あやかし姫~お風呂日和~
「お風呂をどうにかしたいですか」
姫様は、そう、縁側に座る彩華に言った。
「この人数では手狭になっておる。妾は待つのが嫌いでな。それに、男女共用なのも気にくわぬ」
姫様に始まり、頭領、太郎、葉子、黒之助、彩華、火羅、朱桜、美鏡、稲荷の姫、これで十人。
近在に住む黒之丞や白蝉、なずなや沙羅、月心がお風呂を借りに来ることもある。
風呂というものは珍しい。このあたりで備えているのはこの古寺だけである。
古寺の住人に近在の人々、さらにあちこちから訪れる方々を考えると――お風呂が手狭というのも頷ける話だった。
「彩花は、太郎と一緒に入れる方がよいのかもしれぬが」
「ね、姉様? 私はいつも、太郎さんと一緒に入りませんよ?」
幼少の頃ならさておき、そんなことは滅多にない。
お風呂場で、狼の姿になった太郎を洗ったことは何度かあるが……あ、裸だった。
素知らぬ顔の姫様だが、その耳はほんのりと色づいていた。
「妾は火羅とよく入るぞ」
「……はぁ」
自慢げに言う彩華に、姫様は困った顔を浮かべた。
とりあえず、真っ赤になった火羅をなるべく見ないようにする。それが優しさというものだろう。
「そうさねぇ、手狭だっていうのは確かさね」
ふよふよと浮かぶ白尾の毛繕いをしながら、葉子が助け舟を出した。
「五人だったころと比べると、随分と賑やかになったもんさ」
しんみりとする葉子は、頭領と二人きり――小妖達もいたが――で暮らしていたことがある。感慨もひとしおなのだろう。
「彩華さんはあんまりここにいないのですよ」
「じゃが、たまにはおるでな。お主もかみなりの小童や喧しい烏天狗と一緒に入りたい口か?」
「わ、私は、光君や黒之助さんと一緒に入りたいわけではないのです! たまには、入りますけど」
朱桜が口を閉じる。
黒之助は、それがどうしたと首を傾けていた。
「太郎と黒ちゃんはどうさよ?」
「拙者はいかようにも」
「クロは烏の行水だもんな、風呂には関心ないだろうよ。俺は、待つのは嫌いだ」
「美鏡さんは?」
それまで黙っていた稲荷主従に、姫様は話を向けた。
「どうします、主?」
「その……い、居候だし。あの、決まったことに従います」
稲荷主従は遠慮がちで慎ましやかに暮らしている。居候という認識があるようで、以前、白蝉の大事な琵琶を盗んだことも気にしている。それでも、打ち解けてはきた。稲荷の末姫はよく、太郎の頭の上で日向ぼっこをしていて、姫様は微笑ましくその様子を見ていた。
いつか、白蝉ときちんと話する場を設けられればと、姫様は考えていた。白蝉にわだかまりはないのだ。それとなく話を向けると、あれがきっかけで結ばれたのですねと惚気られただけだった。
「そうですね……やりましょうか」
姉の言葉は一理ある。
男衆を待たせていると、おちおちお風呂に長く浸かっていられない。
「うむ、では」
「明後日にでも直してしまいましょう」
「急な話ね。材料やら大工やら、時間も費用もかかるんじゃないの?」
火羅が目を見開いた。
「この場所に掛けられている術式なら、私でも使えますし……改めるのはそう難しくありません。難しいのは、どう改めるかではありませんか?」
ああと、火羅が頷く。古寺に施された術に、色々と振り回された経験があるのだ。
強い力を持つ妖怪が暴れても問題ないようにと頭領が術を掛けている。復元を第一とする術式に手を加えば改修も行えるはずだ。
「それもそうね。各々考えもあるだろうし」
「火羅の考えはくだらないので却下なのです」
「この糞餓鬼!」
「餓鬼じゃないのです、半鬼なのです」
「小童、あまり火羅に絡むでない」
「古い姉様……捻り潰されたいのですか?」
「おお、そんなに小さいのに、まだ縮まり足りないというのか?」
彩華と朱桜が睨み合い、火羅がおろおろしだした。
誰にだって人の好き嫌いはある。これだけの人数が集まってしまうと、色々と複雑なのだ。
「はい、二人とも、姉妹で喧嘩しないの。各々で意見をまとめて、図で記してください。それを基にして、明日また話し合いましょう」
どうせ図は必要である。その方が頭の中に情景を浮かべやすい。
「姉妹……」
「姉妹?」
「私の姉様に、私の妹……となれば、姉妹でありましょう?」
「そうなると、火羅はそなたの義姉になるのか」
「ちょ、ちょっと、彩華さん、はい、はい、口を閉じて!」
「こう、ぎゅーっとして、どーんが良いのです! お風呂場だって、楽しい方が万々歳、光君だって白月ちゃんだって興奮すること間違いなしなのです!」
「……却下」
「うわーん!」
なるほど、好みは人様々だしかし、もう少し考えてくれないだろうかと姫様は思った。
お風呂の図面を描いて欲しいと頼んだのに、お風呂のおの字も出てこない。
朱桜に至っては完全に遊び場である。
勝ち誇る火羅だって、酒池肉林の図を持ってきて、これは彩華さんが! と人のせいにしていた。
「風呂場を大きくして、二つにするだけでいいんじゃね?」
「そうですね……そうしましょうか」
太郎の至極まっとうな意見に、救われた思いである。
一通りの案を見たが、なかなかしっくりこなかった。
お風呂場の改修は、広く知れ渡っているようだ。黒之丞が図面を描いてきたのは思いがけないことだった。露店風呂が良いといい、虫が食べやすいと付け加えた。悪くはないが、とりあえず却下した。
「よろしいですね」
皆が頷く。
珍しく、やまめさんもきていて、あの、うちの宿よりも、良いのは、その違うんです、取られるなんて思ってないんです、でもと、ひとしきり騒いでいた。
「では……始めます」
頭領のように――古寺に張り巡らされた結界に、手を伸ばす。
そこかしこに浮かび上がった呪言を、姫様は動かし始めた。
音曲を奏でるように、字面を描くように、織布を紡ぐように――皆が見惚れる中、一心に古寺を造り替えていった。
「ま、お風呂に入れればいいわけよね。彩花さんにしてはなかなかいいじゃない」
「少し大きくして、二つにしただけですから」
形は何も変わっていない。
「彩花姉様はさすがなのですー」
のぼせ気味の朱桜をよいしょと外に出す。
姫様はまだまだ浸かっていたかった。
「胸の傷は、どう?」
「塞がるのかどうか」
じくじくと軽く痛む。九州で身に余る力を使ったからだろう。
姫様は、いつも曖昧に濁しているが、この傷痕が治ることは恐らくないだろうと考えていた。
「そのうち、見えなくなるのかもしれませんね」
火羅が、ぴんと耳を立てた。
「私達が、ってこと?」
さすがに、火羅は聡い。
「頭領の結界が壊れて、彩華姉様もいなくなって、残ったのはただの人ですから」
「ただの人が、これだけたくさんの妖怪達と、同じ建物で過ごしているものかしら」
「それも、そうですね」
「あなたが、妖怪を見えなくなることはないわ。この私、火羅が保障してあげる。……絶対、嫌よ。そんなの、嫌だからね。私は、許さないからね」
「質の悪い冗談でしたね」
火羅に、謝る。
力の衰えはあった。
そのうち、見えなくなるかもしれない。だから、口にしてしまった。皆は、悲しむだろうか。
「お風呂は、いいですね」
「うん」
火羅の背中の傷は、綺麗になくなっていた。豊かな胸の下側に、花弁の様な痣が残っているだけだ。
ほんのりと赤らんだ火羅に、出ましょうかと声かける。
長々と――最初から最後まで、浸かっていた。
なるほど、男衆を気にせず入っていられるのはありがたい。一体、どれだけ入ることができたのやら。ふやけはじめた指先が、面白く感じる。
鈴鹿御前や葉子が、入れ替わり立ち変りする様を、お風呂に浸かったままずっと眺めていたのだ。
「早く、傷が治るといいわね」
「私は、気にしてないけど」
「ねぇ、お風呂、長すぎじゃない?」
「私は、もう少し入っていてもいいけど」
「……呆れた」
以前の癖が直らないのか、火羅はなるべく人目につかないようにお風呂に入ろうとする。
それでも、朱桜がいても大丈夫なあたり、慣れてはきていた。
いつか、やまめの宿に連れ立っていけるだろう。
「私は出るけど、あなたはどうするの?」
「一緒に出ます」