古のお化け文筆家(民俗? 宗教? 粘菌? 妖怪!)
ちょっと巷で話題になった青空文庫のお話でもお一つ。
と言うのも、二月の野郎があっちう間に逃げ去り、何故か三月君がお目見えしてしまいましたのです。非常に困ったもんです、はい。
でもね、季節の変わり目変化の季節!
文化的な話でもしてかしこそーな雰囲気で漂わせてみませう。
いざ、知的ブログへの道!
賢者!
隠棲!
隠者!
ん?
さてさて、さあてさて、まず真っ先に述べませう、青空文庫とは如何なるもの也や?
端的に申しますと、著作権の切れた文章あれこれを電子化している有り難い場所です。
これで絶版になってしまったあんな名作やこんな佳作がPC上で読めちゃうかもしれないわけです。
電子化は有志の皆々様によって行われているので読みたい作品があってもあしからず。
無償の活動、ボランティアなのです、感謝しながら読ませて頂きませう。
いわゆる妖怪大好き水木一派にとっては大変な御仁、神様仏様飯の種ゴホンゴホンなのです。
水木先生も京極先生も荒俣先生もその他諸々、東方シリーズだって、うちだって、知ってか知らずか、この人の流れを組んでしまうわけですなー。
文明開化ともてはやされた明治の世に、芥川や漱石によって妖怪絡みの作品が生み出されたのは柳田先生の力が大きいでせう。
一般的な民俗学の開祖でありますね。
あっちやこっちにある御伽語りや日々の暮らしを後生に伝える、その筋道を立てた人です。
それまでは学問として認められてなかったんですなー。
ドンパチやどろどろ政治は研究対象になっても、民の暮らしぶりまでは目がいかなかったのです。
そんな柳田先生の作品はここ!→柳田 国男
あの遠野物語だって読めちゃうよ!
素朴な語り口――柳田先生が大いにスパイスまぶしてますが。
青空文庫にある妖怪ものは柳田先生だけじゃねーです。
柳田先生に対抗したあの御仁……そもそも、目指してるものに違いがありすぎましたが。
迷信の打破という側面が強かったのかな。
柳田先生は妖怪があるとして、それが人の世の何を現すのか――神の成れの果てだったりね――そういうことを考えたようです。
この人は、違います。
妖怪――正体みたり枯れ尾花、その現象の原因を突き止めようとしたのです。
やってる人の深層心理が不随意運動だよ!(乱暴)
この人の作品、さ、作品? そもそも、作家性はないよなぁ。えっと、論文もあります→井上円了
柳田。
円了。
とくると、次に来る名前は――京極シンパの方々はもうおわかりでせう。
そう、あの人です!
明治でお化けで博物学者といえばあの人ですよね!
南方熊楠!!!
鏡花じゃないよ!
地元だもの!
粘菌だよ!
変人、うむ、変人。
そういや、この人の家見たわー、熊野古道沿いにあったわー。今度ちゃんと見に行こうっと。
マッチ箱に入れた粘菌を天皇陛下に進呈し、喜ばれた話は有名。
うむ、面目躍如、波瀾万丈。
というわけで最後です。
明治生粋のお化け作家。
上の三人は作家ではなく学者というのが正しいのでせう。
でも、この人は違います。
江戸、そう、江戸の匂いを残した幽の文豪、泉鏡花。
天守物語なんかは妖怪ものでよく元ネタにされますね。
凝りに凝った、綺麗な文が特徴です。
舞台。天守の五重。左右に柱、向って三方を 廻廊下 ( まわりろうか ) のごとく余して、一面に高く 高麗 ( こうらい ) べりの畳を敷く。 紅 ( くれない ) の鼓の緒、処々に蝶結びして 一条 ( ひとすじ ) 、これを欄干のごとく取りまわして柱に渡す。おなじ鼓の緒のひかえづなにて、向って右、廻廊の奥に 階子 ( はしご ) を設く。階子は天井に高く通ず。左の 方 ( かた ) 廻廊の奥に、また階子の上下の口あり。奥の正面、及び右なる廻廊の半ばより厚き壁にて、広き 矢狭間 ( やざま ) 、 狭間 ( はざま ) を設く。外面は山岳の 遠見 ( とおみ ) 、秋の雲。壁に出入りの扉あり。鼓の緒の欄干 外 ( そと ) 、左の一方、 棟甍 ( むながわら ) 、並びに 樹立 ( こだち ) の 梢 ( こずえ ) を見す。正面おなじく 森々 ( しんしん ) たる樹木の梢。
天守物語冒頭。声に出して読むとよりいいでせぅ。文としての見た目も音としての響きもこだわった人です。
そして――ワンパターンと誹られようと、怪談ブームが過ぎ去ろうと、その芸風を変えなかった人です。
この辺りが幽関連のメジャー所でせうか。
お化け妖怪に興味がある人は是非ご一読下さいな!
残念、三国志はまだでしたー。
でも宮本武蔵は読めるよ。
というわけで、当ブログに関係ありそうな大先生の紹介でございませう♪