
 太郎さん、自信満々だし。
「うお、この物体は何でござるか?」
 黒之助が、ちょっと引いた。
「へ、クロ、お前の出番はないっての、すっこんでろ」
「頭領の持ち物でござるか?」
 奇妙な物は頭領の物と、決めつけているらしい。
「あの……湯飲み、だったんですけど。こう、水仙の柄が描かれた、黄土色の」
「ああ……ありましたな。それが、これに?」
「ぶっふ! な、何がどうなったらこうなるさか?」
 葉子が噴き出した。
 太郎が押し黙った。
 硬く握った掌が、小刻みに震えている。
 耳が真っ赤である。
 尾が垂れている。
「あの、クロさん、お願いします」
 止めを刺してしまうが、仕方なかった。
「ふむ、任されよ」
 黒之助は、さっと長い呪いを唱え始めた。
 意外である。まず太郎に絡むと、姫様は思ったのだ。
 太郎を見た。
 涙を堪えていた。
 姫様は、絶句した。
「姫様、ごめん、俺」
「あ、うん、あたいも失敗したし」
「私も失敗しましたから」
「でも……こんなに、しちまって。俺がやんなきゃ、よかった」
「大丈夫ですよ。直ればいいんです、直れば」
「しまっ……え、ごほん。ごほんごほん」
 器を見る。
 鉄の球になっていた。
「し、しばしお待ちよ」
 
 
 
  犬の大きさになった太郎の額を撫でながら、姫様は黒之助の呪いを待った。これで、四度目である。今は、鉄の湯飲みになっていた。
「駄目、でござるな」
 黒之助が、言った。
 出来たのは、鉄屑である。
「頭領が戻って来てから、直してもらうさね」
「そうですね」
「小さい物は、不得手でござる」
 黒之助が、不機嫌気味に言った。
 こういう細々とした物の修繕は、器用な葉子がしていた。古寺の修理は、黒之助の仕事だった。
「元の術が駄目なのかな」
「随分とくたびれていましたな。手を入れる必要があるかと」
「ごめん、姫様」
「まぁ、太郎殿の土産であれば、なくなってもかまわんでござろうよ。姫さん、長く使っていましたし」
「そういえば、そうですね……クロさん、覚えていたんですか?」
「太郎殿が、拙者に、どれが土産にいいか訊いてきましたからなぁ」
 へぇと、姫様は微笑した。
「やっていいー?」
「やってもいいでしょー?」
「やっちゃうよー、頑張るよー」
 小妖達が言った。好きにするさねと、葉子が言った。
「クロさんが選んだのですか?」
「いや、結局は、太郎殿が自分で選びましたよ。拙者の好みではなかったのですが、姫さんが喜んでいたのは覚えていますなぁ……そう、変な花と笑い転げて早速割って泣いていましたな」
「そんなこと、覚えてなくていいです」
 黒之助が、かかっと笑った。
「出来た?」
「出来たよ?」
「出来ちゃったの?」
 小妖達が、湯飲みに群がった。 
 太郎が、がばっと身を起こした。
 葉子がありゃと目を真ん丸にした。
「……直ってよかったです。ええ、本当に」
「……ちょっと鞍馬山で修行してくるでござる」
「……俺はお前らよりも下手なのか」
 
 
 
 
「湯飲み!」
「は、はぁ?」
「湯飲みよ! 一番良いのをちょうだい! 早く! 早く早く早く!」
 喧嘩腰にまくし立てるのは、確か火羅という方だと、月心は思った。
 都でもなかなかお目に掛からないような美しい容貌、豊かな肢体を強調するように衣を身に着けていた。
 古寺に最近住むようになったという。
 彩花の親戚という話だが、多分、人ではないのだろう。
「せ、先生」
「はぁん!? あんた……ああ、月心さんね」
 今にも噛みつきそうな顔をしている。
 実際に牙が見えている。
 呼ばれたからには、行くしかなかった。
「湯飲み、ですか」
「そうよ、湯飲みよ。さっさと出しなさいよ!」
 店を壊しそうな勢いである。
 早く出してあげればいいのにと思う。
 のっぴきならない事情があるのだろ。
 人の生き死にを左右する――そんな切迫感と悲壮感を感じる。
「お金ならあるわよ!」
 どうも、その巾着が騒動の原因らしいと月心は見当をつけた。
 この辺りでは、貨幣よりも、物々交換が主になる。
 貨幣を扱っているのは、彩花ぐらいのはずだ。
「先生、これは、お金、なんだろうか?」
 都にいたからか、村の人達に尋ねられることが多々あった。
 住処に職まで世話してもらったのである。出来る範囲なら、喜んで答えていた。
「これは……」
「お金、でしょう?」
 火羅が、自信なく言った。
 月心は、一つ持つと、はいと答えた。
「ほら、ほらほら! さっさとよこしなさいよ!」
 ぐいと、締め上げていた。細腕にも、意外な力が入っていたらしい。店主の顔が紅潮した。
「わかった、わかったから、ほら、どれがいいんだ!」
「これ! これ頂くわ! じゃ!」
「あ、おい! 行っちまったよ。あの子、彩花ちゃんの親戚だよなぁ。彩花ちゃんとは、全然似てないな」
「そうですか?」
「おいおい、先生、全く違うよ。ああ、そうだ。これ、どれだけの価値があるんだ?」
「都に持って行けば……この店の品全部、楽に買えますよ」
 店主が、腰を浮かした。
「先生、冗談だろう?」
「いえ……この銅貨の質は、とても良いものです」
 ちゃりちゃりと、掌で鳴らす。良質の、しかも新しい硬貨は貴重である。
 この店ごと買い取っても、お釣りがくるだろう。
「そんな、そんなもの、俺は受け取れねぇよ。そんなもの受け取ったら、御狐様に食われちまう」
 狐と天狗と狼の話が、この辺りには多い。
 名物である油揚げの作り方は、狐が教えたという言い伝えもある。
 ほとんどが実話だと、月心は推測していた。
「あの子、もしかして、彩花ちゃんの物を勝手に持ち出したんじゃないのか。だったら……」
 彩花が村に降りてくる日は、決まっていない。
 それまで預かっているのは不安なのだろう。
「私が返しましょうか?」
「悪い、先生。あの子が怒られないうちに、こっそり返してあげてくれ」
「いいですよ」
 月心は、気楽に請け負った。
 大金を預けられる。
 それぐらいには信頼されている。
 村の人は、古寺には、あまり行きたがらない。
 どうやら、聖域だと考えているようだ。
 妖怪が住んでいることは、知らない。
 彩花のことは、符術と薬を扱える巫女ぐらいに思っていた。
 幼少の頃から知っているので、親しみ、敬っていた。
 太郎や黒之助はその従者で、葉子は従者頭か。
 月心は、村人よりも、彩花に近いのだろう。都にいた頃から、浮世離れしていると、よく言われたものだ。
「さて……」
 これぐらいかなと見当をつけ、巾着から銅貨を取り出す。
 残りを懐に仕舞い、古寺に足を運ぶ。
「ああ、沙羅さん」
 道すがら、頭に頭巾を巻いた少女を見かける。
 月心は、皿が渇かないようにするのは大変だと、のんびり思った。
 
 
 
 ふぅと、姫様は溜息を吐いた。
 門前である。
 掃き清められ、塵一つない。
 火羅は、まだ、戻ってこない。
 黒之丞のところに顔を出したようだと、黒之助が教えてくれた。古寺との間に、糸を張っていて、遣り取りが出来るらしい。ちょっと肌がぞわっとした。
 火羅と黒之丞に白蝉、今までにない組み合わせで、姫様は意外だった。
「一体何をしているのでしょうか」
 心配である。
 朝、ちょっと怒ったのが、いけなかったのか。
 でも、姫様だって、聖人君子というわけではない。
 気にしていることを指摘されたら、当たり前だが怒る。
「お腹の肉より……お腹の肉よりもー」
 ちょっとないのは自覚している。
 葉子や火羅や沙羅ぐらい……なんて贅沢は言わないから、もう少し欲しい。
「うん、ここが」
 ひらべったい。
 姫様は、箒を肩に担いだ。
 湯飲みを直してから、ずっと外にいる。
 掃き集める物がなくなって久しい。
 ここにいれば、誰かが古寺に来たとき、すぐにわかる。
「早く帰ってくればいいのに」
 怒って、ないよ。
「火羅さん……帰って、くるよね」
 心配になる。 
 火羅は、思い詰める性格だ。
 姫様への挑発的な言動は、甘えと弱さの裏返しだと思っている。
 強い人、だったのだろう。強くて、脆くて、一度折れると、なかなか元には戻らない。
 ある程度は、受け流せる。
 好きだから、にこにこと聞いていられる。
「お姉さんは、怒ってないから」
 そう言って、姫様は、息せき切って坂道を登り始めた火羅に、澄まし顔を見せようと思った。