小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~真ん丸姫様~

「おあげ、おあげ、油揚げ、っと♪」
 台所で気分良く唄うのは、見目麗しい妙齢の女。
 頭に狐耳、お尻に狐尾。
 どうみてもただの人ではない。
 そう、それは、妖怪であった。
 遠く天竺や唐で名を馳せた九尾の狐、玉藻御前に連なる女怪である。
 女怪――葉子は、ぴこぴこ耳を動かしながら、お鍋の中身をかき混ぜていた。
「葉子さん、葉子さん」
「はいさねぇ」
 むずむず、うずうず、ぱっくんと。
 我慢しきれず、油揚げをつまみ食いした葉子は、物陰からの声にぽろっとお箸を地面に落とした。
「葉子さん?」
 丸っとした小さな女の子。
 今にも転がりそうなほど着膨れしていて、白い肌がちょこんと見える。
 季節は初春。まだ、冬の凍しがあちこちに残る。暖かくなったと思ったら、雪交じりの雨が降る季節。
 寒いと言えば、いっぱい着せる。気儘に移ろう気候のせいで、風邪をひいたら堪らないと。
 この場所の住人は、万事が万事、女の子が第一であった。
「あ、ああ、姫様か。いや、気づかなかったさよ」
 平静を装い、お箸を拾う。
 八重歯の見える苦笑いは、動揺を隠すため。
 由緒正しき妖怪としての威厳はあんまりない。
 寧ろ、ない。
 思うところがあったのか、姫様はじっと葉子を見やった。
 何かなーと葉子が首を傾げると、いきなり両手を挙げて見せた。
「おあげ、おあげ、油揚げ♪」
 葉子を真似て、姫様が歌う。
 ついでに小さな手足も動かし始める。 
 舌っ足らずの歌とちょこちょこ踊りを堪能し、きゅーっと目を細めた葉子は、姫様を抱き上げた。
「あー可愛い! 可愛い可愛い! 食べちゃいたいぐらい可愛いさよ! ちょっとずるい、ずるいさよ!」
 ぷにぷにの頬に鼻をすり寄せる。
 思わず九尾の銀狐の本性が半ば露わになり、その細面にぶわっと銀色の毛が生える。
 姫様が、葉子さんの毛くすぐったいと笑う。
「ふぅ……いやぁ、いいもの見れたさよぉ。にひひ」
 だらしなく笑う葉子に抱かれたまま、姫様はお鍋の横の大皿を見やった。
「葉子さん、おあげですか?」
「そうさ、おあげさぁ。ふふーん、見よ、この油揚げを! 先祖代々……あーっと、お祖母様というか、何と言うか、すっごくえらい人に教わった味を、麓の村に教えて幾早々、ついに完成した我が至宝! 我が至高の逸品! ……まぁ、こういうのもあるって言ったら、勝手にここまで進歩しちゃったんだけどね」
「葉子さんが教えたんだ」
「そのお陰でお稲荷さんを奉るようになって……あたいは九尾だっつぅの。羽矢風のちんまいのにはちくちく言われるし。でも、そんなの問題無し! 美味しいおあげが食べられれば、いいよね。故郷の味だし」
「……はい」
「あー、今、わかってない顔したさね?」
「はい」
「素直でよろしい。はい、あーんして」
「あーん」
 姫様を下ろし、いなり寿司を一つ口に放り込む。
 出汁のしみた、黄金色のいなり寿司。 
 姫様の小さな口に合わせて、ころりと小さく作ってある。
「美味しい」
「そりゃあ、そうさ。これで、さっきのはなしさよ。口止め料口止め料」
「クチドメリョウ?」
「そう、口止め料。あたいがつまみ食いしてるの、見てたさよ?」
「……見てないよ」
 怖ず怖ずと、目を泳がせながら、言った。
 ばればれである。
「かーいい! ま、太郎だってクロちゃんだってやってるし、どうってことないさよ」
「うん!」
「……あいつら」
「や、やってない、やってないよ!」
「はぁ、姫様はぷにぷにさねぇ、柔らかいさねぇ、肌白くて綺麗さねぇ。まるっとして、ぷにっとして、まるで雪兎さよ。さてと、あたいはこの山菜達を料理しないといけないけど、姫様どうする? ここで遊んでく?」
「葉子さんを手伝います!」
 間を置かず、姫様は言った。
 姫様馬鹿である葉子が、じんと感動したのは、言うまでもない。
「あ……本当に、本当に、ありがたいけど、ちょっと今日の料理は危ないから、姫様には手伝ってもらえないさよ。ごめんね」
「そうですか」
 表情が、陰る。葉子は、よいしょと腰を屈めた。
「ん――どうしたさよ?」
「葉子さん、危なくないの?」
「……あ、ああ! あたいは危なくないさよ! これでも九尾の狐だしね! フキノトウやらコシアブラやら竹の子やらを、油で揚げると美味しいって聞いてね。せっかく姫様と皆で一緒に獲ったんだもの、美味しく頂きたいからさぁ。油がはねて、姫様の珠のお肌が火傷しちゃったらやだから、今日は台所にいちゃ駄目さよ」
「ふ、ふぇ、あの、あの、葉子さん、火傷しない?」
「なぁに、あたいは強いからね。妖狼の炎も、へっちゃらだったよ。大丈夫、大丈夫」
「葉子さんが大丈夫なら、はい」
 表情が、和らいだ。
「よっし、じゃあ、太郎……は、山行ったんだっけ。クロちゃんと遊んできな」
「はーい!」
 ぽてぽてと、姫様が台所を出る。
 葉子はにへーっと表情を崩し、
「いい子さねぇ。にしても、あんなに丸々してたっけ?」
 と、言った。
 
 
 
 修験道の衣装を着た男が、書物の山を前に、うんうんと唸っている。
 あんころ餅を摘み、一口で頬張ると、険しい表情をさらに険しくする。
「ぷはー」
 沈黙に耐えきれず、積み重なった書物の後ろから、姫様が顔を出した。
「ぷはー? って、姫さん? 何時からこの部屋に?」
 黒い羽を背中に生やした男。人ではない。天狗の眷属、鴉天狗である。
 名を、黒之助という。
 険しい表情を緩めた黒之助は、何時の間にと驚いていた。
「あのね、葉子さんが、おあげで山菜で危ないから、黒之助さんと遊びなさいって」
 するすると膝の上に乗った姫様を、黒之助は覗き込んだ。
 首を捻り、姫様の言葉を反芻する。とりあえず、自分と遊びたいということはわかった。
「……ああ、なるほど。しかし拙者も、と、まずは姫さん、お一つ」
 あんころ餅を一つ、姫様の前に差し出した。
「いいの!」
「いいでござるいいでござる、遠慮することはないでござるよ。いっぱい食べていっぱい遊んで、あーっと、ほ、程々に学ぶがよいでござる」
 黒之助が、苦笑した。
 姫様に張り合おうという気持ちを持った自分が、ちっぽけに思えたのだ。
 こと学問ということに関して、姫様はとても優秀なのである。
「うにゅー」
 噛むと、伸びた。
 柔らかさも甘みも絶品である。
 遠出しないと手に入らない、さらには数量と期間も限定の、密やかな逸品である。
「拙者も姫さんと遊びたいのは山々なのですが、頭領に頼まれ事がありましてなぁ」 
 伸びた伸びたと笑う姫様の口の汚れを拭い、さてと考える。
 二つしか手に入らなかったあんころ餅だが、姫様と分け合うなら黒之助も満足である。
「私がお手伝いします」
「……姫さんの方が出来がいい時もありますからなぁ。前は、ばれて怒られましたし。いや、あの落書きは仕方ありませぬか」
 姫様が、しゅんとなった。
「なに、拙者の精進不足でござるよ。はっはっは、はー。そういうことでござるので、拙者も遊べませぬよ」
「えー、お空に行きたいのです!」
「……たかが紙切れ、この無垢な姫君の申し出を断る理由になろうか! いや、ない! しかし、頭領は怖い。何故受け申した、二週間前の拙者。真に愚か也」
「やっぱり、お手伝い」
「姫さん、駄目なのですよ、っと。おぉ、少し大きくなりもうしたなぁ」
 脇を抱えた黒之助は、空の代わりにと姫様を高く挙げた。
「黒之助さん……」
「ふむ、これは、葉子殿お手製の皮衣でござるな。こやつはなかなか手強かったですなぁ。太郎殿が余計なことをしなければ、もっと早く狩れたのに、いや、懐かしい。茶色い衣を着ると、まるで、そう、葉子殿の好きないなり寿司のようですな」
「今日のご飯は、おいなりさんだよ。さっきね、一個もらったの。とっても美味しかったよ!」
「よかったでござるな。太郎殿が、もうすぐ帰ってくるでござるよ。門のところで出迎えれば、あの駄犬も喜ばれるであろうよ」
「太郎さん、遊んでくれるかなー」
「なぁに、あの御仁は暇を持て余していますからなぁ。もし姫さんを悲しまるようなら――ぶんなぐってやります。力いっぱい」
「喧嘩しちゃ駄目! メなの!」  
「御意、御意。ふむ、寒さ対策は万全でござるな。では、行ってらっしゃい」
「はーい! 黒之助さん、喧嘩、しないでね」
「うむ。拙者からはしないでござるよ。拙者からは……それにしても、大きくなっておるのだなぁ」
 
 
 
「お、姫様じゃねぇか。どうした?」
 革袋を背負った少年が、てくてくと門に向かって歩いていた。
 大きな白い尾を、腰から生やしていた。
 小妖達と戯れていた姫様は、その姿に気づくと、てとてとと近づいていった。
「えっとね、葉子さんがお料理で、黒之助さんが宿題でね、太郎さんと遊んできなさいって!」
 嬉しそうに、少年が笑みを浮かべる。
 少年は、狼の妖怪である。にっと口を開くと鋭い牙が見えた。
「おお、遊ぶ遊ぶ! 何して遊ぶ!? っと、その前に、姫様にお土産だ」
「お土産?」
「本当は、もっと大物狙ってたんだけどな。ごめんな、姫様」
 革袋から取り出したのは、大きな葉でくるんだ何か。
 姫様は、不思議そうに首を傾げた。
 香ばしい、良い匂いがする。
 そっと受け取ると、開けていい? と、太郎に尋ねた。
「いいぜ。こいつは、姫様の分だから」
 開ける。お肉、であった。骨付きの腿肉を焼いていた。表面に、塩がまぶしてある。
「今日は兎一匹しかいやしねぇ。まだ、寒かったか」
 きらきらとした目で、姫様が太郎を見上げる。
「食べて食べて。こいつは、姫様の分だもの。美味いぞ。味は、俺が保証する!」
 がぶりと、豪快に――小さな口で、噛みついた。
 じゅわっと、油が口の中で溢れる。
 きちんと皮を剥いていて、臭みも少ない。
 冬の美味、であった。
「うま、うま」
「へへ、喉に詰まらせるんじゃねぇぞ……ん?」
 はむはむっと食べる姫様を、太郎は抱え上げた。
「あー? 姫様、こんなに丸っとしてたか? なんだか、あんころ餅みたいだなぁ。あの野郎、わけてくれなかったけど。けちなんだ、あいつ」
「丸っ?」
「着膨れ……いや、着膨れもあるけど、何だか目が細くなったような……」
 ほっぺをつつく。
 赤子のように柔らかい。
 ぷにぷにぷに。
 癖になる。
「……あ、やべぇ」
 頭領が出かけて二週間。
 普段は止める翁がいない。
 だから、好意の赴くまま、姫様に食べさせて――三食に夜食、おやつ、つまみ食い。
 正しく暴飲暴食、育ち盛りと言っても限度がある。
「いや、葉子や黒之助が……な、なぁ、姫様。葉子や黒之助から、今日、飯もらったりしたか?」
「葉子さんはおあげを、黒之助さんはあんころ餅をくれました。とても美味しかったです。太郎さんのお肉も、美味しいです!」
「……あー、これ、明日説教だ。よっし、姫様、隠れん坊、は本気で見つからないから、鬼ごっこしようぜ鬼ごっこ! 姫様が鬼な!」
 もしゅもしゅ。
「はぁ、まぁ、いいや。ゆっくり食べな」
 仕方ない。
 姫様には、いっぱい食べさせてあげたくなるんだよなぁと、太郎は思った。
 太郎の考えを知ってか知らずか、真ん丸姫様はゆっくりと、お肉のお味を堪能していた。