小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~猫(3)~

「お主は、検非違使が怖くないのか?」
「私が何かを恐れるように見えるか?」
「……否でござるな」
 買い被らないでくれと、なずなは言った。
「綱姫は怖い。あとは、金時だな。お前も知っている通り、相手にするのが面倒だ。しかし、検非違使全体を見回せば、怖いと思わせる者はそうはいない」
 黒之助となずなは、盃を酌み交わしていた。
 古寺にある、黒之助の部屋の中だ。なずなが訪れたのは初めてである。
 部屋を見たいとなずなが言い、避けられていると感じていた黒之助は少し考えてから了承した。
「案外に整理されているな」
 部屋を大きく占める書棚の中は、整然としている。他にも棚は幾つかあり、呪具の類や菓子が詰められている。書見台の上には、写し途中の書物があった。
「これも頭領の教え。それに、姫さんに悪い影響を与えたくはないでござる」
「柔らかくなったな。黒之丞もそうだが、二人とも、ずっと柔らかくなった」
「そうでござるか?」
 なずなは、寂しげに頷いた。
「二人とも少し遠くなったと思う。黒之丞とは、久しく会っていなかったが。ああ、そうだ。黒之丞が捕えられた原因を覚えているか?」
「封じられた宝玉を得ようとしたことか? 意識を呑まれたまま、ここまで来てしまったが」
 宝玉に意識を乗っ取られたまま現れた黒之丞を、正気に戻したのが黒之助だった。その後、旅をしていた黒之丞は、白蝉という連れ合いを見つけてふらりと現れた。今は、刃矢風の命の社守として落ち着いている。
「……意趣返しを、してしまった」
「うん?」
「滝夜叉――私は、あの鬼の娘が、酒呑童子の娘ではなく、殺された黒夜叉の娘だと気づいていた」
「なずな殿と組んで、鬼ヶ城を襲った半鬼か」
「怒るなよ」
「……朱桜殿はもとより、姫さんもいたのだ。葉子殿や太郎殿や火羅殿だっていた。怒りもしよう」
 そう言って、黒之助は続きを促した。
「そうだな、黒之助は、あの件のことをどこまで知っている?」
「断片的にでは。それに、チーという大陸の大妖が操っていたと」
 詳しくないのだなと、なずなは言った。
 これは、私が知っている限りのことで、全てではないが――そう言ってなずなは、切迫した表情を浮かべた。
「そもそもだ、まずは私の果たした役割から告げる。説明は上手くないから、さっきと同じように、わからなかったら聞いてくれ。鞍馬の大天狗様の命で、増長していた天狗達を引きずり降ろすための仲間を私は集めていた。白天狗である私は、特に目の敵にされていたからな。黒之助に守られていたのだと、しみじみと思ったものだ」
「なずな殿は、昔から強かったではないか」
「私は、ある程度自制できる。自制してしまう。だからだろう、理不尽な目にあっても、つい耐えてしまう。きっとお前なら、有無を言わさず暴れているだろうことでもな」
「拙者は短気ではない」
「いや、三人の中で、お前が一番短気だった。話を戻そう。天狗だけでは埒が明かないと思って、あちこちの妖怪にも声をかけた。しかし、どいつもこいつも口だけが達者の意気地なしだった。そんな時だ、同じように仲間を募っていた滝夜叉と出会ったのは。既に南の妖狼達と行動を共にしていた。美侯王を傍においてな」
「あの御仁は、どういう方だったのでござるか?」
 黒之助は、滝夜叉のことを詳しく知っているわけではなかった。姫様達と別行動をとっていたのだ。
酒呑童子の娘と、出会った時から名乗っていたよ。最初に手合わせをしたが、腕は悪くなかった。美侯王を遣えばかなりのものだ。でも、それだけだったよ。私は、大妖の子にしては随分と小粒だと思った。それに、寂しいのだろうなと思った。ちょうど母親を亡くしたばかりで、その遺言に従い鬼の王に会いに行ったのに、門前払いされたそうだ。さりとて伝手を頼ろうにも、人の母一人、半妖の子一人で、知り人はほとんどいなかったらしい。私と会ったのは、偶然――ではなく、金咬が仕組んだことだろうと今ならばわかるが」
 滝夜叉、美侯王、金咬――三人とも、大乱の末に死んでいる。
「偽物だろうが何だろうが、戦力は喉から手が出るほど欲しかったし、鬼に戦を仕掛けるというのも都合がよかった。天狗だけが混乱するよりも、鬼も混乱する方が、ずっと仕事がやりやすい……どうした、幻滅したか?」
「少し」
「お前は、鬼と親しいのだから当然だろう。私はな、黒之助。ずっと三人で一緒にいられたらいいと思っていた。無理矢理に許嫁と決められたが、あの関係はとても心地よかった。だから、黒之丞が馬鹿な真似をして、お前が修行のためと出されて、私がどれだけ絶望したか。そして……そもそも、あの宝玉が、何の為に生み出されたか知っているか?」
「あの宝玉は、禁忌の術で生み出された天狗の至宝と」
 なずなは、黒之助の台詞を遮るように身を乗り出した。
 熱を帯びた目には、何かに憑かれているような妖しさがあった。
「あれは、元々鬼の宝だ。先代の西の鬼の王が、東の鬼を統一しようとしていた悪路王に対抗する力を得るため産み出したのだ。先代亡き後に封じられていたそれを、力を求めた黒夜叉が盗み出した。黒之丞は、黒夜叉が盗み出したときに、たまたまそこにいただけだった。そして、宝玉の魅力に狂わされた状態で、犯人に仕立て上げられたのだよ」
 ぴきりと、黒之助が持っていた盃に、ひびが入った。
「どうした、阿修羅にでもなるつもりか? 警護をしていた天狗達は、そのことを知っていた。しかし、保身のために犯人をでっち上げたのだ。鬼に盗まれたとなれば、大問題だからな。黒之丞を捕えて良しとした。黒夜叉は後々、茨木童子と並ぶ側近となり、宝玉に狂い謀反を起こして死んだ。私はね、黒夜叉のことを知っていた。何時か殺してやろうと思っていたから、調べていたんだ。滝夜叉にはその面影があった。よくよく探ってみると、滝夜叉の母の許に通っていた男は鬼の王と名乗っており、酒呑童子とは名乗っていなかった。酒呑童子は、鬼であることを隠して通うのが常だ。正体を晒すときは、身分も名前も告げている。滝夜叉に残した母親の遺言は、鬼の王に逢えというもので、酒呑童子に逢えではなかった。多分、黒夜叉という男は、滝夜叉の母の前では、己の野望を露わにしていたのだろう。あの娘は、どこか鈍かった。いや、思いこまされていたのかもしれないな。チーという男の意志が働いていたに違いない。金咬は、チーの尖兵として出雲でも重要な働きをしていたし、九州で起こったことを考えると、大陸の強力な妖怪に悪神、怨霊の複製はチーの十八番、美侯王は偽物だった」
「止めなかったのだな」
「黒夜叉は殺せなかった。ならば、天狗達と、鬼の王の娘を騙る滝夜叉を、一網打尽にできれば溜飲も下がると思ってな。金咬達の助力もありがたかった。でもね、黒之助。滝夜叉は、悪い奴ではなかった。愚かなで馬鹿で寂しがり屋で、ただ、甘えたいだけの、無垢な娘だった。自分に向けられている悪意に、全く気づかないのだ。無邪気に、同士ができたと喜んでいたのだ。朱桜の存在を知ると、真面目に悩んでいるのだ。きっと、父親と叔父に騙されているんだろうって、酷い目にあわされているんじゃないかって。本当に、哀れだった。茨木童子を倒したときは、大変な喜びようだったよ。これで、父親に認めてもらえるはずだって。私は、もう、あの子を止められなかったよ。傷を負い、力の衰えた茨木童子を何とか倒したことに喜んでいることも、弟を傷つけられた兄の気持ちを考えられないことも、酷く滑稽だった。一人で寂しがって、ついには自分で定めた妹に嫉妬して、私と歩調を合わせ鬼ヶ城を襲った。結局失敗して、金咬に殺されてしまったよ。本当に愚かな娘だ。最後に、私に縋ってきたのに、手を差し伸べられなかった。最後まで仕えた美侯王は、忠臣だよ。なぁ、黒之助。私は悪い女か?」
「拙者には、わからぬ」
「そうか、では、黒之丞にでも尋ねてみようかな」
「黒之丞にもわからぬであろうよ」
「多分、そうだろう。でも、誰かに聞いてほしいのだ。そうしなければ、あの子は寂しがってしまう。美侯王だけでは、あの子が可哀そうだ」
「なずな殿……死にたいのか?」
「まさか。それなら、九州で死んでいる」
 チーを殺したかったのだろうと黒之助は思った。
「あの子は、怨みを抱いていってしまったのだろうか」
「太郎殿と火羅殿が看取ったでござるよ」
「その時の様子を、まだ聞いていないんだ」
「満足して逝きやがったと、太郎殿は言っていた。火羅殿は、太郎殿は甘すぎると言っていた。どうやら、二人で、父母の代わりを務めたらしい。父として、母として、褒めたと。最後に、哀れに見えたからと」
「……私は、嫌な女だ」
 そう言うと、なずなは盃の中身を呑み干した。
「黒之助の嘘かもしれないな。黒之助は、優しいから、私が怖がらないようにしているのかもしれない」