小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~姉妹問答~

 人が増えたことで、それなりに気苦労も産まれると身構えていたが、せいぜい火羅と朱桜の諍いぐらいのもの。大人数で騒がしかった小妖達と暮らしていたからか、新しい生活にもすぐに慣れることができた。
 ただ一人。
 双子の姉を除いては。
「お悩み事なのですか?」
「ん――少し、考え事を」
「今日の夕餉のことですか? それともあの阿保犬のことですか?」
 膝の上の朱桜にめっと言い、ふぅと溜息を吐く。
 姉と顔を合わせた数は多くない。
 行先を告げず、ふらっとどこかへ行ってしまう。
 どこに行くのか火羅も把握はしていないようだ。
 知りたいという気持ちはあるが、深く知ろうとするのは怖いらしい。
 あなたなら大丈夫。
 でも、あの人は、ね……。
 わかるでしょう?
「わかりませんよ、私にも」
「はい?」
「姉様は……何を考えているのでしょう?」
「彩華という人のことですか?」
「私のことを厭うているのでしょうか」
「どうでしょう。彩花姉さまに敵意はなさそうなのです。敵意があるなら……私が容赦しないのです」
 また、めっと言う。小さくても朱桜は鬼の王の一人娘。本気になれば大変なことになる。
 力の扱いが上手くないとは黒之助さんの弁。大人びた物言いをしていても、まだまだ幼いのだ。
 そう、朱桜の言う通り、姉に敵意は感じない。
 敵意どころか、何を考えているのかすらわからない。
 それが、怖い。
 姉がどれだけ外に出たかったのか、勝手に結界の礎とされたことをどう思っているのか、自分は何もわからない。
 姉が罵ってくれれば、どれだけ良かっただろうか。
 この場所で皆に慈しまれている間、姉には何もなかったのだ。同じ双子でも、姉と自分では、育ち方に大きな差があった。
「いえ、そうとは限りませんが」
 姉は時々外に出ていたようだ。
 自分以外の皆が、その存在に薄々感づいていたらしい。
「あまり火羅さんのことを言えませんね。私も同じようなものですか」
 恨まれているだろう――そう思うと、前に立つ勇気も失せる。
 心配なのだと、その一言がどうしても言い出せない。
 かつんと爪を噛む。
 こほっと、二度、三度と、咳をした。
 塗り絵をしていた朱桜が、素早く首を巡らした。
「……根を詰めすぎるのはよくないのですよ。お加減を治すのが先なのです」
 昔のように、少し身体が弱くなっただけ、過保護がすぎるというものである。
 それでも、朱桜に心配をかけすぎるのもよくないと、大人しく床につくことにした。
 とんとんと、葉子の様に布団を叩いてくれた。
 一緒に寝ると誘うと、少し考えて首を振った。よく眠れるように歌を歌うのですと胸を叩いた。
 大人びた子守唄が心地よかった。
 しばらく耳を傾けていると、次第に胸の苦しさを忘れ、いつしか意識を手放していた。  
 
 
 
「何ぞ、妾が心配をかけたか?」
 風を感じた。
 目を開けると、自分がいた。鏡の前にいるのかと思った。
 深い隈に蒼白い肌、薄い身体に張り付いた黒い衣、盃を傾け、歪な笑みを浮かべる少女の姿に、ああ、違うと思った。
「姉様……姉様?」
「おう、ここにあるのは彩華よ。誰でもない、彩華ぞ」
「お帰りになられたのですね」
 彩華は、不思議そうな顔をして、帰ったのかと言った。
 それから、うん、帰ったのだと、確かめるように言いなおした。
「……そう、帰るなり、あの子鬼がえらい剣幕での。お前に心配をかけさせるなと散々わめきたておったわ。全く、あの子鬼の保護者っぷりにも拍車がかかってきたの。どっちが姉なのかこれではわからん」
 盃に姉は口をつけた。どうやら夜酒を楽しんでいたらしい。
 先ほど感じた風は、開け放たれた縁側から入ってきたようだ。
 春が過ぎ、夏が近づき、風に心地よい温もりがあった。
「すみません、その、朱桜ちゃんを怒らないでください」
 身体を起こし、姉と向かい合った。
 気だるげに身体を捻っていた姉は、皮肉げに唇の端を吊り上げ、黒い着物を翻した。
「怒る? 怒りはしないさ、戸惑うたがなぁ。そなたに、それほど心配をかけていたのか?」
 お前と言ったり、そなたと言ったり、姉の言い方は安定しない。
 まるで迷っているようだった。
「ど、どこに行ったのかと……」
「妾は子供ではないのだ、いちいち言うものか。それとも何か? お前に対して、妾は何もかも言わなければならないのか?」
「そのようなわけでは……ただ、心配なだけで」
「いらぬ心配よなぁ……」
 ねっとりとした口ぶりだった。
 姉の機嫌を損ねたらしい。
 小さくなり、姉から視線を外した。
 きっと姉は、憎んでいるのだ。特に、全てを押し付け、のうのうと生きてきた自分を。
「お前は最初から、妾のことを姉様と呼んでおるな」
「はぁ」
「妙な話じゃ。妾はそなたのことを憎んでおったのに、そなたは姉という」
「やはり、憎んで」
「……同じ存在であったからなぁ。同族嫌悪というものか。双子であるし、同じ体を使っておったからの」
 血の繋がり、いや、魂の繋がりか。
 姉だけは、特別な家族であった。
 だから不思議で怖いのだ。どう接したらよいのかわからない。
「今でも、同じ顔と火羅は言う。そんなに似ているものなのか」
「似ていると思います」
 姉が、頬に触れた。爪の伸びた指はひんやりとしていた。
 指をたてられると思ったが、姉はすぐに離した。
「お前も言うなら、そうであろうよ」
 くつくつと、姉が嗤った。
「お前は、妾のことを憎んでいるか?」
「まさか!」
「ふぅん」
 くつくつと、姉はまた嗤った。
「妾は、外の世界をよく知らぬ」
 背筋を伸ばし、居住まいを正す。
 胡坐を掻いたままの姉は、じっと盃の水面を見つめていた。
「お前の中にいたときは、ほとんど夢現であった。時々、お前が見ている世界を垣間見たが、それが何なのかよくわからなかった。はっきりと確たる意識を持ったのは、お前があの狼を助けてからじゃ。お前の見る世界は、妾の見る世界になった。時折、外にも出られるようになった。もっと知りたいと思ったが、お前はあまり、外出を好む性ではなかった」
 古寺を出ることは、あまりなかった。
 せいぜい、麓の村ぐらいである。
 出不精というか、何というか……それぞれに傷があり、出歩くことをほとんどしない妖達だった。
 葉子は、九尾の里に自分を連れて行きたくはなかっただろう。
 黒之助は、天狗の山に自分を連れて行きたくなかっただろう。
 太郎が、妖狼の村に行きたいと考えたことはなかっただろう。
「せっかく現の身体をもろうたのじゃ。好奇心を満たそうと思うのは、悪いことではあるまい」
「わかります」
「本当にわかっておるのかの」
「本当です、姉様」
 深く頷いた。姉が自分と話してくれる、それだけで嬉しかった。
「姉様か……何だかこそばゆいの」
 姉が少し顔を下げた。
 照れていた。
 姉も、照れるのだ。
「照れてなどおらぬぞ」
「はい」
 思ったことが顔に出たのだろうか。
 姉は拗ねたように口を尖らせていた。
「……照れてなぞおらぬからな。妹が姉のことを姉様と呼ぶ、それに何の不思議がある」
 盃を傾ける。やっぱり照れ隠しにしか見えない。
「はい」  
「妾は……良い女ではあるまい。気侭で、我儘で、それなりに強い、たちの悪い女じゃ。そんな姉を持ってしまっては、妹にも迷惑をかけるじゃろうが、諦めよ」
 姉の横顔を見つめる。
 少し顎を上げ、黒髪を風に靡かせていた。
 黒く染まった目が妖しく光っている。
 人ではない。
 あやかしなのだ。
「この世には、聡いお前も知らぬ場所がたくさんある。美しい場所、面白い場所、怖い場所………様々な場所で、戯れようぞ」
 見惚れていた。ぼぉっと見ていると、姉は眉間に皺を寄せ、立ち上がった。
「興が醒めた」
「あ、あの」
「別に、彩花のせいではない。随分と躾の宜しくない鼠共がおる。後で仕置きが必要であろう。さぁ、そろそろ、横になったほうがよい。あの狼も心配してるでな」
「太郎さんが」
「妾のことを心配するな――そう念を押しても、出来の良いお前は心配するであろうが」
 強い風がふき、姉の姿が夜気に消えた。
 しばらく、姉のいなくなった縁側を見つめた。
 夢だったのだろうかと思った。
 姉と古寺で話したことは、ほとんどないのだ。
 姉は、我儘だと言っていたが、自分だって我儘だ。母親がいて、妹がいて、太郎さんがいるのに、さらに姉を欲するのだから。
 欲が、夢に出たのだろう。
 そう思っていると、縁側の柱に目が留まった。
 盃が一つ、落ちていた。