あやかし姫~梅雨~
小さな山の、大きな古寺。
木々に囲まれ、静かに佇む。
そこには、幾多の妖達と一人の少女が暮らしていた。
「う~、じめじめする~」
「べたべたする~」
「する~」
「梅雨って、嫌い」
「うん」
「うん」
古寺の庭を望む縁側に、何匹もの妖が。
ある者は、お茶碗。
ある者は、まな板。
ある者は、湯飲み。
百年以上の刻を経た古道具が成る付喪神の面々である。
皆で固まってじーっと雨がしとしと降る庭を眺めていた。
紫陽花が蒼色に咲き、その華に滴をいっぱいのせて。
庭に突き出す屋根の下に、てるてる坊主が一つぶら下がっていた。
「せっかく姫様がてるてる坊主つくってくれたのにー」
「役に立たないねー、このてるてる坊主」
「ねー」
「今日も洗濯物干せませんねえ」
「そうですねぇ」
部屋でぼーっとする二人と一頭。
一人は少女。
腰まで伸びた黒髪を、畳につけて正座して。
その横でぺたんと腹這いになり、目を瞑っている真っ白い狼。
少女は、その狼の頭を静かに優しく撫でていた。
狼は、それはそれは気持ちよさそうで。
もう一人は女。
その銀髪がきらきらと鈍く輝いている。
九本の尻尾が、その背後で揺らめいている。
こちらは楽にお姉さん座り。
姫様彩花と銀狐葉子、妖狼太郎。
三人、姫様の勉強部屋でぼーっとしていた。
古寺の一応の主たる頭領は、知り合いの龍神のところに出かけて今日はお留守。
「梅雨って、やだなあ~」
「そうですか? 私は雨の日も嫌いじゃないですけど……」
「こう何日も続くのが嫌いだ」
姫様と葉子の会話に太郎が口を挟んだ。
相変わらず妖狼は目を瞑っていて。
「それは……そうですね。かびも生えやすくなっちゃうし、せっかくのお団子も……」
「駄目になるし。喜んでるのは赤なめぐらいでしょ?」
「あー、沙羅ちゃんも喜んでました。これならどこにでも行けるって」
「河童はいいねえ。それに比べてあたいや太郎は」
ねえ、っと葉子が太郎に問いかける。
「こういうじめっとしたのは……苦手なんだよなあ」
「そうそう、あたいらはねえ」
「お二人とも大変ですね……あ、クロさんは何やってるんでしょう?」
寺の力ある三妖。
人の姿をとることができる妖。
妖狼、九尾の銀狐、そして烏天狗。
その一人である黒之助――クロさんの名前を姫様がだした。
クロさんといわれて葉子がその細い首を傾げる。
銀髪がしゃらりと揺れた。
「クロちゃん?」
「あいつなら一人でなんか読んでたぜ。ろくに進んでねえと思うけど」
かっと、太郎は鋭い歯を見せ笑う。
やっぱり目を瞑っていて。
「クロさん、そんなに難しい本読んでるの?」
姫様の言葉に、それもあるけど違う違うと太郎が尻尾を揺らした。
「暇を弄んでる奴が何匹も黒之助の部屋に向かっていったもの」
「ということは……」
このあほども! という怒声が聞こえてきた。
わーい! という楽しそうな声がいくつも聞こえてきた。
ほらねっと太郎が笑い、葉子がクロちゃん……と苦笑し、あうーっと姫様が頭を抱えた。
「葉子さん、太郎さん、クロさんを止めに行きますよ」
「えー」
「めんどいからヤ!」
「行くのー!」
頭領に渡された書物をどさっと居間に持ち込んだ黒之助。
誰もいないのを見計らって、山伏姿であぐらをかいて。
難しいその書物をなんとかかんとか読み進めていた。
それを、暇で暇でしょうがない妖達が見つけた。
縁側で庭を眺めていた妖とはまた違う一群。
わらわらと居間に入りこみ、黒之助の周りに集まった。
「平常心、平常心……」
ぶつぶつ呟く黒之助を尻目に、妖達が跳びはねて。
最初は小さく、段々と大きく。
黒之助の頭に乗ったり頁を勝手に進めたり。
わなわなと黒之助が震えはじめてもやめないとまらない。
黒之助の顔の色が変わるのが面白いと、そこら中をはね回る。
「このあほども!!!」
黒之助が吼えた。
真っ赤になりながら湯気を噴き吹き大声で怒鳴った。
「わーい!」
「クロさん怒ったー!」
「逃げろー!」
黒之助を怒らせることにもう慣れっこになっている妖達。
ぱたぱたぴょんぴょんと部屋を出ていってしまう。
それを、黒之助が追いかける。
羽ばたきの風が、古寺を揺らす。
真っ赤で真っ黒なクロさん。
人の姿を解いて妖の姿。
烏天狗が廊下を飛び、逃げた妖を追いかける。
「待たんかー!」
「あー、姫様ー」
「助けてー! 姫様ー!」
「わーん!」
黒之助から逃げ回っていた妖達。
最初は楽しく逃げていたのだが、さすがに疲れてきた。
姫様と葉子と太郎を見つけると、一目散に三人の背後に身を潜めて。
「うぬ! ……姫さん……」
「クロさん、はいとまってとまって」
ぬぬっと羽ばたきながら黒之助が唸る。
三人の後ろに目的の妖達を見つけて余計に唸る。
「勘弁してよクロちゃん。このじめっぽいときにそんなに熱く暴れないでよ」
余計蒸し暑くなると葉子が言う。
「そうだそうだ」
太郎が腕を組んで大仰にうなずく。
人の姿。目が、笑っていた。
「しかしだな……」
「クロさん、めー!」
姫様が右手の人差し指を烏天狗の目の真ん前に。
一瞬眉をしかめ、名残惜しそうに姫様達の背後にいる妖達に目をやる。
ふーっと息を大きく吸い、落ち着け……とくちばしの中で囁いた。
ぶるっと頭を振ると床に降り立ち、その姿を人に戻す。
「姫様から……よーくそいつらに言っておいて下さいよ」
じろじろと妖達を睨みながら。
「はい」
クロさんの邪魔しちゃ駄目だからね、と姫様が妖達に優しく諭す。
これで一時効果があるだろう。
一時、だが。
「……それでクロちゃん、何読んでたの?」
葉子が尋ねた。
ちょっと興味がわいたのだ。
「うん? ああ、五月雨華伝上巻をな」
「へー」
「難しいんだろうなあ、それ」
全然進んでないだろうと太郎が。こいつらがいてもいなくても、と付け加えて。
「……難しい。太郎殿が全く読めないぐらいには難しい」
「なん……だと……?」
「事実を言ったまで、だが?」
「難しいですよね。私も上中下と全部読みましたけど」
険悪な雰囲気になる烏と狼の間に入って姫様が。
束の間の沈黙、静寂、無音の世界。
あれ? っと葉子が声を出した。
「姫様、全部読んだの?」
「うん。頭領に借りて読みました」
「おー、凄ーい、姫様賢ーい」
ほーっと妖達が声をあげる。
「……」
黒之助は黙ったまま。
おんやーと太郎が肘で烏の胸を小突く。
「姫さん……本当に?」
「ええ」
また、太郎が黒之助の胸を肘で小突いた。
「姫さん……あとで中身教えて下さい……」
「いいですよ」
姫様がにっこり笑った。
そして、さらに言葉を続ける。
「雨、やみましたね」
「そうなのか?」
「そういやあ、雨の音さっきからしてしないね」
「……確かに、やんだようですな」
「よーし、洗濯物干すぞー」
姫様が言うと、
「おー!」
「おお?」
「おお!?」
妖達がてんでばらばら雑多に答えた。
「でも、今雨がやんでいるとて、ずっと晴れるとは……」
黒之助の疑問に姫様は笑いながら、
「大丈夫大丈夫。さ、手伝って」
そう言うと、着物をひるがえし歩き出す。
「あーい」
と葉子が続き、妖達がどうしようかな~と言いながら、てくてくついていく。
「今日、晴れるのか?」
「知らん……」
短く会話を交わすと、妖狼と黒烏も歩き出した。
空は、さっきまでの雨雲黒雲が嘘のように、青い明るい表情を見せていた。
「いい、お天気です」
てるてる坊主をつんとつつくと、少女は庭に出て行った。
木々に囲まれ、静かに佇む。
そこには、幾多の妖達と一人の少女が暮らしていた。
「う~、じめじめする~」
「べたべたする~」
「する~」
「梅雨って、嫌い」
「うん」
「うん」
古寺の庭を望む縁側に、何匹もの妖が。
ある者は、お茶碗。
ある者は、まな板。
ある者は、湯飲み。
百年以上の刻を経た古道具が成る付喪神の面々である。
皆で固まってじーっと雨がしとしと降る庭を眺めていた。
紫陽花が蒼色に咲き、その華に滴をいっぱいのせて。
庭に突き出す屋根の下に、てるてる坊主が一つぶら下がっていた。
「せっかく姫様がてるてる坊主つくってくれたのにー」
「役に立たないねー、このてるてる坊主」
「ねー」
「今日も洗濯物干せませんねえ」
「そうですねぇ」
部屋でぼーっとする二人と一頭。
一人は少女。
腰まで伸びた黒髪を、畳につけて正座して。
その横でぺたんと腹這いになり、目を瞑っている真っ白い狼。
少女は、その狼の頭を静かに優しく撫でていた。
狼は、それはそれは気持ちよさそうで。
もう一人は女。
その銀髪がきらきらと鈍く輝いている。
九本の尻尾が、その背後で揺らめいている。
こちらは楽にお姉さん座り。
姫様彩花と銀狐葉子、妖狼太郎。
三人、姫様の勉強部屋でぼーっとしていた。
古寺の一応の主たる頭領は、知り合いの龍神のところに出かけて今日はお留守。
「梅雨って、やだなあ~」
「そうですか? 私は雨の日も嫌いじゃないですけど……」
「こう何日も続くのが嫌いだ」
姫様と葉子の会話に太郎が口を挟んだ。
相変わらず妖狼は目を瞑っていて。
「それは……そうですね。かびも生えやすくなっちゃうし、せっかくのお団子も……」
「駄目になるし。喜んでるのは赤なめぐらいでしょ?」
「あー、沙羅ちゃんも喜んでました。これならどこにでも行けるって」
「河童はいいねえ。それに比べてあたいや太郎は」
ねえ、っと葉子が太郎に問いかける。
「こういうじめっとしたのは……苦手なんだよなあ」
「そうそう、あたいらはねえ」
「お二人とも大変ですね……あ、クロさんは何やってるんでしょう?」
寺の力ある三妖。
人の姿をとることができる妖。
妖狼、九尾の銀狐、そして烏天狗。
その一人である黒之助――クロさんの名前を姫様がだした。
クロさんといわれて葉子がその細い首を傾げる。
銀髪がしゃらりと揺れた。
「クロちゃん?」
「あいつなら一人でなんか読んでたぜ。ろくに進んでねえと思うけど」
かっと、太郎は鋭い歯を見せ笑う。
やっぱり目を瞑っていて。
「クロさん、そんなに難しい本読んでるの?」
姫様の言葉に、それもあるけど違う違うと太郎が尻尾を揺らした。
「暇を弄んでる奴が何匹も黒之助の部屋に向かっていったもの」
「ということは……」
このあほども! という怒声が聞こえてきた。
わーい! という楽しそうな声がいくつも聞こえてきた。
ほらねっと太郎が笑い、葉子がクロちゃん……と苦笑し、あうーっと姫様が頭を抱えた。
「葉子さん、太郎さん、クロさんを止めに行きますよ」
「えー」
「めんどいからヤ!」
「行くのー!」
頭領に渡された書物をどさっと居間に持ち込んだ黒之助。
誰もいないのを見計らって、山伏姿であぐらをかいて。
難しいその書物をなんとかかんとか読み進めていた。
それを、暇で暇でしょうがない妖達が見つけた。
縁側で庭を眺めていた妖とはまた違う一群。
わらわらと居間に入りこみ、黒之助の周りに集まった。
「平常心、平常心……」
ぶつぶつ呟く黒之助を尻目に、妖達が跳びはねて。
最初は小さく、段々と大きく。
黒之助の頭に乗ったり頁を勝手に進めたり。
わなわなと黒之助が震えはじめてもやめないとまらない。
黒之助の顔の色が変わるのが面白いと、そこら中をはね回る。
「このあほども!!!」
黒之助が吼えた。
真っ赤になりながら湯気を噴き吹き大声で怒鳴った。
「わーい!」
「クロさん怒ったー!」
「逃げろー!」
黒之助を怒らせることにもう慣れっこになっている妖達。
ぱたぱたぴょんぴょんと部屋を出ていってしまう。
それを、黒之助が追いかける。
羽ばたきの風が、古寺を揺らす。
真っ赤で真っ黒なクロさん。
人の姿を解いて妖の姿。
烏天狗が廊下を飛び、逃げた妖を追いかける。
「待たんかー!」
「あー、姫様ー」
「助けてー! 姫様ー!」
「わーん!」
黒之助から逃げ回っていた妖達。
最初は楽しく逃げていたのだが、さすがに疲れてきた。
姫様と葉子と太郎を見つけると、一目散に三人の背後に身を潜めて。
「うぬ! ……姫さん……」
「クロさん、はいとまってとまって」
ぬぬっと羽ばたきながら黒之助が唸る。
三人の後ろに目的の妖達を見つけて余計に唸る。
「勘弁してよクロちゃん。このじめっぽいときにそんなに熱く暴れないでよ」
余計蒸し暑くなると葉子が言う。
「そうだそうだ」
太郎が腕を組んで大仰にうなずく。
人の姿。目が、笑っていた。
「しかしだな……」
「クロさん、めー!」
姫様が右手の人差し指を烏天狗の目の真ん前に。
一瞬眉をしかめ、名残惜しそうに姫様達の背後にいる妖達に目をやる。
ふーっと息を大きく吸い、落ち着け……とくちばしの中で囁いた。
ぶるっと頭を振ると床に降り立ち、その姿を人に戻す。
「姫様から……よーくそいつらに言っておいて下さいよ」
じろじろと妖達を睨みながら。
「はい」
クロさんの邪魔しちゃ駄目だからね、と姫様が妖達に優しく諭す。
これで一時効果があるだろう。
一時、だが。
「……それでクロちゃん、何読んでたの?」
葉子が尋ねた。
ちょっと興味がわいたのだ。
「うん? ああ、五月雨華伝上巻をな」
「へー」
「難しいんだろうなあ、それ」
全然進んでないだろうと太郎が。こいつらがいてもいなくても、と付け加えて。
「……難しい。太郎殿が全く読めないぐらいには難しい」
「なん……だと……?」
「事実を言ったまで、だが?」
「難しいですよね。私も上中下と全部読みましたけど」
険悪な雰囲気になる烏と狼の間に入って姫様が。
束の間の沈黙、静寂、無音の世界。
あれ? っと葉子が声を出した。
「姫様、全部読んだの?」
「うん。頭領に借りて読みました」
「おー、凄ーい、姫様賢ーい」
ほーっと妖達が声をあげる。
「……」
黒之助は黙ったまま。
おんやーと太郎が肘で烏の胸を小突く。
「姫さん……本当に?」
「ええ」
また、太郎が黒之助の胸を肘で小突いた。
「姫さん……あとで中身教えて下さい……」
「いいですよ」
姫様がにっこり笑った。
そして、さらに言葉を続ける。
「雨、やみましたね」
「そうなのか?」
「そういやあ、雨の音さっきからしてしないね」
「……確かに、やんだようですな」
「よーし、洗濯物干すぞー」
姫様が言うと、
「おー!」
「おお?」
「おお!?」
妖達がてんでばらばら雑多に答えた。
「でも、今雨がやんでいるとて、ずっと晴れるとは……」
黒之助の疑問に姫様は笑いながら、
「大丈夫大丈夫。さ、手伝って」
そう言うと、着物をひるがえし歩き出す。
「あーい」
と葉子が続き、妖達がどうしようかな~と言いながら、てくてくついていく。
「今日、晴れるのか?」
「知らん……」
短く会話を交わすと、妖狼と黒烏も歩き出した。
空は、さっきまでの雨雲黒雲が嘘のように、青い明るい表情を見せていた。
「いい、お天気です」
てるてる坊主をつんとつつくと、少女は庭に出て行った。