小説置き場2

山岳に寺社仏閣に両生類に爬虫類に妖怪に三国志にetcetc

あやかし姫~梅雨~

 小さな山の、大きな古寺。
 木々に囲まれ、静かに佇む。
 そこには、幾多の妖達と一人の少女が暮らしていた。

「う~、じめじめする~」
「べたべたする~」
「する~」
「梅雨って、嫌い」
「うん」
「うん」
 古寺の庭を望む縁側に、何匹もの妖が。
 ある者は、お茶碗。
 ある者は、まな板。
 ある者は、湯飲み。
 百年以上の刻を経た古道具が成る付喪神の面々である。
 皆で固まってじーっと雨がしとしと降る庭を眺めていた。
 紫陽花が蒼色に咲き、その華に滴をいっぱいのせて。
 庭に突き出す屋根の下に、てるてる坊主が一つぶら下がっていた。
「せっかく姫様がてるてる坊主つくってくれたのにー」
「役に立たないねー、このてるてる坊主」
「ねー」

「今日も洗濯物干せませんねえ」
「そうですねぇ」
 部屋でぼーっとする二人と一頭。
 一人は少女。
 腰まで伸びた黒髪を、畳につけて正座して。
 その横でぺたんと腹這いになり、目を瞑っている真っ白い狼。
 少女は、その狼の頭を静かに優しく撫でていた。
 狼は、それはそれは気持ちよさそうで。
 もう一人は女。
 その銀髪がきらきらと鈍く輝いている。
 九本の尻尾が、その背後で揺らめいている。
 こちらは楽にお姉さん座り。
 姫様彩花と銀狐葉子、妖狼太郎
 三人、姫様の勉強部屋でぼーっとしていた。
 古寺の一応の主たる頭領は、知り合いの龍神のところに出かけて今日はお留守。
「梅雨って、やだなあ~」
「そうですか? 私は雨の日も嫌いじゃないですけど……」
「こう何日も続くのが嫌いだ」
 姫様と葉子の会話に太郎が口を挟んだ。
 相変わらず妖狼は目を瞑っていて。
「それは……そうですね。かびも生えやすくなっちゃうし、せっかくのお団子も……」
「駄目になるし。喜んでるのは赤なめぐらいでしょ?」
「あー、沙羅ちゃんも喜んでました。これならどこにでも行けるって」
「河童はいいねえ。それに比べてあたいや太郎は」
 ねえ、っと葉子が太郎に問いかける。
「こういうじめっとしたのは……苦手なんだよなあ」
「そうそう、あたいらはねえ」
「お二人とも大変ですね……あ、クロさんは何やってるんでしょう?」
 寺の力ある三妖。
 人の姿をとることができる妖。
 妖狼、九尾の銀狐、そして烏天狗
 その一人である黒之助――クロさんの名前を姫様がだした。
 クロさんといわれて葉子がその細い首を傾げる。
 銀髪がしゃらりと揺れた。
「クロちゃん?」
「あいつなら一人でなんか読んでたぜ。ろくに進んでねえと思うけど」
 かっと、太郎は鋭い歯を見せ笑う。
 やっぱり目を瞑っていて。
「クロさん、そんなに難しい本読んでるの?」
 姫様の言葉に、それもあるけど違う違うと太郎が尻尾を揺らした。
「暇を弄んでる奴が何匹も黒之助の部屋に向かっていったもの」
「ということは……」
 このあほども! という怒声が聞こえてきた。
 わーい! という楽しそうな声がいくつも聞こえてきた。
 ほらねっと太郎が笑い、葉子がクロちゃん……と苦笑し、あうーっと姫様が頭を抱えた。
「葉子さん、太郎さん、クロさんを止めに行きますよ」
「えー」
「めんどいからヤ!」
「行くのー!」

 頭領に渡された書物をどさっと居間に持ち込んだ黒之助。
 誰もいないのを見計らって、山伏姿であぐらをかいて。
 難しいその書物をなんとかかんとか読み進めていた。
 それを、暇で暇でしょうがない妖達が見つけた。
 縁側で庭を眺めていた妖とはまた違う一群。
 わらわらと居間に入りこみ、黒之助の周りに集まった。
「平常心、平常心……」
 ぶつぶつ呟く黒之助を尻目に、妖達が跳びはねて。
 最初は小さく、段々と大きく。
 黒之助の頭に乗ったり頁を勝手に進めたり。
 わなわなと黒之助が震えはじめてもやめないとまらない。
 黒之助の顔の色が変わるのが面白いと、そこら中をはね回る。
「このあほども!!!」
 黒之助が吼えた。
 真っ赤になりながら湯気を噴き吹き大声で怒鳴った。
「わーい!」
「クロさん怒ったー!」
「逃げろー!」
 黒之助を怒らせることにもう慣れっこになっている妖達。
 ぱたぱたぴょんぴょんと部屋を出ていってしまう。
 それを、黒之助が追いかける。
 羽ばたきの風が、古寺を揺らす。
 真っ赤で真っ黒なクロさん。
 人の姿を解いて妖の姿。
 烏天狗が廊下を飛び、逃げた妖を追いかける。
「待たんかー!」

「あー、姫様ー」
「助けてー! 姫様ー!」
「わーん!」
 黒之助から逃げ回っていた妖達。
 最初は楽しく逃げていたのだが、さすがに疲れてきた。
 姫様と葉子と太郎を見つけると、一目散に三人の背後に身を潜めて。
「うぬ! ……姫さん……」
「クロさん、はいとまってとまって」
 ぬぬっと羽ばたきながら黒之助が唸る。
 三人の後ろに目的の妖達を見つけて余計に唸る。
「勘弁してよクロちゃん。このじめっぽいときにそんなに熱く暴れないでよ」
 余計蒸し暑くなると葉子が言う。
「そうだそうだ」
 太郎が腕を組んで大仰にうなずく。
 人の姿。目が、笑っていた。
「しかしだな……」
「クロさん、めー!」
 姫様が右手の人差し指を烏天狗の目の真ん前に。
 一瞬眉をしかめ、名残惜しそうに姫様達の背後にいる妖達に目をやる。
 ふーっと息を大きく吸い、落ち着け……とくちばしの中で囁いた。
 ぶるっと頭を振ると床に降り立ち、その姿を人に戻す。
「姫様から……よーくそいつらに言っておいて下さいよ」
 じろじろと妖達を睨みながら。
「はい」
 クロさんの邪魔しちゃ駄目だからね、と姫様が妖達に優しく諭す。
 これで一時効果があるだろう。
 一時、だが。
「……それでクロちゃん、何読んでたの?」
 葉子が尋ねた。
 ちょっと興味がわいたのだ。
「うん? ああ、五月雨華伝上巻をな」
「へー」
「難しいんだろうなあ、それ」
 全然進んでないだろうと太郎が。こいつらがいてもいなくても、と付け加えて。
「……難しい。太郎殿が全く読めないぐらいには難しい」
「なん……だと……?」
「事実を言ったまで、だが?」
「難しいですよね。私も上中下と全部読みましたけど」
 険悪な雰囲気になる烏と狼の間に入って姫様が。
 束の間の沈黙、静寂、無音の世界。
 あれ? っと葉子が声を出した。
「姫様、全部読んだの?」
「うん。頭領に借りて読みました」
「おー、凄ーい、姫様賢ーい」
 ほーっと妖達が声をあげる。
「……」
 黒之助は黙ったまま。
 おんやーと太郎が肘で烏の胸を小突く。
「姫さん……本当に?」
「ええ」
 また、太郎が黒之助の胸を肘で小突いた。
「姫さん……あとで中身教えて下さい……」
「いいですよ」
 姫様がにっこり笑った。
 そして、さらに言葉を続ける。
「雨、やみましたね」
「そうなのか?」
「そういやあ、雨の音さっきからしてしないね」
「……確かに、やんだようですな」
「よーし、洗濯物干すぞー」
 姫様が言うと、
「おー!」
「おお?」
「おお!?」
 妖達がてんでばらばら雑多に答えた。
「でも、今雨がやんでいるとて、ずっと晴れるとは……」
 黒之助の疑問に姫様は笑いながら、
「大丈夫大丈夫。さ、手伝って」
 そう言うと、着物をひるがえし歩き出す。
「あーい」
 と葉子が続き、妖達がどうしようかな~と言いながら、てくてくついていく。
「今日、晴れるのか?」
「知らん……」
 短く会話を交わすと、妖狼と黒烏も歩き出した。

 空は、さっきまでの雨雲黒雲が嘘のように、青い明るい表情を見せていた。

「いい、お天気です」
 てるてる坊主をつんとつつくと、少女は庭に出て行った。